いちコアテスファンの歩み -Sporting C.P. 現地観戦までの12年-
はじまり
僕は、ジェラードに胸をそのミドルシュートで打ち抜かれ、トーレスに心踊り、その傍で走り続けるディルク・カイトが大好きでたまらないという、まぁ同じチームのファンなら珍しさはない、1人のリバプールファンの少年だった。
大好きなクラブがどん底に落ち、順位表どころか利子で首が回らなくなり、破産とノンリーグ行きもチラついた先のオーナー交代、その最初の狼煙としてリバプールへやってきたルイス・スアレス。
直ぐに大活躍し、皆の注目を掻っ攫い、トーレスがチェルシーで移籍後鳴かず飛ばずで苦しむ様をスパイスに、熱狂した。
紛れもなく、彼が居なければウルグアイに、コパアメリカに関心が向くことはなかったと思う。
そして、2011年のコパアメリカで登場した新星、セバスティアン・コアテスを初めて見た。
彼はその夏のリバプールによるプロスペクト乱獲の移籍市場で、その才能への期待とついでにスアレスのご機嫌取りを兼ねてリバプールにやってきた。
2011年夏、ここからセバスティアン・コアテスという選手のことをチームでも特に気にして追うようになった。
全てを変えた2013年夏の来日
あのウルグアイ代表が日本代表と親善試合のために来日することになった。
大学生になり、行動範囲が広くなった青年になった僕は、成田空港で出待ちを試みて、彼にユニホームへサインを入れてもらおうと張り切った。
この出待ちで、後に現在まで続き10年以上のサッカー友達ができるのだが、それは余談。
本人を目の前にして、ガチゴチになった。あんなに緊張して、どうにもならなくなったことは人生で2度とない。
当時、4000万+1ポンドの移籍金で契約解除条項が成立し、アーセナルへ行く行かないで大揉めだったスアレスは、リバプールのユニは視界に入れないように一切こっちを見ず、足早に立ち去ろうとした。
僕は当時、それは熱心なリバプールファンだったので、あんな心変わりした奴なんかどうでも良かったし、なによりも自分の大好きなコアテスが本当にサインしてくれるのか気が気でなかったので、それどころではなかった。
結局、すんなりとサインを入れて貰った上に、握手まで叶ってしまった。
声が震えてグラシアスと返すのも精一杯だったこと、あの握手の感触は未だに覚えている。
その後20分は、達成感で放心、脱力してしまい、しばらく椅子に座り続けるほかなかった。
しかし、この来日は彼のキャリアを決定的に変えた。
途中出場で最後の5分交代で出てきた彼が、ピッチに座り込んだ。
軽傷だと思われていたそれは、右膝の前十字靭帯断裂の大怪我だった。
リバプールでは勝負の3年目、そして来夏にはW杯だというのに、なんてことになったのだ、こんなことならサインなど要らなかった。
そんな気持ちに支配されながら、リバプールの快進撃に毎週楽しみを覚えつつ、傍らで彼の経過をずっと追った。
2014年W杯グループリーグ第2節 イングランド戦
怪我からセバは帰ってきた。
夢だと語り続けてきたW杯の舞台に立つための、最終23人に無事残った。
僕はそれだけでも嬉しかったけれど、叶うならピッチに立ってほしいと願った。
この1年、この瞬間のために彼は復帰に向けてありとあらゆる努力をしたであろうことは容易に想像できたから。
日本戦と同じく最後の数分、彼は交代でピッチに立った。
テレビの前でカタルシスが最高潮に至った僕は泣いていた。
彼が帰ってきた。全てが報われた。そして決勝トーナメントに行ける可能性が残った。とんでもない試合だった。
次の試合、スアレスがキエッリーニに噛みつき、退場とはならず、彼が関与した得点によって決勝トーナメン進出を果たした結果、ウルグアイは超ヒールチームと化したのち、この大会でスーパーヒーローとなったハメス・ロドリゲスにコテンパンに成敗され、ウルグアイは大会を去った。
まぁ、セバがピッチに帰ってきたことだけで2014年W杯は特別だった。
2014年9月、再来日のはずが
再び、日本代表とウルグアイ代表の対戦が決まり、昨年の来日で縁ができた仲間たちと札幌まで遠征して現地観戦することになった。
仲間内でウルグアイカラーの横断幕まで作った。
しかし、札幌に着いて、ウルグアイサッカー協会からある発表。
セバスティアン・コアテス選手は負傷により今回の代表戦(日本戦、韓国戦)には帯同しません。
なんてこったい。
この旅は、ものすごく大切な思い出として今でも宝物のように輝いているけれど、ほんの少しだけ物足りないと言うのは贅沢とわかりつつ、それが偽らざる本心。
でも、また大怪我するよりは…と受け入れた。
そもそも、仲間たちと過ごした遠征は、彼らが喜ぶ姿を目の当たりにできたというだけで良いものになった。
2015年夏、リバプール退団、完全移籍でサンダーランドへ
就活の最終面談の帰り道、彼のリバプールからレンタル移籍先であったサンダランドへの完全移籍が公式発表された。
