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「最強」のシティから追った新参者の一年

 題名の通り、私はマンチェスターシティがトレブルという最高の栄誉を勝ち取ってから追い出した者の一人だ。周りからすれば山あり谷ありの歴史を肌で感じていないニワカに見えるだろう(私もその自覚はある)。それでも一年ずっと試合を見て自分なりに学びながら今季を見届けてきた。
 今はシーズン終盤で今年の締めくくりと成果を形に残すため、リーグとFAの二冠にスパートをかけている。どちらも獲れたら良いな。

 少しタイミングが早い気もするが、これはそんな「ど」の付く新参の私が見てきた2324シーズンのマンチェスターシティ、そして初めて足を踏み入れたサッカーという界隈に抱いた様々な感情の言語化である。



マンチェスターシティを好きになったきっかけ


 私が初めてマンチェスターシティに触れたのは去年の日本ツアーである。好きなアイドルがHTショーに出ると聞きつけて安くないチケットを買い、アイドルを撮影するためにデジカメをレンタルし、現場でアイドルオタクが浮かないようにとジャックのユニフォームまで買って、そんなお祭り気分で私は青い戦士達と出会った。
 プレシーズンだったので選手達は軽めのプレーだったかもしれないが、それでもマリノスとの乱打戦は見応えがあった。試合前に予習した選手達が生で動いているのが面白くて、「今あの選手がゴールした!」「あの選手のプレーが拍手された!」と、選手の顔が載っている新聞と照らし合わせながらオタク友達と盛り上がって、ゴールが決まる瞬間をカメラに収めたくて必死で試合を追った。気が付けば、目当てはアイドルだったはずなのに選手の写真の方が数えてみれば多かった。

(今思えば、ファンサがイケメンだったという理由でロドリを好きになった自分はどこまでもオタク脳なのかもしれない)

 この出来事は私の人生にとって趣味が増える大きな出来事だった。数週間後にはサブスクの契約を済ませていつでも観戦OKの自分がいて、ここまでのスピードはなかなか速かったように思う。



強くて面白い、それがありがたい


 マンチェスターシティがただ強いだけのチームだったら私はここまで好きにはなっていなかっただろう。私がこのチームを好きになったのは、その強さの中に色んな種類の面白さが詰まっていたからだ。

 まず、得点の重ね方や試合の作り方など、見ていてワンパターンの試合があまり無かった。有識者から見ると同じパターンもあったかもしれないが、組織力で綺麗に崩す事もあればタレントの爆発力で破壊してしまったり、劣勢の時も諦めずに食らいついて逆転したり。私が見ていなかった時間に積み重ねられたあらゆる手札を用いて、目の前の試合に向き合っていく姿はどれも新鮮だった。
 今年のシティはトレブルという最強になったシーズンのその後なので、新たな最強を探すシーズンだったかもしれない。周りのシティズンの方々も「去年ほどの絶対感は無い」とか「弱くなってる」と言っていた方が多い気がする(十分強いな〜と思ってたのに、これでもまだまだなら完成した時どうなってしまうの)。その試行錯誤は時に迷いや不安を観る側に感じさせていたかもしれないが、個人的にはその試行錯誤も見ていてとても面白かった。
 不安を感じさせる人選や作戦が別の試合では功を奏したり、逆に上手くいっていたパターンが不発だったり。特に終盤戦ではサポーターにとっては疑問が感じられた選手の起用法などが身を結んでいるのも見られて、伏線回収がされていく様も見物だった。
 今シーズンはまるで、磨き上げた宝石にまた良さを見出すために新たなカッティングや装飾を試みるような、そんな感覚。そして現状の自分達やタイトルに満足せず、どんな状況でも目の前の勝ちをもぎ取ろうと直向きに試合をこなしていく彼らはとても眩しかった。

