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本能寺の変1582 見えてきたもの 12 信長の油断 第1~12話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

見えてきたもの 

12 信長の油断 第1~12話 

はじめに ←目次 ←見えてきたもの 目次 第1~12話 ← 
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重要 ◎目次 
→重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 

信長は、猜疑心が強く、用心深い。

つけ入る「隙」を見せない男であった。

 なれど、完全無欠にあらず。 
 稀にではあるが、「隙」を見せることがあった。
 光秀は、そのことを知っている。

 【参照】見えてきたもの 2 人物像 1 信長の人物像 

光秀は、忍耐強く、粘り強い。

信長の「隙」を窺っていた。

 光秀は、出来る男。
 洞察力に優れていた。
 光秀は、信長の性格を知悉していた。

 【参照】見えてきたもの 2 人物像 2 光秀の人物像

「武田効果」

 信長は、絶大な自信をもっていた。
 「武田効果」
 天下統一は、目前にあった。
 だが、この成功体験が裏目に出る。

「人間五十年」

 敦盛の一節。
 これが信長の生き様であった。
 信長は、己の人生と重ね合わせた。
 信長は、「五十年」を強く意識していた。
 信長は、この年、四十九歳。
 となれば、尚更である。

 【参照】◎第2話  第2話
     ◎第4話  第4話

「信長のさらなる夢」

 信長は、目的意識の強い人物だった。
 揺ぎ無い自信。
 「天下布武」は、間もなく終わる。
 ならば、その次、・・・・・。
 信長には、「さらなる夢」があった。
 このことが、それに、さらに、拍車をかけた。

 【参照】◎第2話  第2話

「焦り」

 順風満帆。
 全てが、順調に進行していた。
 だが、却って、そのことが、・・・・・。

 信長は、先を急ぎすぎた。
 「五十」までに、「天下布武」を、成し遂げねばならぬ、・・・・・。

 それが、「焦り」となった。

そこに、「隙」が生まれた。

これ、すなわち、「油断」。

 信長、一生の不覚。
 信長は、冷静さを失っていた。

光秀は、信長が上洛するとの情報を入手した。

 光秀は、機を見るに敏な男。
 信長の上洛情報をいち早くキャッチした。
 「・・・・・」
 なれど、すぐには、動かず。

光秀は、「誘い」をかけた。

 光秀は、信長を欺いた。
 「誘い」
 光秀は、軍勢の一部を中国へ向けて出発させた。

 光秀は、信長の性格をよく知っていた。 
 信長は、報告を待っている。
 おそらく、このことを信長へ報せたのではないか、・・・・・。
 光秀は、マメな男。
 すべて、いつもの通りである。 

 【参照】◎第1話  第1話 『信長公記』
 【参照】見えてきたもの 2 人物像 2 光秀の人物像

信長は、わずかな供廻りで、京に入った。

 まるで、吸い込まれるが如く。

信長は、本能寺を宿所とした。

 これまた、いつもの通り。

信長は、無防備だった。

 警固は、手薄。

信忠は、妙覚寺にいる。

これもまた、無防備だった。

 警固は、同。

 他、洛中に分宿。

信長は、家康に配慮した。

家康は、上洛することになっていた。

 信長は、富士を遊覧した後、家康の領国、遠江・三河を横断して、安土へ
 帰っている。
 この時、光秀も、これに、同行していた。
 その時の様子を見れば、そのことがよくわかる。

 光秀は、信長の性格をよく知っていた。

 【参照】見えてきたもの 2 人物像 2 光秀の人物像

家康は、暗殺を怖れていた。

 これについては、後述する。

光秀は、亀山にいた。

 逐一、報せが入った。
 光秀は、信長父子の行動を完全に把握していた。

西に光秀、東に信長。

二人の間は、わずか四里16km。



 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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