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本能寺の変1582 第103話 13上総介信長 5清洲乗取り 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第103話 13上総介信長 5清洲乗取り 

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清洲織田氏が信光を調略した。

 同、天文二十三年1554。
 春。

 こちらは、清洲城。
 城主は、守護代織田彦五郎。
 その小守護代が坂井大膳である。
 打ち続く、負け戦。
 清洲織田氏は、多くの重臣を失った。
 信長に圧倒され、劣勢に陥っていた。
 そこで、窮余の一策。
 「調略」
 信長の叔父、織田信光へ手を伸ばした。
 大盤振る舞いである。
 好条件を呈示した。

  一、清洲の城、守護代織田彦五郎殿とてこれあり。
    領在*の坂井大膳は、小守護代なり。
    坂井甚介・河尻左馬丞・織田三位、歴々、討死にて、
    大膳一人しては、抱えがたきの間、

    此の上は、織田孫三郎(信光)殿を憑(たの)み入るの間、
    力を添へ侯て、彦五郎殿と孫三郎殿、両守護代に御成り侯へと、
    懇望申され侯のところ、

      *意味不明

信光は、これを容れた。

 否、そう、信じ込ませた。
 中々の策士である。

    坂井大膳好みの如くとて、表裏あるまじきの旨、
    七枚起請を大膳かたへつかはし、相調(ととの)ひ侯。

 そして、信長へ。

信長は、清洲城乗っ取りを策した。

 信長は、これを逆手を取った。
 「謀略には、謀略を以って」
 で、ある。
 裏の裏を掻いた。

 信長と信光の間には、密約があった。

信光が清州城に入った。

 「南矢蔵」、とある。
 坂井大膳は、味方するものだと思っていた。
 「七枚起請」
 信光は、まんまと、大膳を欺いた 

  一、四月十九日、守山の織田孫三郎殿、清洲の城南矢蔵(倉)へ御移り。
    表向は、此の如くにて、

信長は、信光に、好条件を示していた。

 成功すれば、下四郡の全てが手に入る。

    ないしんは、信長と仰せ談ぜられ、
    清洲を宥(なだ)め取り進(まいら)せらるべきの間、

 その内の二郡を、信光に、分け与える約束をしていた。

    尾州下郡四郡の内に、於多井川(庄内川)とて、
    大かたは、此の川を限りての事なり。

    孫三郎殿へ渡し参らせられ侯へと、御約諾の抜公事なり。

    此の孫三郎殿と申すは、信長の伯父にて侯。

    川西・川東と云ふは、尾張半国の内、下郡二郡。
    二郡づつとの約束にて侯なり。

信長は、清洲城を手に入れた。

 信光の勲功、大なるものがあった。

  一、四月廿日、
    (信光は)
    坂井大膳、御礼に、南やぐらへ御礼に参り侯はゞ、
    御生害なさらるべしと、
    人数を伏し置き、相待たるゝのところ、

坂井大膳は、今川義元に通じていた。

 駿河へ逐電した。

    城中まで参り、冷(すさま)じきけしきをみて、
    風をくり、逃げ去り侯て、
    直ちに、駿河へ罷り越し、今川義元を憑み在国なり。     

信長の下剋上である。

 清洲織田氏は、主筋である。
 その当主を自害へ追い込んだ。

  守護代織田彦五郎殿を推し寄せ、腹をきらせ、清洲の城を乗取り、
  上総介信長へ渡し進せられ、孫三郎殿は那古野の城へ御移り。

信光は、不慮の死を遂げた。

 ところが、・・・・・。
 その半年後。

  其の年の霜月廿六日、不慮の仕合せ出来(しゅったい)して、
  孫三郎殿御遷化。
  忽(たちま)ち、誓紙の御罰、天道恐ろしきかなと、申しならし侯ひき。

余りにも、都合が良すぎる。

 太田牛一は、「幸運だった」、と言っている。
 サッと流した、の感。

  併しながら、上総介、政(まつりごと)、御果報の故なり。
                          (『信長公記』)

信長は、尾張下四郡を丸々手に入れた。

 余りにも、出来すぎた話ある。

信長は、禍根を絶った。

 信長は、先手をうった。
 「暗殺」
 恐ろしい、時代であった。
 「禍根」
 絶たねばならない。
 「油断」
 殺さねば、殺される。

信長は、末恐ろしい男だった。

 信長ならば、やりかねない。
 この時、二十一歳。
 「手段を選ばず」
 末恐ろしい男である。

 しかし、これを裏付ける、確たる史料がない。
 限りなく、「黒」に近い「灰色」である。
  


 ⇒ 次へつづく 第104話 13上総介信長 6道三の最期 






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