 また、そんなシティを作る人達も面白い人達ばかりだった。
 私がシティを好きになれた要因の一つに「関わる人が面白くて良い人ばかり」というのは大きい。馴れ合いの雰囲気が漂ってだれているというわけではなく、ゴールをすれば喜び合い、ミスをしてしまえばイライラもするし、劣勢の状態でも盛り立て、改善点があればカメラ関係なく討論する。この前もロドリとアケが言い合いしながらロッカーに帰って行ってたし、ペップは試合中でも容赦なくご指導してるし。画面を通しても感じられる熱量が試合から目を離す事を許さなかった。
 時々マンチェスターシティの事を「機械が集まっている」と例えている人を見るが、私は全然そう思わない。機械なのか!?って言いたくなるほどの綺麗さと正確性を見せてくれる事もあるが、それよりも、コンディションが底の中でも解決の糸口を見出したり、苦戦の中でも自分たちのプレーをしようと藻掻いて逆転したり勝ちを持って帰ってくる光景の方が記憶に残っている。
 機械に例えたくなるほどの精密さや強さがあるとするなら、それらを成り立たせているのは全て人の血や汗であると言いたい。同じ人間だと信じたくないくらいの熱と泥臭さ、そして何よりも負けず嫌いを感じさせてくれる、そんなシティが私は好きだと言いたい。

 そしてこの面白さは試合以外でも見て取れる。「ワニとカバどちらと一緒に泳ぎたいか」でずっと議論したり、ファッションセンスをディスりあったり、アイスブレイクのゲームで試合並みの負けず嫌いを発揮したり。童心に帰ったかのような和気藹々でクスッと笑える絡みは、まだサッカーを深く理解できない初心者としてはとてもありがたかった。人を好きになれれば、難しい世界へ足を踏み入れる勇気も湧きやすいからである。
 こういった試合以外の日常を見ていると、このチームは負けず嫌いしかいないんだな~と思う(特にロドリ、君やで)。負けず嫌いしかいなくて、その負けず嫌いを尊重し合ってるから良い雰囲気を感じさせてくれるのかもしれない。



神様だと思った人と、授かり物だと思った人


 シティの試合を追う中で勿論シティズンの方々と交流する機会も出来たが、多くのシティズンを見ていて共通点として感じるのは、デブライネとフォーデンの二人は他の選手と一線を画してどこか「特別」であるという事だ。この特別については、文字として残しておこうと思う。
 この特別というのは好き嫌いとか贔屓とかそういった単純な言葉で形容できるものではなく、前者には信仰に近い何か、後者には未来を思い描く願いのような何かを感じた。試合を見れば見るほど、そしてデブライネが帰ってきてからは特に、チームにとってもサポーターにとってもこの二人は特別なんだと実感するようになった。

 デブライネの特別を感じたのは1月のシェフィールド戦とニューカッスル戦だった。
 シェフィールド戦では試合には出なかったが、ウォーミングアップをするだけで観客が総立ちになり、彼のチャントを歌い出して彼の出場を今か今かと待っていた。私はそれを見た時に「この人って神様なんだ」と思った。そこにいるだけで場の温度が上がる。人の感情を揺さぶる。存在だけで視線を集めてしまう人。そんな彼がリーグ戦復帰のニューカッスル戦で、チームを勝たせるゴールとアシストをたった数十分で魅せていった。「この人ならきっと!」という無数の人間の願いを叶える存在、それがデブライネだと思う。神様と思いつつ人間だから調子の波はあれど、ここまで人の願いをかなえられる人間はいない。それだけは分かる。

 そしてその願いを、シーズン通してフォーデンも叶える存在になっていったように思う。出始めの頃から見守っているサポーターの方が多いからか、「いつか彼が未来を背負っていくんだ」という期待を込めて大切に応援されていたのを感じていた。だがその期待がこの一年で確信に変わり、「この人ならきっと!」という願いがフォーデンにも抱かれるようになっていったのではないだろうか。
 アウェーのマドリー戦で同点弾を決めてペップの元に駆け寄ったあの時、幼年期の終わりと共に授かり物が神様になろうとする過程の瞬間を見ているんだな〜と思った。

 ここまで読んで、「そんなに大層に書くことか?」と思う人もいるかもしれないが、この二人を取り巻く感情を自分なりに綺麗に言語化しておきたかった。どうしてもポエムチックになってしまうのは、それほどまでにこの二人が眩しく、人の思いを燃やして輝く存在であるからだ。
 神格化しすぎると本質が見えなくなりそうだし盲目と思われるかもしれないが、それとはまた切り分けて当時の感情は記録しておこうと思う。



