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ズボン禁止は出羽守の持ち込んだ概念

 パリでは1800 年に女性ズボン禁止令と言うものが出ており、廃止されたのはなんと2013年なのだ。ズボン禁止令と言うより正確には「男性として服を着る」のが禁止されていたのだ。しかも中世ではなく近代の話なのだ。

 なぜこのような法律が成立できたと言うと欧米において女性が男装する事自体が社会的に禁止されていたからである。宗教的な倫理感がベースにあり男性の着るズボンを女性が履いて行けないのが普通で当たり前だったのだ。ところがアメリカで1850年頃に女性が権利を求め始めると法律で締め付けはじめた。例えば、サンフランシスコでは1863年に同様の法律が成立している。そして、逆の男性が女性の服を着ることを禁止する法律が成立し始めるのは20世紀に入ってからになる。

 このように男性と女性の着る服が分離されていたからフランスの宮殿などではスカートの裾がどんどん広くなっていった訳だ。

 スコットランドにキルトと言うモノがあり、ローマはチュニカと言う布をまいただけの服が正統だった。そしてズボンは馬に乗るとき遊牧民族のマネをして持ち込まれたもの。しかし、遊牧民族は男女関わらずズボンを履く。つまり女性のズボン禁止はヨーロッパ独自(正確にはアブラハム系一神教)の概念だ。

 日本に於いては正装は本来着物でズボンではない。袴だ。袴はスカートに近いものだ。そしてズボンに似たような衣服もあるがモンペがある。モンペは女性がある。日本に女性がズボンを履いてはいけないとか男性がスカートを履いていけないと言う習慣など元々ない。

 日本に洋服が持ち込まれた時にそのように定義がつけられていただけだ。結局のところ男性はズボン、女性はスカート自体が欧米出羽守が持ち込んだ概念にすぎない。そのため東・東南アジアではユニセックス化が早い。男性と女性が同じ服を着てはいけないと言う人文知がベースにないから。

 ウーマンリブは極論を言うと「ズボンを履くため」の闘争だ。ブルマもその過程で産まれたものである。日本でそんな闘争が流行る訳がない。文化や歴史をわきまえない典型的出羽守仕草で終わったのはそう言う訳だ。そしてヨーロッパはイスラム式衣装を認めない理由も根底がそこにあるからだ。イスラム式衣装は女性と男性の衣装を明確に区別しているから、それを認めるとヨーロッパの女性解放運動は200年まき戻ってしまう。建前でも認めていることにしないと行けないのだ。

 日本で男性的な衣装と女性的な衣装っていつ頃別れたかと言う話なると職業の違いとしか言えないかな。職業において衣服の機能を追求した結果そうなるとしか言えるかな。戦争ばかりして居ると身軽で動き安い服装が主流なるし、家から出ないと見栄えなどどうでもよくなる。

 制服?着る服考えるの面倒くさいから良いのでは。機能性がない制服は嫌いだが学ランは夏は暑いし、冬は寒いだけよ。制服に使うなと言いたい。自転車に乗るならズボンだし。

#出羽守

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