ナカツギ話 その1 変化が始まる(後継娘なんて言わせない)
ナカツギ話のことを少しずつ書いていこうと思います。(アトツギとなると重いので未来へのナカツギという感覚)
昨年2月に、久しぶりに会社に行ったら、知らんうちに筆頭株主かつ取締役になっててあまりに驚いて口があんぐり、で、その後激怒したわけは、10年前に倒産しそうになった時にお金と口を出したら「もう口を出すな」と言われて「2度とやらない もう会社のことには一切関わらない」と言ったのに、なんすの?
え、いつからなの?
誰がハンコ押したの?
なんすの?
なんですのーーーーー!!
激おこぷんぷん丸って昔ありましたね
で、しばし怒ってたのですが怒ってても仕方ないので現状を把握してみると、
赤字体質変わらず、働けど働けど我が暮らし楽にならず、
10年前と変わってないってどういうこと?と。
誰に聞いても理由がわからない。
損益分岐点はどこ?
固定費、変動費はどれ?
誰も把握してないってどう言うこと?
戦略とか、計画とかないの?
仕事のコントロールってされてないの?とおどろき、、、
みんなの話を一人一人聞き、どうしていこうかなぁ、と空を見上げたのが昨年の3月
そこから、zoomで繋ぎながら社員さんに現状を理解してもらって、仕事は個数✖️単価だから、単価を上げるしかないのではないかと提案。
聞いてみると10年以上値段をあげてないのもあるらしく、「今までそうだったから」でそのままになってきてしまったとのこと。
手間とレベルや要求が高くなっているのに、変わらないって変じゃない?と
「値上げしてきて」というところからスタート。
で、そんなことは無理だ、という父
そんなことをしたら仕事がもらえなくなる、という
いやいや
うちの会社が潰れたらそのメーカーも困るわけで、、、
昨年の4月は、世の中的にも値上げの時だったから、丁寧に話せばわかってくれるはずと営業さんにお願いして頑張ってもらった。
単価を上げる代わりに、ブランディングや言語化のお手伝いをする、など提案していたところ新しい仕事もいただけることになって、下請けとかOEMの立場から、パートナーとして歩めるようなそんな下地づくりが出来たのが昨年
社員さんたちの新しい試みでジュエリーツーリズムのイベントに出展するということで、
自分たちの想いやこだわりを言語化したりCAD体験をしてもらったりした
「こんな近所にジュエリー工房があったなんて知らなかった」
いい風が吹いてくる
たまたまいつもアクセサリーを購入させていただいていたmatsuyoiさんが、リングをつくれる工房を探しているということをフェースブックで見つけたのは、夏の頃
素晴らしい珊瑚や翡翠など、今まで扱わなかった素材にチャレンジしたり、その世界観をどんな風に表現しようか、とみんながウキウキ
職人さんたちのキラキラした顔を見てうれしい
そして、昨年は無事黒字!増収増益で何年振りかわからないぐらいの賞与も渡せるようになった
パチパチ
とはいえ、誰が継ぐか問題は重圧があっておもたーい雰囲気だった
誰に継がせるか、誰が継ぐかって借金を負わせるみたいな雰囲気
すると、ゆっこさん(江戸時代から続く呉服屋の会長)が、「みっちゃん、軽い軽い 100万を100個売ったら1億よ。そんなつまんないことで悩んでないでさっさと借金返せばいいわよ」と言う
軽井沢禅的リトリートでは、責任との付き合い方を変えた
「自分がなんとかしなくちゃ」を手放した
そりゃそうだなぁ、と思って
今年の3月、父に経営とマネジメントはやります、と話して社員さんたちに、未来についてを伝える
そのために
業務改善と新規事業へのチャレンジしましょう、と
情報を共有しながら進む、と決めたのでした
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