応援を通して得る刺激とは


 初めて足を踏み入れるこの界隈の第一印象は「怖い」だった。基本的には平穏かもしれないが、どこかしらで誰かが喧嘩したり、煽りあったり、比較したり。自分の「好き」を武器と盾にして、傷つくかもしれないのに言い争っているのを見ると正直怖かったし溜息をついていた。
 それに加えてシティは不正の疑惑が付いて回っているのもあり、結果を待つ事しかできないサポーターも含めて犯罪者のように扱われている時もあって、肩身の狭さも感じた。この肩身の狭さに慣れるまでは少し時間がかかったが、今となっては何も感じなくなったし、汚い言葉にぶつかったらどうしようという怖さも無くなった。「この界隈はそんなものだ」と私自身が順応したのである。

 最初は、「自分が傷つくかもしれないのに、どうしてそんなに喧嘩したり煽り合ったりするんだろう・どうしてそんなに気持ちを注げるんだろう」と疑問だったが、今となっては少し理解できるようになった。理解が進んだ理由の一つとして、煽り合いや比較なども含めて応援として楽しむ文化があるのを知ったからだ。応援の中に野次や悪口も入れて、それらもひっくるめて後押しすると共に、一緒に戦っている姿勢を示しているのかもしれない。
 そしてもう一つの理由だが、おそらくサポーターの誰しもが、サッカーと愛するチーム、選手を通して、現実では決して味わえない大きな感情を体感したいからだと思う。
 生きている中で、年齢を重ねれば重ねるほど、刺激的な生活よりも平穏な生活の方が手に入れやすく、大切であると考える割合は大きくなっていく。その平穏すら難しくて尊いという事も。そんな自分なりの平穏の中で絶対に手に入れられない刺激的な感情を、サッカーというスポーツを通して得ようとしているのかもしれない。
 応援を通して時に笑い、喧嘩して、傷ついて、それでも見続けてしまう。時には誇りに毒を吐くが、その毒が自浄されるのを何だかんだ待ちわびてしまう。その感情がプラスでもマイナスでも関係なく、日常では決して手に入れられない刺激を、好きなチームと人達と共に味わう事に価値が見出されているのかもしれない。その刺激がいつか大きな財産になると期待しており、その期待をさせるほどの愛が人それぞれにあるのだろう。

 最初の方にも書いたが、私はアイドルのオタクもしている。アイドルのオタクとサッカーのサポーターの共通点が実は一つあって、それは「応援する対象から認識されているわけではないのに、応援に心を乗り出してしまう」という点だ。どちらも規模やかける金額によっては認知もあるかもしれないが、そんなのはほんの一握り。ほとんどの人間は認識されているわけでもないのに一方的に好きになり、まだ味わえていない刺激を夢見て応援してしまうのだ。
 その応援のエネルギーの根底にはきっと愛があって、出会った瞬間の胸の高鳴りを覚えているからこそ湧き上がってくるのかもしれない。



これからのマンチェスターシティと自分


 このブログを書いている頃はシーズンも終盤であり、そろそろリーグ優勝やFAカップの結果も決まろうとしている時期に差し掛かっている。CLも見たかったな~とWOWOWの告知を見る度に思ってしまうが、来年のリベンジに期待しておこう。

 来シーズンの目標はズバリ!現地に行く事だ。推しているアイドルがもしかしたら秋にヨーロッパで公演するかもしれないので、それに着いていく形で現地観戦もできると踏んでいる(アイドルが出なかった時の事は全く考えていない)。一人だと心細いので、現地観戦に一緒に行ってくれるかもしれないお友達も作りたいな~…というのも密かな目標だ。
 それを考えると貯金に加えてお金を稼ぐ必要があり、そろそろ復職しないと…という事で準備も進めている。仕事をするために生きているわけではないと言われながらも、人生を豊かにするためには働かないと始まらないというのは一種の皮肉である。
 来シーズン辺りにはシティの裁判も始まっていくようで、今後に不安を感じないというのは噓になる。だがその不安よりも今は「また目の前で好きな選手たちのプレーを見たい」が勝るため、趣味の中にも目標を立ててそれなりに頑張っていくつもりだ。

 今はまだ目の前の試合に湧くので精一杯の新参者だけど、これから少しずつ色んな事(戦術とか観戦とか現地の文化とか)を理解して自分なりの楽しみ方を見出していきたいと思う。
 マンチェスターシティ、ありがとう。今もこれからもビッグに、強く、永遠なれ。極東の端っこからこれからも見守らせていただきます。

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