サウジの一部チームの大暴れに思うこと

移籍市場でのサウジとメガクラブの振る舞いに大差はない

リバプールファンなので、ヘンダーソン、ファビーニョが予期せぬ形で去り、強さがそがれることへの不満がないと言うのは難しい。まぁまぁ気に入らない。

未だにキャプテンマークを巻くヘンドが恋しいし、たった2節でマックアリステルとソボスライが証明したすばらしさを見たら、その後ろにファビーニョがいるチームを観たかったと思うのは自然で、それをフイにされたという私怨を全く抱いてないなど言えるわけがない。

ただ、その気持ちが、サウジリーグのチームたちの行動が悪いことであるかのように結び付けないように気を付けている。

彼らはただ彼らの持つ強み、具体的にはFFPに縛られない立場とそれを支えてくれるPIFの存在を活かしているだけである。

少なくとも、数人がかりで突然選手をバンに押し込み連れ去り、プレーを強要しているようなことはなく、ふさわしい移籍金を払って、個人条件で合意して、円満に移籍を実現している。

僕は、リバプールというチームと同じくらいPSVというクラブが好きだけど、PSVファンとしての自分で切り取れば、プレミアリーグのリバプールをはじめとしたビッククラブたちのやっていることと、サウジのやっていることに差は感じない。

良い条件はもちろん、上手い選手たちに囲まれる魅力的な環境で、夢のタイトルを狙える、そういった武器で彼らはアイントホーフェンから選手を連れて行くし、選手自身もそれに惹かれステップアップしていく。

それがとんでもない年俸に置き換わっただけである。

そもそも、オランダの、それも第5の都市にあるクラブ程度で成せる野望には限界があるのはわかっているし、そのうえで楽しめている。

メガクラブたちが頂上に居る構図を変えるのは難しいとわかっている。もしかしたら、買えるのかもしれないけど。

それを受け入れたうえで、下部上がりの選手が成長し、そういった舞台へ羽ばたいていく過程を見る喜びもまたフットボールの一部。

なので、コーディー・ガクポは、リバプールでエースになって、プレミア、CLを獲って、4冠を果たして、バロンドールを獲ってほしい。

話がずれたので戻すと、正直、今まで無縁だったけれど、自分たちが問答無用で選手を引き抜かれるかもしれない側になってビビってるだけでは?と、欧州フットボールの未来を危惧する(ような体裁を借りた)一部のファン感情やメディア発信には思う。

いままで独り占めだったところに自分たちと似たような強み、もしかしたらその物差しでは自分たちよりも強大かもしれない存在が出てきて、思い通りいかなくなりそうなのが気に入らないか、自分たちも取られうる立場になって、先行利益が削がれかねない脅威の生々しさに震えているのかもしれない。

好きなチームが、クラブがそこにあるだけでフットボールはものすごく楽しいものだから、それを恐れる必要もない。

何より、選手は買えても、スタジアムの雰囲気だけは買えないので。

スーパーリーグ騒動の思い出と、サウジのチームのCL出場

それにしても、形骸化したFFPにより、一部のチーム作りをしくじるチームを除き、おおむね資金力は強さに繋がる状況を作った、または看過してきた欧州フットボール界が、自分たちをはるかにしのぐ莫大な資金力を持つ存在の登場に振り回される様子はつくづく皮肉だと思う。

スーパーリーグ構想がぶちあがった当時の参加を表明したクラブたちの言い分は、実に気に入らなかった。

その国のリーグ、欧州コンペを成立させてきた数百ものクラブたちの存在があり、その中で勝ち続けてきた歴史が彼らを偉大な存在たらしめているのに、何調子のいいこと言ってんだ?と感じたので、僕はスーパーリーグは違うな、と思った。

放映権料で更なる発展を目指すような意義を聞くと、毎年のビッグディールを望むファンに応えるなら必要なことと思ったけれど、それをやりたいなら自国リーグからは出ていくのは通すべき筋だと思ったし、結局、地域とのつながりをなくしたら結局ブランドも成り立たないから構想は潰えたのだと思う。

