本能寺の変1582 重要 ◎第132話③ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第132話③
15 信長の台頭 4光秀と長宗我部元親
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132 ◎
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正
【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親
長宗我部元親は、重要人物の一人。
「本能寺の変」、その一因となった。
光秀に大きな影響を及ぼした。
その結果が、「本能寺の変」である。
そう、考える。
要注意人物!!
注目されたい。
香宗我部親泰は、対織田外交の窓口だった。
「親泰は東表の軍代を給う」、とある。
天正八年1580。
親泰は、元親の使者として、安土を訪ねた。
この時、親泰は、光秀に会った。
【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
◎第50話③ ◎小50③ ◎P50③ 通し 第50話 小
◎第50話④ ◎小50④ ◎P50④ 通し 第50話 小
【参照】12 光秀と斎藤道三 2光秀と長宗我部元親
◎第82話① ◎小82① ◎P82① 通し 第82話 小
天正九年1581。
元親、承服せず。
交渉が、難航していた。
【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
◎第50話⑤ ◎小50⑤ ◎P50⑤ 通し 第50話 小
天正十年1582。
正月 光秀は、石谷頼辰を土佐へ派した。
【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
◎第50話⑥ ◎小50⑥ ◎P50⑥ 通し 第50話 小
【参照】12 光秀と斎藤道三 2光秀と長宗我部元親
◎第82話① ◎小82① ◎P82① 通し 第82話 小
二月 信忠、甲斐へ出陣。
三月 信長、甲斐へ出陣。
光秀、同。
武田、滅亡。
「武田効果」
四月 信長、帰陣。
光秀、同。
光秀は、苦悩していた。
光秀の心は、重く沈んでいた。
【参照】8 光秀の苦悩 1守るべき者
◎第47話 ◎小47 ◎P47 通し 第47話 小
◎第48話 ◎小48 ◎P48 通し 第48話 小
◎第49話① ◎小49① ◎P49① 通し 第49話 小
◎第49話② ◎小49② ◎P49② 通し 第49話 小
【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
◎第50話⑥ ◎小50⑥ ◎P50⑥ 通し 第50話 小
【参照】12 光秀と斎藤道三 2光秀と長宗我部元親
◎第82話① ◎小82① ◎P82① 通し 第82話 小
五月 事態急変。
一、四国出陣命令。
一、中国出陣命令。
石谷頼辰、未だ、帰らず。
足蹴事件。
前後の流れを見るに、・・・・・。
おそらく、光秀は、信長に、四国出陣の延期を懇請したものと
思う。
「せめて、頼辰の帰るまで」、・・・・・。
為すべきことは、全て、為した。
打つべき手は、全て、打った。
光秀は、追い込まれていた。
「最後の手段」
他に、方法がなかった。
信長は、誇り高い男。
光秀は、その事を、重々、承知していた。
光秀、一生一度の願いであった。
信長に仕えて、十五年。
これまで、信長のために、命を賭して、尽くしてきた。
それに免じて、「上様は」、・・・・・。
光秀は、甘かった。
時分勝手な、思い上がりであった。
光秀は、信長の逆鱗に触れた。
信長は、己の命に従わぬ者を、決して、赦さないのである。
同二十一日 元親、受諾する。
同二十九日 信長、上洛。
石谷頼辰、終に、間に合わず。
「万事休す」
六月一日 中国出陣の日。
同二日未明、「本能寺の変」。
⇒ 次へつづく
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これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
重要 ◎目次 が更新されました。
「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
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視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!!
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