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千羽つる 『嫌なものは、嫌』と言いたい

 戦争なんて、今や遠い昔のことで、映像の中の遠い国の出来事で、他人ごとのように思っている私がいる。今この時に世界のあちこちで戦争犠牲者が絶えないというのにもかかわらず。日本が戦争に参加することをリアルに考えつかないでいる。

 ただ、台湾有事の話を聞く度に、日本本土が再び焼土となることをリアルに想像し、ぞっとしてしまう。

 日本がもし、様々な政治の関係性から戦争行為に参加してしまったら…日本の基地を解放し、自衛隊が参戦してしまったら…
 弾道ミサイルの性能向上の為、飛行機は空を飛ぶよりも前に、大部分が日本の基地で爆破されてしまうらしい。そしてその被害は基地だけでなく、一般市民の暮らす街にも被害は及ぶらしい。

 ー正義のヒーローの闘いは、必ず市街地を破壊するー

空から飛行機や爆弾の破片がピストルの弾丸のように降り注ぐだろう。田畑のみならず民家にも会社のビルにもその破片が突き刺さるのだ。それだけでも、怪我をする人も命を落とす人も出るだろう。
 国が戦争に参加するということは、自衛隊員だけが参加するのではない。国民が否応なしに参加させられるのだ。

 敵となる国は容赦なく日本本土を攻撃してくるだろう。戦争とは自衛隊だとか一般市民など関係がないのだ。国同士が敵対するのだから。

 開発が進んだ今なら原爆以上に、厄介な爆弾を落とされる可能性もある。その後遺症に長らく苦しまなくてはいけないのは国民自体なのだ。

 
 『千羽つる』1989年公開、日本映画。神山征二郎脚本、監督。手島悠介原作の同名小説の映画化。倍賞千恵子出演。
広島原爆記念公園には『原爆の子の像』が建つ。
折り鶴を掲げた少女の像。平和への祈りを込めた『千羽鶴』運動。その活動のきっかけとなった、原爆白血病で命を落とした少女の幸せな日常と闘病生活を描く作品。

 舞台は終戦から既に10年経った1955年(昭和30年)。だけど1989年に撮影されたその風景は、1980年代に小学生だった私の子供時代そのもので、自分の子供時代をそのまんま観ているようだった。懐かしい体操服に運動会の風景やリレーの練習の様子。古い建物の壁や床。担任の先生と一緒にクラスみんなで学校外でも遊んだり、合宿で枕投げをしたり、夜更かしをして怒られたり…同級生が病気で亡くなったショックまでも…

 わずか2歳で被爆し、10年後に発病し1年以内に亡くなってしまう主人公の少女。原爆が起因で亡くなったほんの1例にしか過ぎないが、彼女は私でみんなだ。彼女の身に起こったことが、未来にみんなや私に起こらないとは限らない。

 1発の原爆が奪った命は発表されている数では分からない。直接被爆して亡くなられた方でも、カウントされていない方も行方不明者もいる。何十年もかけて身体を蝕み続け苦しまれて亡くなった方もいる。精神的に追い込まれ余命を断たれた方も、差別と偏見から被爆者だと言い出せず亡くなった方も…悲劇は統計上では全く把握し切れない。

 非人道的な原子爆弾の被災者で、2度と同じ過ちを犯すまいと平和を誓った日本が、よもや誰かの利益の為に国民の命を犠牲にしてまでも、再び戦争に参加するとは思いたくない。
 
 どんな関係性があるにしろ、相手の顔色を伺ってばかりではなく、『ダメなものは、ダメ』『嫌なものは、嫌だ!』とハッキリ意思を示したい。
 
 戦後の日本の終わりは、誰かの隷属的な国ではなく、対等にもの申す国であって欲しいと願っている。
 国同士の意見の食い違いは、武力行使の殺し合いではなく、話し合いや交渉で解決して欲しいと願っている。

 戦争映画。自国の悲惨な戦争の記録。それらは、未来に傷を残してはいけないと、今平和を選ばなければならないと、いずまいを新たにさせてくれる坐禅の警策のようだと思う。
 
 
 

 




 

 

 
 


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