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本能寺の変1582 重要 ◎第11話 240116 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第11話 240116 

4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 3/7 

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重要 ◎目次小 
見えてきたもの 目次 
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 10① ◎ 10② ✓ 11 ◎ 12 ◎ 13 ◎ 14 ◎ 15 ◎ 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正 240116

 信長の人物像 粛清の人 不意を衝く 恐ろしい男 絶対専制君主
        報告重視
 信長の性格  執念深い 忍耐強い
 光秀の人物像 出来る男 器量人 家臣らの手本 洞察力 報告能力
        信長を知悉
 光秀の苦悩  粛清の怖れ
 秀吉の人物像 出来る男 器量人 同じ穴の狢 同類 洞察力
        信長を知悉 粛清の怖れ 
 時代の風潮  粛清 不意討ち 叔父暗殺 織田信光 弟殺害 織田信勝
        重臣追放 佐久間信盛 裏切り 戦国時代

重要 ◎目次小 第11話

◎信長は、粛清の人。

◎信長は、不意を衝く。

◎一、叔父、織田信光。

 不慮の死、暗殺。
 これについては、後述する。

◎一、弟、織田信勝。

 仮病、殺害。
 【参照】4光秀の苦悩 3信長の猜疑心   小
   第9話
  
 ◎織田信勝の一件。
   ◎前にも、同じことがあった。
   ◎信長は、警戒していた。            『信長公記』
   ◎信勝、謀叛。                 『信長公記』
   ◎信長は、病を装った。             『信長公記』
   ◎信勝は、油断した。              『信長公記』
   ◎信長は、信勝を殺害した。           『信長公記』
 これについては、後述する。

◎信長は、恐ろしい男。

 なのである。
 以下、順に説明する。

◎信長は、信盛を叱りつけた。

 信長の激しい気性が滲み出ている。 

◎その時の折檻状である。

 全十九ヶ条。
 長文である。

  爰(ここ)にて、佐久間右衛門かたへ、御折檻の条、
  御自筆にて仰せ遣はさるゝ趣、

◎信長は、忍耐強い。

◎信長は、執念深い。

◎信長は、長い間、我慢していた。

 鬱積していた感情が、ここで一気に噴き出した。
 「この五年間」、「佐久間父子」は「緩怠」だった、と言い切った。
 織田家の宿老として、また指揮官として、不適格との烙印を押したので
 ある。

     

  一、父子、五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、
    世間の不審余儀なく、
    我々も思ひあたり、言葉にも述べがたき事。

◎佐久間信盛の油断。

◎信盛は、そのことに気づかなかった。

 信長は、信盛が手を抜いていると思っていた。
 しかし、信盛は、光秀・秀吉・勝家とは違うタイプの人物だった。
 波長が合わないのである。
 信長とは、全く違う周波数の持ち主だった。
 信長は、それでも、待った。
 気づくことを期待して。
 そして、この日。
 「突然」
 信盛の不意を衝いた。
 不幸なことである。
  一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇(武辺)にも構へず、
    調儀・調略の道にも立ち入らず、

    たゞ、居城(いじろ)の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り侯へば、
    彼の相手、長袖(坊主)の事に侯間、
    行く々々は、信長威光を以て、退くべく侯条、

    さて、遠慮を加へ侯か。

 
信盛は、あまりにも消極的すぎた。
 天王寺砦に立て籠もるばかり。
 早期終結のために、何ら手を打たなかったのである。
 今や、織田家は大組織。
 信盛は、その家臣団の頂点にいた。
 「己の立場を考えよ」
 そういう事、だろう。
 「示しがつかぬ」
 信長が激怒するのも、わかるような気がする。

