見出し画像

私の証明


例えば、石元みとんというnoterがここにいる。私がその石元みとんだと証明するにはどうしたらいいか。例えばリアルな世界で私が私であることの証明は、

〇〇さんちのお嫁さん
〇〇さんの奥さん
〇〇ちゃんのお母さん
〇〇くんのおばあちゃん

これに倣えば「私が石元みとん」であることを証明する手っ取り早い方法は、誰かに証言してもらうこと。そうです、この人です。そうです、うちの母が石元みとんです。そうです、うちの奥さんが石元みとんです。そんな風に誰かが私が私であると言ってくれないことには私は私であることを証明するのがとても難しい。

こうやって今noteを書いてるのはホンモノの石元みとんかどうかなんて、読んでる人にはわからないし、証明のしようがない。でも大丈夫、私は私だ。

その人にしか書けない文章とか分野とかを持たない私のような人について、note世界においてホンモノのみとんさんかどうかを探るには、コメントでのやり取りはどうだろう?そういえばみとんさんからこんなコメントもらったな、とか、みとんさんにコメントした時こんな返事が来たな、とか。そういう積み重ねがnoter石元みとんを証明してくれそうだ。

あるいは、ものすごく記憶力の良い人が、以前記事にこんなこと書いてましたね、からの、今は違うんですね、みたいな。重箱のすみを突つかれてバレるみたいな?こっちだとニセモノの証明ってことになるけどね。

少し前たまたま覗いた記事の話。その方とは直接交流は無かったけれど他の方のコメント欄でよくお名前をお見かけしていて、とても丁寧なやりとりをされているなあと良い印象を持っていた。最新の記事を読んでみたら、“本が発売”され“娘が喜んでいる”ことが書かれていた。娘さんも文章を書くお仕事をされているんだな、と思いつつコメント欄を開くとどうも様子がおかしい。“おめでとう”というコメントと“残念です”“寂しいです”というコメントが混在していた。これはどういうこと?と思って少し記事遡ってみると、一番好きだった記事を募る企画記事があった。自分の書いた記事の中でどれが皆さんの心に届いたのかは私もちょっと興味がある。良い企画だけど同時に全く反応がなかったら寂しいし、自分のことが大好きな人みたいで恥ずかしくもある。

そこでやっと気づいた。この募集記事を書いたのはその方ご本人ではなく、その方の親御さんだったのだ。その方は、その少し前に亡くなられていた。親御さんは娘さんのnoteから本が生まれたことをご存知で、娘さんのアカウントでフォロワーさんたちと交流されていたのだった。

親御さんの行動は、ありがたいなと思った。

黙って消えていくnoterさんは少なくない。始めてからそう長く続くことなく辞めてしまう方は多い。辞める意志を持って辞めるわけではなく、何を書こうかな、と考えている間に日にちが経ちなんとなくもういいかって放置しちゃう人も多いと思う。わざわざ「辞めます」と宣言する必要性を感じるほどの交流を始めていなかった場合もあるだろう。
とにかく、長く記事が更新されてないと、辞めちゃったのかなって推測するしかない。それでも大好きだった方のフォローはなかなかはずせない。またいつか、急に思いついて記事を書くこともあるやも知れない。見逃したくない。そんな気持ちのまま置いておくことになる。
今回のように、本人が亡くなってこの先もう絶対に本人が記事を更新することは無い、と知ることが出来るのはだからありがたいと思う。

多分、私に何かあったら、私の場合は次女がnoteになんらかのアクションを起こしてくれると思う。私になりすまして記事を書く、なんてことはしないと思う。でも、なりすまして書いても多分気づかれないし、敏感な人が「あれ、なんだか今までと雰囲気が違うな」と思ったところで私が私ではない確信は無いと思う。逆にこうやって、一度作ったnoteのアカウントが代々受け継がれいく未来、っていうのも面白いなって思う。“石元みとん”は特定の誰かじゃなく、こういうフワッとした大して意味のない記事をツラツラと書くための“場所”、“器”みたいな?

でも、今の石元みとんは私だ。
今までと違うと感じられたら、大丈夫、それは意図してやってます。

そして先週ついに、200週連続投稿を達成しましたー!イェーイ!
まだまだ頑張りまぁす!!

この記事が参加している募集

私は私のここがすき

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?