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本能寺の変1582 その一因 一、武田効果 小46 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、武田効果 小46 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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その一因 一、武田効果 第46話

 【参照】その一因 一、武田効果
 【参照】信長の甲斐侵攻 2信忠、諏訪進出 
     ◎第46話  ◎小46   ◎P46  通し  第46話 

 勝頼は、田野に追い込まれた。        ◎第46話『信長公記』
 勝頼は、覚悟を決めた。           ◎第46話『信長公記』
 噫、哀れなる勝頼かな。           ◎第46話『信長公記』

 この時、勝頼を追い詰めていたのが滝川一益である。
 信長は、一益に手柄を上げる機会を与えた。
 
それが、勝頼の首。

 そして、その褒美として、上野一国を与え、
 あわせて、関東の警固と東国の取次を申し付ける。
 これが、信長のやり方なのである。

 となれば、中国攻めも、これに同じ。
 その対象となるのが明智光秀ということになる。
 すなわち、光秀には、「国替え」が予定されていた。

 信長の志向は、「さらなる夢」。
 光秀の志向は、「国々は、猶、長閑なる時」。
 二人の志向は、大きく相違していた。

 「武田効果」

 次は、中国、「毛利」。
 斯くなれば、天下統一は、成る。

 
光秀には、先が見えた。
 「国替え」は、「さらなる夢」を実現するための準備にすぎない。

 これすなわち、明智存続の危機。
 これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。

 
石谷頼辰、未だ、帰らず。
 「万事休す」

 信長、上洛。

 信長の油断。

 光秀の決断。

六月二日未明、「本能寺の変」。




 ⇒ 次へつづく

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 「本能寺の変」
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