今月の所感:かもしれない運転

ぼんやりと昨今の時世を眺めていると、大抵の人たちは「自分だけは大丈夫だろう」という根拠のない自身に満ち溢れていて、それが行動の基準となっているように見えてきた。いわゆる危機感がないってやつ。

よく「車を運転するときはかもしれない運転を心がけましょう」と言われている。自分は、これは別に車の運転に限った話ではなくて、もはや日常を過ごす過程で欠落してはいけない考え方の一つなんじゃないかと思っている。

そして、この「かもしれない」というもののほとんどは、私たちの想像の範疇外から襲い掛かってくることの方が圧倒的に多いように思える。
体感、体感だけど。

例えば、電車に乗ってたら同じ車内で刺青をしたいかついおっさんがタバコを吸い始めるかもしれないし、見ず知らずのジジイにいきなり怒鳴られるかもしれないし、ダイソーにお目当ての商品はないかもしれない。

これらを非現実的だと思う人たちは恐らく、「かもしれない」が足りてないのだと、ふと考えるようになってきた。

自分は決して「かもしれない運転」ができているとは言えない。

けれども、最大限の注意をして日々を過ごさないといけないということだけは、心のどこかで理解している。覚悟をしておかないと、納得いかないことを飲み込むのには相当な時間と労力が必要になるだろうから。

ここができていないと、遠くない未来の途中で訪れる理由のない脅威によって殺されても、何ら文句は言えないと思う。自然災害とか特にね。

つまるところ、理不尽っていうのは、九割九分九厘の確率で訪れるものなんじゃないかな。

そう思いながら、自分は今日も坂道で自転車を飛ばす。


Mitsuhoshi

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