人の勧めることはやってみる ーシャウラ #新しい視点を得られる話
30歳。潮の変わり目にシャウラさんは立っていました。
ハワイで産まれたハーフのシャウラさんは、
「日本でモデルの仕事をしませんか?」
という事務所からのスカウトに、二つ返事で来日。
モデルの仕事を続けてきたけれど、30代を迎えてどんどん焦りを感じるようになっていました。
このままじゃヤバいよ私。でも、私の中にも何かあるはずだよね?私にしかできない仕事って何?
同じ時期に、ハワイからやってきた長谷川潤さんはモデルとして売れっ子に。とっても仲が良い友達だから僻む気持ちはないけれど、自分はそんなビッグなモデルにはなれないと、心の底では悟る気持ちはとても寂しくもありました。
モデルなんて、一部の人を除いたら若いうちが旬。30代、40代になれば仕事がどんどん無くなってしまう・・・
当たり用のないむしゃくしゃした想いを抱えたまま、月日はどんどんと過ぎていきました。
そんなある日、事務所からラジオのDJのオーディションを受けてほしいと言われます。
日本語が下手な私がラジオって無理じゃない?
しかも、見た目を売るモデルをやっているのに、どうして声しか出せないラジオを勧めるの?
ネガティブモードだったシャウラさんは悲観的でした。
でも、シャウラさんは、モデルになるときもそうでしたが、人から勧められたことはまずやってみるという性分。
自分にと勧められたオーディションだったので、取り敢えず受けてみることにしました。
オーディションにいくと、周りは日本人でラジオDJを目指す子たちばっかりです。
流暢な日本語でハツラツと元気に話す彼女たちをみて、無理矢理ふくらませた自信もどんどんしぼんでいきます。
そしてオーディションの結果は・・・落選。
「ほら〜、言ったでじゃん?!」
だからラジオなんて無理だって。しかも私はモデルで頑張ってるのに・・・
恨み節と共に気持ちは更に落ちていきました。
その1ヶ月後。
同じラジオ局から別の番組で生放送のDJをしませんか?という突然のオファーが舞い込んだのです。
なんで私?日本語も上手くないのにどうして?と、驚くシャウラさんでしたが、言われたことはやってみる性分がここでも発動されます。
「求められているのなら・・・」と引き受けることにしました。
そして、これがシャウラさんの転機となります。
ラジオの世界はモデル業とは全く違っていました。
好奇心旺盛だったシャウラさんは情報を扱うこと自体にワクワクしっぱなし。
また、モデル同士のしがらみがなく、見た目でジャッジされない自由さに居心地の良さを覚えました。
そしてこれまでいかに自分が人と比べることで苦しんできたのかを痛感しました。
数年ラジオの仕事をしてみて、これはずっと続けいきたい仕事かもしれないと思いました。
そのときの気持ちは温かくって、ワクワクして。あなたはそこに座っていていいんだよって言ってもらえているような安心感を覚えた瞬間でした。
シャウラさんはこのときを振り返って、こう話しています。
「自分がやりたいって思ってやってきたことじゃなくて、誰かが見てくれてて、自分を選んでくれたことをやってきた。そうやって繋がって、今ラジオをやれていることに感謝と誇りの気持ちをもっている。」
ずっと自分にしかできないことが見つけられず、もがいてきたモデル時代。
そんなときでも、私にしかない魅力を見てくれている人がいたんだ。とシャウラさんは気付きました。
最初はえ?これを私に?と思っても、突き返さずに潔く受け入れてみる。それがシャウラさん流の自分探しの秘訣なのでした。
参照: podcast 『 glenwood heart to heart by 長谷川潤』
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