彼がリバプールで重要な役割を担うと信じて疑わなかったのでガックリ来つつも、進退が首の皮一枚で繋がっていたブレンダン・ロジャースにそんな試行錯誤の余裕はも
なく、それなりにレンタル先で上手くやっていたので、こうなることは薄々覚悟はしていた。
僕はこの最終面談を通過し、今でもその会社に勤めている。
この巡り合わせが2023年に僕をリスボンへ連れて行くのだから、今思えば運命的だ。
なんだか不思議な縁すら感じるが、もうここまで来れば、彼がリバプールでなくとも、サッカー選手として大成功を収めてくれればそれで良いと思った。
セバはその後、サンダーランドでも徐々に低調になり、半ば構想外となったタイミングでスポルティングへレンタル移籍、後に完全移籍を果たす。
イングランドが合わなかったという結果輪。
2018年10月、今度こそ再来日
結構な頻度で来日するウルグアイ代表。
今回の出待ちは、直前のW杯でのカバーニの活躍もあり、規制線が張られるほどの厳戒態勢が成田に敷かれた。
まぁ、もう既に一度貰ってるし別に無理に行くこともないし、前の週に誕生日を迎えたセバにおめでとうと言えればそれで良いやという謎の余裕と、PSVでアヤックス・キラーとしてカルトヒーローとなっていたガストン・ペレイロの来日を、なんとしてもいちPSVファンとして出迎えたい気持ちもとても大きかった。
スター選手と呼ばれる皆がサインを断りハニカミで通り過ぎる中、セバは、ファンサービスがめちゃくちゃイイ(実体験済み)という評判の通り、サインに応えていた。
大好きな選手が過程はどうあれサイン攻めに遭うのを見るのは、とても鼻が高かった。
誕生日おめでとうと伝えて彼からハニカミが貰えたことに満足して、ペレイロを探したら、人混みにビビって立ち止まっていた。
ここぞとばかりに準備してきたスケッチブックいっぱいのスクラップとメッセージを掲げながら、PSVでの彼の個人チャントを送ると、それに気づいた彼はニヤニヤしていた。
出待ちが終われば、埼スタのアウェイスタンド最前列を取るために、必要なことを全てした。
試合前日にも埼スタでのサポーター団体の段取りに混ざって、過剰とも言える完璧な段取りを整えてまたスタンドに横断幕を張った。
試合当時は、真横が日本代表のゴール裏なのもあり、やれ海外厨だ、非国民だ、色々なことを言われた。
まぁ当然だよなと思いつつも、いい歳した大人が敵意剥き出しで食ってかかってくるのは良し悪しよりも気持ち悪さ、ウザさ、嫌悪が勝つので、あれ以来サムライブルーはあまり好きではない。
試合はセバが先発し、アシストも記録、そのアシストを決めたのはペレイロだし満足度高めだったけれど、試合は南野、堂安、中島の新世代にめったうちにされて負け。
なんか、いい線行くけど、いつも結果には残らないのはどうしてだろう。
2020年2月、ウルグアイを訪ねる
セバはスポルティングで不動のスタメンとなった。
僕はというと、かねてから彼のルーツがどんなところか知りたかったし、皆との思い出の具現化でもあるあの横断幕をセンテナリオに掲げるだなんてなんとロマンチックだろうか、となって、ウルグアイへ渡った。
世間では、数週前に中国の武漢で謎の病気が見つかって以来中国で急速に広がっていると盛り上がっていたので、アジア人を見かけたら、経由地のスペインや目的地のウルグアイでアジア人忌避を受けるのかもな、、、と結構な覚悟をした。
杞憂だった。
セバのユニを着て歩くモンテビデオは平和そのものだった。
タクシーの運転手がナシオナルのファンで、僕がナシオナルの本拠地に行きたいと言ったら、クラブの受付呼び鈴を鳴らして、日本からわざわざ見に来たやつがいるんだから少しくらい見せてやれ的なことを言い始めたので参った。
センテナリオへの巡礼もとてもスムーズだった。少し鋭い陽射しを感じながらのんびりと張る。訪問者の1人が親切にそれを写真に収めてくれた。
思えばこのTシャツも、就職のお祝いの品ということで贈られた大切なものだ。
セバのご加護でウルグアイ旅行は完璧な思い出となった。
日本に帰ると、世間はダイアモンド・プリンセスから逃げた陽性者の足取りを全国ネットで追いかけていた。
このタイミングで渡航できていなければ、数年お預けだったのだと今はしみじみと感じてしまう。
2023年11月5日、腕章を巻く彼を観にリスボンへ
社会人生活もこなれて周りの大人たちにも恵まれた結果、欧州へ赴任し、アイントホーフェンでのビッグゲームに通うのが季節に一度の楽しみになった。(リバプールのチケットは、もうべらぼうな値段で色々厳しい。)
自分が欧州にきたとき、セバはリーグ制覇を20年ぶりに成したキャプテンになり、既にスポルティングでの公式戦300試合出場を果たしていた。
リバプール時代はQPR戦のバイシクルボレーの一発屋扱いだが、スポルティングでは勝ち点を落とすわけにはいかない試合の終盤、セットプレーで何度もチームを救うような、本当に頼れる選手になったのだ。
