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本能寺の変1582 重要 ◎第50話⑤ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第50話⑤ 

8光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
その一因 目次 
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 50 ◎ 
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。 
*加筆修正 

結果、元親の夢は、潰えた。

 上意下達。
 「否も、応も、なし」、である。

予期せぬことでは、なかった。

 元親とて、戦国武将。
 故に、それはいい。

しかし、余りにも早すぎた。

 「まだ、先のこと」
 「それまでに」
 「四国一統」
 そう、考えていた・・・・・。

 元親は、困惑した。
 一大事、である。

元親は、これに反発した。

 そのために、多くの将兵を失った。
 命を賭して戦ってきた家臣らの手前もある。
 おいそれと、承諾するわけにはいかぬのである。
 これを、「意地」と言うのならば、そうであろう。
 それが、この時代。
 「戦国時代」、なのである。

全ては、想定通り。

 光秀は、そう、思っていた。
 それ故、ここまでは、良かった。
 なれど、・・・・・。

光秀の説得交渉が始まった。

 石谷頼辰・斎藤利三兄弟がこれに当たった。
 土佐は、「遠い」。
 往来には、難渋をきわめた。

説得交渉の成否が意味するもの。

 ①交渉が成功すれば・・・・・。

  元親は、信長の、西国における、強力な味方。
  これにより、信長の、天下統一が大いに早まる。
  これすなわち、光秀の大手柄。
  光秀は、出来る男。

  明智の将来は、いよいよ、明るい。  

 ②交渉が失敗すれば、全く、その逆である。

  元親は、信長の、西国における、手強い敵。
  これにより、信長の、天下統一が大きく遅れる。
  
すなわち、信長の足を引っ張ることになる。
  となれば、光秀の失敗。
  光秀は、敵をつくった男=役に立たぬ男。

  「役に立たねば捨てられる」

  光秀に、粛清の怖れが生ずる。

  
明智の将来は、きわめて、危うい。

交渉は、遅々として進まず。

 光秀は、焦りつつも、粘り強く吉報を待った。
 元親ほどの人物、である。
 道理のわからぬはずはない。
 の、である。

 これが、~ 天正九年1581の夏頃まで。

 同九年、八月。
 光秀は、中国出陣を命じられた。
 だが、この時は、実際の出陣はなく、待機したのみ、で終わった。
 この様なことがあった。

 「有為転変は、世の習い」
 いつ、どこで、何が起きるのか。
 誰にも、わからない。

信長は、光秀に、十分な時間を与えていた。

 信長が、光秀に、催促するようなことはなかった。
 光秀は、「失敗しない男」、なのである。 

交渉は、暗礁に乗り上げた。

 すなわち、膠着状態。
 これが、天正九年1581の秋以降 ~ 。

 時代は、確実に、動いていた。



 ⇒ 次へつづく

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