そもそも、スーパーリーグをやるよりも、メガクラブたちに出場枠を確約したネオ・チャンピオンズリーグをやればいいと思ってたので、当初のスーパーリーグ構想に近いものがまさかサウジで実現するだなんて、と今の状況に驚いている。

一点だけ気にしているのは、もし、サウジのチームたちが彼ら自身の価値を高めるためにCLに出場を果たそうというなら、FFPを遵守させるのは運営者としてUEFAが絶対に果たさなければいけない仕事だという点。

同じコンペで戦いたいならレギュレーションを守らせるべきだし、そもそも戦いを成り立たせないとコンペ自体の価値が下がるうえ、そこでの勝利よりもそれで得られるものを目的としているのが明確な限り、サウジリーグは切り離され続けてほしいと強く主張したい。

逆に守るのであれば、面白い試合が増えるかもしれないので認めてもいいんじゃないかなと思う。視聴者数も更なる増加が見込めるだろうし。

条件をのまないそのときは、彼らは彼らで当初のスーパーリーグになるように努めたらいいし、今夏のやり口のスマートさからは、仮にその方針でもリーグだけでかなりうまくやりそうな雰囲気を感じる。

スポーツウォッシングという批判に思うこと。

カタールW杯で、スポーツウォッシングという批判が盛り上がってから久しいけれど、この言葉が引用されやすいにしても、それをベースに彼らを批判することへの疑問もある。

彼らが発展を果たすうえで、欧米との益々の交流は不可欠であり、それにあたってアラブ世界やイスラムに対する築かれた決めつけを払しょくする必要性を好まずとも強いられていること、そういった西側ありきの物事の流れが彼らをスポーツウォッシングに駆らせていることに対し、もう少し自覚的であってもいいんじゃないかと感じる。

スポーツウォッシングは良くない!と言うが、そもそもそんな話題がなかったら、そういう世界があることに見向きも気づきもしなかったでしょ?という嫌味も思う。

もちろん、多様性への不寛容さ、性差による不平等さなど、おかしいと挙がる声に、そうだったらよいだろうなと僕自身も感じる世界の姿が描かれているのは間違いない。現在その地特有の価値観で苛まれる人々がより良い暮らしを送れるようにす改められるべきだ、その土地に生まれたということだけでそのようなものに縛られるのはおかしい、というのも理想論とはいえ賛成。

ただ、その考えの根底にある、こうあるべきは、現在主流側にいる人々の価値観が基準であって、それを当然のように正とし、それと違うなんて間違っていると迫るのは、変化には時に外圧が必要にしても少し傲慢だし、それ自体に多数派で少数派に迫る姿を感じ、矛盾を思う。

グローバル世界では決して通用する言いぐさではないけれど、部外者は黙ってろと言いたくなるような伝統や古くからある価値観はどの国、地域にもあるはず。

自国内で人種差別が横行する傍らで、その彼らから多様性だの説教されたら、お前らに言われたくない、どの口が、と感じるに違いない。

結局、ワールドカップ後には日に日に薄まっていったのを見れば、人権意識とやらすらも流行りもののように消費し、自分たちの価値観ありきでその土地の価値観を遅れたもの、間違ったものと決めつけ批判し、正義を遂行しているかのような自分たちに酔うだけのムーヴメントだったんじゃないかという疑問、失望は大きい。

他文化への過干渉とこれに乗っかった批判は、無自覚に自分たちを正しいとし、しかも娯楽化して消費して終わっているのだとしたら、スポーツウォッシングと同じか、もしかしたらより悪質なのではないかと自問してしまう。

本当に苦しい人がいるのにもかかわらず、それに寄り添った気でいるだけ、加えてその自分の清らかさを思い込みで誇るなんて気色悪い。

こういった気持ちを好き勝手書いておきながら、じゃあ正しいか間違っているか断罪できるほど、自分の中ではまだ結論は出せていないし、たぶん二元論にすべき話題じゃないんだと思う、という逃げの一言がどうしても先行する。

ただ、少なくとも、サウジを批判する目的ありきで不満をスポーツウォッシングという言葉でデコって正しさを主張するような意見にはノらず、ちゃんと自問に釣り合う答えを考えつづけたいと思う。

<了>


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