あれから、僕は、大学生から社会人なんてかわいいもんで、もう三十路である。
当然、期待の若手だった彼も今やベテラン、キャリアも終盤に差し掛かっている。
ウルグアイ代表にやってきたビエルサは、長期に渡ってチームを支える選手を発掘するために、若手を主体とするチームに切り替え、30代の選手たちを一掃した。
スアレスやカバーニなどの87年組はもちろんのこと、少し下の世代ながら、セバももう今後代表には縁がなさそうな雰囲気だ。
今観に行かないと、もうスタメンでは見れない、もしかしたら来季はスポルティングに居るかは分からないという現実を悟り、ウルグアイ行きばりの決断でリスボン行きを決めた。
ジョルジュ・ジェズス、ルベン・アモリム監督の指導を経て、セバは3バックの真ん中でビルドアップの起点として活躍するCBになっていた。
リスボンについて早々に各グッズを買い終え、市内観光へと繰り出した。
異国のスタジアムでは、見知らぬにーちゃんとはしゃぐことができるので嫌いじゃない。そんな空気を満喫していると、選手入場と整列。そしてキックオフ。
どうしても彼も見たいけどチャンスも追いたいしと、1人だけテニスのラリーを観てるかの如く首を動かしまくる。
配信でしか見ていない3バックの中心で落ちたり高い位置を取ったりで変化するビルドアップ、相手のMFをラインを破るグラウンダーのミドルパス、隙あらばセンターサークルまで持ち上がる迫力満点のドリブル、何度も彼からコーチングを飛ばされるディオマンデ、先制点の歓びの輪には加わらず、GKのアダンとガッチリ握手をし、ハグで最後尾で喜ぶ姿。
後半、クロスをブロックしようと足を伸ばした流れで手が上がり、ボールに触れてハンド、PK献上。
さらにその後、裏を取られ、相手の素晴らしいシュートで逆転を許したところで途中交代。
本当、僕は一番のファンであると同時に、まさか疫病神なのかと愚痴りたくなる結末。
今までと一つ違ったのは、チームがその後の奮起で逆転したこと。
終わりよければすべてよし。困ったときはのパウリーニョはたまらない。
試合終了のホイッスルと同時にチームメイトへ声をかけに行ったセバは、いつの間にかチームメイトに囲まれていた。
その光景は、もしかしたら今日でスタメンを失ってしまうのではないだろうか、などと予感させるようなものだったけれど、もしそうなったら、今日この試合を観に来た意味は増す。
まぁ杞憂なら何よりだ。
拝啓、セバこと、セバスティアン・コアテスへ。
あの日、成田でサインをねだるだけだった青年もそれなりに歩みを進めて、ようやく、あなたのキャリアの到達点をこの目でちゃんと見ることができました。
それがまず、何よりも嬉しいです。
今日、正直いってプレーは自他ともに満足なものではなかったのでしょうが、自分への失望を隠せずベンチへ向かうあなたに贈られた、ジョゼ・アルバラーデのゴール裏からのチャントと拍手の山。
あれは、僕がずっとあなたに相応しいものだと信じてきたものです。
それを目の当たりにしたことで僕が得た幸福感は、初めてアンフィールドで聞いたYNWA、自身が身を投じ一部となった気になれるフィリップス・スタディオンの熱狂、そして有志みんなを代表するような気持ちとともに横断幕を掲げながらセンテナリオで浴びた、乾いた涼しい2月の風とも違います。
ずっと勝手に応援してただけの分際で何を分かったような口を、と自分でも思うのですが、やはり、応援していると言いつつも、その姿に何度も支えられていたのはファンである自分であること、それに感謝したいと、今日、アームバンドを巻いて周りを鼓舞するようにあなたを観て、改めて思ったのです。
何度、2014年のW杯の最後の守備固めの5分のためだけに1年を費やしたカタルシスが自分を奮わせ、勇気づけてくれたでしょうか。
スポルティングでのタイトル、足跡が、挫折や努力の価値を体現してくれたでしょうか。
そういった結果が、どれだけあのサインを自分ごとのように誇らしいものにしてくれたでしょうか。
あなたという選手がたまらなく好きで、それが高じて応援しているという属性だけで、どれだけ多くの人々と自分を繋いでくれたでしょうか。
セバスティアン・コアテスという選手を好きでいたことで、自分のこの12年ちょっとがこんなに豊かなものになるとは、想像のさらに外側を生きているような気がしてなりません。
モンテビデオからリスボンまで自分を連れ出してくれたことをはじめ、フットボール、そしてそれを通じた多くの出来事で、日々をとんでもなく楽しいものにしてくれたセバが腕章を巻いて堂々とプレーする姿を眼前で観ることができた喜びに、今夜は胸がいっぱいになっています。
そんな回想をとてもしょっぱく、少し生姜が効いたビファーナをかじりつつ、巡らせながら、味わい深いリスボンの夜をこの記事で締めたいと思います。
Believe in Seba!
<了>
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