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スパイスやハーブの思い出

子どもの頃、昭和60年ごろの我が家には、SBコショウ、七味くらいしかスパイスは使っていなかった。カレーといえば、バーモントカレールーで、粉末カレー粉は我が家にはなかった。コショウは肉魚に塩コショウ下味、ラーメンコショウ、うどんに七味くらいしかつかってなかった。外食でも卓上には塩、コショウ、七味、一味、山椒?くらいだったような…


ローリエとの出会い

小学生の頃、近所のキャンプで大鍋でカレーをつくった。野菜を切ったり、米を炊いたりと楽しかった記憶。そして、友達のお母さんが煮込んでる最中に葉っぱをカレーの鍋に入れた!衝撃だった。"ローリエはじめまして" だった。味の変化を理解できなかったが、この時からこの友達のお母さんは料理上手の称号が与えられた。のちにこのお母さんは、モロきゅうにもろ味噌ではなく、マヨネーズ&味噌をミックスしたソースでさらに我が家に衝撃をあたえた。

ローリエ、ローレル、月桂樹

ブラックペッパー

カリカリッと木製のコショウミルがほしくてたまらなったガキんちょだった。「世界の料理ショー」という料理番組が大好きだった。たしか毎週土曜日夕方だったような… おしゃべりしながら雑に料理して、鍋にワインを入れるついでに自分も飲み、番組の最後にスタジオ観覧者のうち1名を招きいれて試食するのが恒例だった。洋食に憧れたな~♪憧れのミル^_^だが当時、我が家には憧れの"コショウミル"が登場することはなった。

懐かしい♪この番組今でもYouTubeで見れるのがうれしい。今でも十分楽しめる。


料理漫画

ちょっと脱線…友達に家で“スーパー食いしん坊”を読んでから料理漫画にはまった。クッキングパパ、美味しんぼは今でも大好き♪

荒岩一家あこがれる♪

ナツメグ

おそらくTV「世界の料理ショー」を見て煮込み料理が作りたかったのだろう。肉にはナツメグの知識を得て、このころなんでもナツメグを肉に振っていた。生姜焼き、とんかつ、から揚げに…豚、鶏、牛…なんにでも振った。デミカンを使いたくて手羽元、野菜、赤玉ワインで煮込んで近所に配った記憶がある。あの頃ご近所さんにおっそわけはあたりまえだった。デミカンと手羽元⁈ 組合せがすごい^o^ 怖いもの知らずとはこの子を言うのでしょう。ご近所の評価は覚えていない…記憶から消したのか( ̄▽ ̄)

今でも健在ハインツのデミカン

ガラムマサラ

パキスタンのお土産で怪しい粉のスパイスMIXがたくさん家に登場した。オヤジが家のカレーに入れてみろっ!って言うから入れてみた!そのカレーは辛くて子供達は皆食べれなくなった。大人たちもこの粉はその後戸棚の奥に封印した。カラムーチョがまだ激辛と言っていた時代……世間には辛いレベルが今ほどではなかった。その後この粉は、子供達の罰ゲームにしか使われなかった。  もったいなっ…

使いこなせない時代

パセリ

添えるよね、でも食べないよね…  振るよね、なんにでも振るよね…
緑の色味が大事なんだろうけどザコ扱い…青のりの方が仕事する。だがしかし!アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノが世に現れた!本来イタリアンパセリだがこのまるまるしたカーリーパセリでも十分部役割をはたすハーブに格上げされた。ありがとうアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノさん。

カーリーパセリ

ターメリック

この黄色いカレーとの出会いは、地元の食堂だった。SBカレー粉などの粉を使うのは蕎麦屋や定食屋、洋食屋さんだった。家は基本市販のカレールーでバーモントやジャワなどが主流だったと思う。ターメリックやクミンがメインのカレー粉と小麦粉を炒めて作るこのカレーはやや物足りなさを感じた記憶がある。今は絶滅グルメの位置かもこのカレー?! 地元の食堂も二代目になりこの色味カレーはやってないかも。最近体がほっしてる…ウコンを…

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