    但し、武者道の儀、各別たるべし。

    か様の折節、勝ちまけを分別せしめ、一戦を遂ぐれば、
    信長のため、且つ父子のため、諸卒、苦労をも遁(のが)れ、
    誠に本意たるべきに、

    一篇に存じ詰むる事、分別もなく、未練疑ひなき事。

◎光秀は、出来る男。

◎光秀は、器量人。

◎信長は、光秀を褒め称えた。

 信盛を、光秀に比較して見ていたわけである。

 信長は、光秀の積極的な姿勢を誰よりも高く評価していた。
 織田家は、急拡大・急成長を続けていた。
 その先駆けとなったのが明智光秀。
 謂わば、光秀は織田家中の牽引者。
 すなわち、出世頭だった。

  一、丹波国、日向守が働き、天下の面目をほどこし侯。

◎次に、羽柴秀吉。

◎秀吉も、出来る男。

◎同、器量人。

 光秀が、一歩、先んじていた。

◎秀吉は、光秀をマークしていた。

◎同じ穴の狢(ムジナ)。

 秀吉は、油断できぬ相手。   

    次に、羽柴藤吉郎(秀吉)、数ヶ国比類なし。

◎即ち、同類である。

 信長と、光秀・秀吉。
 類は、友を、・・・・・。
 否、「同類」を呼び寄せるのである。

◎信長は、絶対専制君主。

◎信長は、二人の器量人を使いこなした。

 発掘し、登用・抜擢して、・・・・・。
 そして、やがて、この二人に、裏切られる、・・・・・。
 戦国時代とは、この様な時代だった。

◎信長は、二人を競わせた。

 自ずと、そうなったのであろう。

◎競争の原理。

 結果として、導入したことになる。

◎組織の活性化。

 後につづく者たちが、次々に、現れた。
 当然、そうなる。
 池田恒興、然り。

    然うして、池田勝三郎、小身といひしも、
    程なく、花熊申し付け(花隈城を攻略した)、
    是れ又、天下の覚えを取る。

 それに引き換え、信盛は、・・・・・。

    爰(ここ)を以て、我が心を発し、
    一廉(ひとかど)の働き、これあるべき事。

◎光秀は、家臣らの手本だった。

 信長は、光秀を基準にして、家臣らを評価した。
 光秀は、実に、好ましい存在だった。
 織田家中に、大きな刺激を与えた。

 柴田勝家は、その活躍を見て発奮した。
 越前を領していながら、天下の評判を気に懸けて。
 見事、加賀の攻略を成し遂げた。

  一、柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知ながら、
    天下の取沙汰(評判)、迷惑に付きて(気に懸けて)、
    此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付くる事。

◎信長は、報告を重んじた。

 信長は、信盛の不甲斐なさに憤りを感じていた。

 特に、コミュニケーションの拙さを指摘している。
 大坂攻めの総指揮官としては、致命的欠陥だった。
 少しは光秀を見習え、と言っているのである。

  一、武篇道ふがひなきにおいては、
    属託を以て(人を使って)、調略をも仕り、
    相たらはぬ所をば、我等にきかせ、相済ますのところ、
    五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。

◎信長は、光秀の報告のあり方に満足していた。

 信長は、信盛と、意思の疎通がうまく出来ていなかった。
 織田家中は、命令と報告で成り立っていた。
 信長は、命令し、報告を受け、的確に現状を認識する。
 それも、同時に、多方向へ。
 そして、〃 〃、多方向から。
 
 光秀ならば、・・・・・。
 信長は、苛立っていた。
 
  一、やす田(保田安政)の儀、
    先書注進、彼(大坂)の一揆、攻め崩すにおいては、
    残る小城ども、大略退散致すべきの由、紙面に載せ、父子連判候。

    然るところ、一旦の届けこれなく、
    送り遣(つか)はす事、手前(信盛)の迷惑、
    これを遁(のが)るべしと、事を左右に寄せ、
    彼是(かれこれ)、存分申す(信盛が安政に)やの事。
                           (『信長公記』)

 これについては、後述する。

◎光秀は、洞察力に優れていた。

◎光秀は、信長の性格を知悉していた。

◎光秀は、粛清を怖れた。

◎秀吉、これに同じ。




 ⇒ 次へつづく

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 原因・動機の究明は、この一歩から!!

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 「本能寺の変」
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