「ボクサー」


 ずっと前、小さなブラウン管テレビでファイティング原田の試合を見た。確かオーストラリアで、彼は三階級制覇を目ざして、ジョニーファメッションと戦った。ダウンを奪い、これはもうどう見ても勝ったと思ったが、主審の不可解な判定でそれは成らなかった。
 今はもう階級が細分化され、世界チャンピオン認定の団体も多く、それこそたくさんの世界チャンピオンがいるが、そういう意味でいうと、昔のチャンピオンの方が明らかに価値が高かった。

 ちょうど10歳上の従兄弟のTちゃんとは仲が良く、よく一緒に遊んでもらった。こちらが投手でボールを投げ、Tちゃんが捕手でそれを受けてくれた。たぶん、一番速いボールを投げられた頃だったと思う。当時好きだったジャイアンツの堀内投手を真似していた。今でも、ミットを構えているTちゃんの姿を覚えている。
 Tちゃんは大学でボクシングをしており、そのことについても色々教えてくれた。前に原田の試合を見ており、たぶんボクシングにはずっと興味を持っていたのだが、Tちゃんのおかげでさらにそれが増幅されたのだと思う。
 ジャブの打ち方、左から右ストレート、返しの左フック。鏡に向かって練習するのだよ、と教えてくれた。見よう見真似で鏡に向かった。
 中学生の頃、友人同士でオモチャのグローブをはめて遊んだ。ある時には、最初は遊びのつもりが、お互いの一発が当たるともう真剣勝負になってしまった。今でも鼻血が出た友人の、泣きそうになりながらもこちらを睨んでミットを構える表情をはっきりと覚えている。
 タイトル戦のわずか後に東名高速に散った大場政夫、シンデレラボーイのネーミングがよく似合った西城正三、雑草魂の小林弘、演技巧者カエル飛びの輪島功一、三度笠で登場したガッツ石松。日本でボクシングが一番盛り上がっていた頃には、個性的な選手が多く、皆それぞれに名チャンピオンだった。
 海外に目を向ければ、やはりモハメドアリに尽きる。学校の授業が終わり、汗をかいて帰宅してテレビをつけた。キンシャサでのフォアマンとの一戦だった。前評判は断然不利だったと思うが、試合巧者ぶりを発揮し、ラウンド中盤でKOした。ベトナム戦争時、自ら徴兵を拒否してチャンピオンベルトを奪われ、フレイジャーへの挑戦で復帰かなわずという変遷を経てのヘビー級トップへの返り咲きで、見ているこちらも歓喜した。
 その後は中量級に幾多のスターが出た。一番の贔屓だったシュガーレイレナードを中心に、ハグラー、ハーンズ、デュランとスターボクサーが目白押しで、どんな試合も素晴らしく、テレビの前で釘付けになった。


 一番新しい話題としては、何といっても二度目の井上ドネア戦だろう。井上尚弥の戦いの後のインタビューを聞いて、ここまで客観的に試合全体を俯瞰し、そして自分が何をしたらいいのかという適切な判断もでき、最後にインタビューでも観客、そして動画配信で見ている人への感謝を口にし、そのそつのなさに驚いた。団体が増えるとその数だけ世界チャンピオンもいる訳で、強者が統一に向かうというのは自然な流れだ。当然の流れで今後は4団体統一へむかうのだろう。


 少し成長してから本格的にというわけにはいかなかったが、大学での体育でボクシングをとった。東京オリンピックに出たSという人が教官だった。それぞれに、ボクシングを選んだ理由を書けというレポート課題が出され、今までのボクシング観戦を元にしていろいろ書いた。今から思えばよくあんな生意気なことが書けたと思う。本当のボクシングはプロだけで、ただポイントを奪い合うだけのアマチュアは本当のボクシングではない、と言い切った雑文だった。プロには進まなかったS教官にしたら、決しておもしろくないレポートだったろう。

 そして尚弥に戻る。たぶん、今までの日本のボクシングの歴史の中でファイティング原田に並ぶベストファイターだと思う。成績、相手を圧倒して試合を牛耳る力で言えば文句なく抜きん出ている。
 体重がパンチ力の源泉になるので階級制に分かれているが、パウンドフォーパウンドという全階級の格付けランキングがある。井上尚弥はそこで1位になり、そして今後はさらに高みを目指していくことになるのだろう。いずれ訪れる「老い」をどう克服していくのか。そんなことも含めて、今後の活躍にさらに期待したい。

 

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