見出し画像

16世紀イングランドが製鉄を始めた時、すぐ枯渇する程度の森林しかなかった

16 世紀初めのイギリスはまだ木がありあまるほどの国であった。とくに南部に木が豊富で、 オランダ、フランダース、フランスの木のない沿岸地域に木材を輸出しつづけていた。

https://hirodaimasters.web.fc2.com/sanpomichi/tomoda2.pdf

 ここ嘘でしょうね。昭和の歴史学者はろくに調べもせず平然と嘘つくから。オランダは国土の大半が海の中だからノルウェーから輸入してたけど。イギリスは、オランダ経由で輸入してたとか。

http://reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/531/1/v36n4p331_tanizawa.pdf

 ロシアからも船用材木を輸入していた。

https://digitalcommons.unl.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1048&context=nebanthro

Imported Russian goods were primarily raw materials, principally those associated with ship-building: timber, rope, and pitch. This would be an important source of these materials, as England had begun building the naval power that would become essential to its international dealings in the next few centuries (Willan 1956)

Shipbuilding and the English International Timber Trade, 1300-1700: a framework for study using Niche Construction Theory

 イングランドは12世紀頃にはすでに森林率は15%を切っていた考えられており、2%が伐採が禁止されていた貴族の狩猟用林だったと考えられる。14世紀の黒死病流行前には10%だったと言われている。

Even from its low proportion of 15% in 1086, woodland cover shrank further to 10% by 1350, due to population increase. The Black Death of 1349 brought this to a sudden stop, and any woods surviving in 1350 had a good chance of surviving the next 500 years.

 つまり、16世紀は、なけなしの林を破壊していたことになる。なおイギリス貴族のたしなみ鹿狩りから平野での狐狩りに変わるのはも15-16世紀らしい。これは囲い込みが影響してそう。16世紀は林を潰して羊を飼っていた時代なので、羊を放牧するために潰したなけなし林の木を売り飛ばしていて森が無くなったので鹿狩りの変わりに狐狩りを始めたと。

ラッカムは正確ではないとしつつも,ドゥームズデイ17) で記録された土地の 15パーセント程度がこれら樹林地, あるいは林間放牧地であったと試算 18),実際にはその ほとんどが林間放牧地であったと主張している19)。

中世イングランドの林地史とフォレスト研究
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2016/03/vol18_08survey01.pdf

 なおイングランドは主にノルウェーから材木を輸入していた。

 イングランドからの輸出品としてはその他に皮革類、鉱産物(鉛)、塩、農産物、イングランドは一方では農産物を輸入しながら他方では、輸出もしていた、輸入品としては東方からの穀物、材木、毛皮、銅などが挙げられる。

ハンザ「同盟」の歴史

 中世ですら材木をノルウェーやポーランドから輸入している訳で、イングランドの森は中世末期には壊滅している。

 ② しかし、外国 (スペイン) の侵略に備えて、ヘンリー8 世 (在位 1509 - 47) がイングランド 南部のサセックスのウィールド地方の森のなかで大砲や鉄砲などの兵器の国内生産にのりだした のをきっかけにして製鉄産業が急速に発達すると、この地域の森林は食いあらされた。

 そんななけなしの木を伐採したらすぐ枯渇する。そもそもイングランドはスペインの鉄に依存していたためスペインと敵対したために鉄を自国で作らないといけなくなっただけで、実態は輸入先がスウェーデンやロシアに切り替わっただけ。8割はスウェーデンから輸入していたとされる。また森林が存在し無いこと自体が国防上の問題になったので植林を始めるようになる訳だ。産業革命期に入っても半分はスウェーデンから鉄を輸入していたとされるわけだから、スウェーデンはイングランド以上に木材を燃やしていたはず。

中世の時期には、イングランドは、主にスペインから鉄を輸入していた。一七世紀前半の時期になると、スウェーデンやロシアから輸入されるようになり、一六五〇年以降、スウェーデンからの輸入量はますます増加していき、二、 〇〇〇トンにまで達するようになっていた。

https://wwwbiz.meijo-u.ac.jp/SEBM/kaihou/no91/01_P1.pdf

 それでは当時のスウェーデンの製鉄所をみてみよう。エンゲルスバーリ製鉄所という遺跡になっている製鉄所で、1681年から19世紀ごろまで使われて居た近代的な製鉄所である。なお、この地域では13世紀には製鉄業が行われていた。

Google map

 森の中にあるのだけど……。南東に空き地があるが、2014年の大規模な山火事が原因なので製鉄は関係ない。

https://www.researchgate.net/figure/Map-of-the-2014-Vaestmanland-Wildfire-Showing-Areas-Burned-by-Date-Source-Data-derived_fig4_330569806

 要するに最初の記述は16世紀のイングランドはスウェーデンからその8割を依存した上で製鉄が1世紀保ていない森林しか既に残っていなかったことの証明にしかならない。

 なにしろイングランドは13世紀には既に石炭を掘っている。

石炭が再発見されたのは12世紀の終頃になつてからであつた。イギリスにおける石炭使用の歴史は,凡ゆる実際的目的のためには,ヘンリー3世の治世(1216年)とともに始まつたというべきである。」と。第13世紀以後においては石炭は相当広汎に使用されたようである。それ以前においては石炭を示す適当な言葉がなく"carbo""cole"はむしろ木炭のことを意味していた。ところが第13世紀以後になるとsea-cole,pit-cole,stonecoal,smithy-coalなどという言葉が用いられるようになつた。それは石炭の使用が復活したことを示すものである。その頃の石炭の主な用途は鍛冶屋用,石灰の培焼,製塩,パン焼,醸造などであつた。製鉄にはなお木炭が用いられていた。

イギリスにおける石炭資源の現實化過程
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/3/5-6/3_5-6_197/_pdf/-char/ja

 そうすると森林破壊により薪すらなくなったので石炭を使う様になり、それにより温存されていたなけなしの森林を製鉄で燃やし尽くしたことになる。そしてコークス法が出てきても鉄は依然スウェーデンから輸入に依存していたし、転炉法が出てきても鋼用の鉄はスウェーデンからの鉄に依存していた。

 このありさまなので植林してもすぐ森林率が落ちる。第一世界大戦後の森林率は5%(今ですら12%)だったらしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?