本能寺の変1582 重要 ◎第3話 240119 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第3話 240119
1信長、死す 是非に及ばず 3/3
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*加筆修正 240119
◎信長は、弓を取った。
程なくして、弦が切れた。
押し寄せる敵。
明智の兵、兵、兵。
さながら、雲霞の如し。
信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし侯へば、
何れも、時刻到来侯て、御弓の絃(つる)切れ、
◎次、槍。
だが、負傷した。
奥へと退く。
「その時」が迫っていた。
其の後、御鎗にて御戦ひなされ、
御肘に鎗疵を被(こうむ)られ、引き退き、
◎女は、くるしからず。
信長は、女たちを脱出させた。
是れまで御そばに、女どもつきそひて居り申し侯を、
女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、
追ひ出させられ、
家臣らは、懸命に堪(こら)えた。
「上様の御ために」
時間を稼ぐ。
次第に、煙が立ち込めて。
・・・・・。
ついに、「その時」がやって来た。
◎本能寺、炎上。
御殿に火の手が上がった。
既に、御殿に火を懸け、焼け来たり侯。
◎信長は、納戸に入った。
ここが最期の場所となる。
己の死に様を見せたくなかった。
御姿を御見せ有る間敷(まじ)きと、思し食(め)され侯歟(か)、
殿中奥深く入り給ひ、
内よりも御南戸(納戸)の口を引き立て、
◎夢幻の如く也。
燃え盛る炎の中で。
自らの命を絶った。
無情(なさけなく)、御腹めされ、
(『信長公記』)
程なく、本能寺は焼け落ちた。
全てが灰燼に帰す。
◎享年、49。
斯くして、信長の「天下布武」は終わった。
実に、あっけない最期であった。
諸行無常。
万物流転。
時は、流れるを止めず。
その終焉は、次代の始まりにすぎない。
戦国の世は、つづく。
⇒ 次へつづく
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