見出し画像

本能寺の変1852 その一因 一、土佐の長宗我部 小50①~⑥ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、土佐の長宗我部 小50①~⑥ 

はじめに ←目次 ←その一因 目次 ←一、土佐の長宗我部 ← 
重要 ◎目次 重要 ◎目次小 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親  
見えてきたもの 目次 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
*加筆修正 

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話① 小50①

 天正三年1575。
 
四国。
 長宗我部元親が、土佐を統一した。

 天正六年1578。
 
元親は、信長と誼を通じた。           「土佐国蠧簡集」
 信長は、元親の嫡男弥三郎に「信」の一字を与えた。
 阿波の三好は、共通の敵。
 光秀は、土佐の長宗我部氏を味方につけた。
 光秀は、元親の取次となった。          「土佐国蠧簡集」
 「猶、惟任申すべく候也」
 本願寺の勢力が最強だった時期である。
 長宗我部元親は、四国制覇を目指していた。
 元親は、「同じ穴の狢」。
 信長の同類である。
 二人は、ともに、領土拡大主義者。
 信長の肚。
 光秀は、「信長の肚」を知っていた。
 長宗我部元親も、これに同じ。
 両者の利害は、完全に一致した。
 「明智の将来は、明るい」、はず、だった・・・・・。

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話② 小50②

 天正八年1580、春。
 
本願寺が降伏した。                 『信長公記』
 信長は、朝廷を利用した。              『信長公記』
 本願寺は、宗門の生き残る道を選択した。       『信長公記』
 顕如は、石山退去の日を定めた。           『信長公記』

 ここで、状況が一変した。
 信長が変心したのではない。
 状況が変わったのである。
 元親、一歩、及ばず。
 信長は、四国へ目を向けた。
 先ずは、阿波。
 信長は、猜疑心が強い。
 元親の軍事力を抑制しようと考えていた。
 「災いの芽は、摘み取らねばならぬ」
 信長は、誇り高い男。
 本願寺を降した男である。

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話③ 小50③

 同年、夏。
 長宗我部元親は、安土へ、使者を派した。
 信長は、元親に、新たな方針を示した。    「香宗我部家伝証文」
 「三好式部少輔の事」            「香宗我部家伝証文」
 信長は、三好康長を起用した。
 信長は、康長を三好宗家の当主に仕立てた。
 康長にとっては、三好家復興の大チャンス。
 信長は、元親の、これ以上の領地拡大を望んでいない。
 光秀に、逆風が吹き始めた。
 信長は、四国問題に介入した。
 「猶、三好山城守、申すべく候也」
 この一言から、始まった。 
 それは、やがて、あの大事件へと発展していく。
 天正十年1582、六月二日未明。
 「本能寺の変」

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話④ 小50④

 三好康長が動き出した。           「香宗我部家伝証文」
 「仍って、阿刕表の儀に就きて」       「香宗我部家伝証文」
 その背後には、信長がいる。         「香宗我部家伝証文」
 信長は、「天下人」。            「香宗我部家伝証文」
 信長は、長宗我部元親と三好康長に和睦を命じた。「香宗我部家伝証文」
 これすなわち、停戦命令。          「香宗我部家伝証文」
 斯くなれば、阿波は、二分される。      「香宗我部家伝証文」
 元親にとっては、一大事。
 光秀は、香宗我部親泰と話し合った。
 信長と元親は、友好関係にある。           『信長公記』
 元親は、まだ、このことを知らず。

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑤ 小50⑤

 長宗我部元親の夢は、潰えた。
 元親は、領土拡大主義者 (第50話①) 。
 予期せぬことでは、なかった。
 しかし、余りにも早すぎた。
 元親は、これに反発した。
 全ては、想定通り。
 光秀の説得交渉が始まった。
 最大のネック。
 説得交渉の成否が意味するもの。
  ①交渉が成功すれば、・・・・・。
  ②交渉が失敗すれば、全く、その逆である。
   「役に立たねば捨てられる」
   光秀に、粛清の怖れが生ずる。
 交渉は、遅々として進まず。
 信長は、光秀に、十分な時間を与えていた。
 交渉は、暗礁に乗り上げた。

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑥ 小50⑥

 天正十年、正月。
 
最後の使者。
 石谷頼辰が土佐へ向かった (「石谷家文書」) 。
 中国攻めは、「来秋」である (「細川家文書」) 。
 光秀には、十分な時間があった。
 秀吉の躍進が著しい。
 光秀は、最悪の事態を想定した。
 ならば、中国出陣は、如何に、・・・・・。
 その日が、明智の将来を決する日になる。
 ならば、手立ては、如何に、・・・・・。
 取るべき手立ては、ただ一つ。
 それが、光秀の、行き着いた結論であった。
 なれど、信長は、・・・・・。
 光秀は、苦悩していた。
 光秀の心は、重く沈んでいた。



 ⇒ 次へつづく


NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

テーマ別 目次 が更新されました。

 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?