トイレでご飯を食べたことがある人はだいたい友達になれそう。
聞くところによると、小3の甥がちょっとHSPっぽい。
いろいろと自分と被る。
姉(=彼の母)曰く、長女や次女みたくオシャレに興味がないからそこらへんのお金がかからずに済むと。
でもなぜか服にこだわりが強く、無地でないと着てくれない、ワンポイントですらダメみたいで、裾や袖だけ生地や色が違っているのもダメ、ケーブル編みみたいくなってるじゃなくて真っさらな普通の生地じゃないと着てくれないんだと聞いて少し驚いたけれど、共感できる部分があって嬉しいやら心配やら。
しまむらに売っている安い無地のものを探すだけで済むし、どれもおんなじような服にしかならないが本人はそれでいいのだとか。
甥っ子はどちらかと言うとお家にいるのが好きで友達も多くはなく物静かな方。
なんだか自分と重なる部分が多くて、服へのよくわからないこだわりも「うん、わかる…!」と頷ける。
自分が学生時代にもやもやぐるぐる考えていた、誰にも共感してもらえないだろうと思っていたことを記録してみる。
いつも一緒にいる子が不機嫌でいると、私もつられる
不機嫌なのか体調が悪いのかわからないが、友達が普段の元気なテンションとは違い口数が減ったりリアクションが薄かったりすると、その状態である時間は自分まで口数が減るし訳もなく気分が上がらない。
私なにか悪いことしたかな?とかの類のことを思うわけでもない。
(たぶんしてないという結論に至ったら)
自分ひとりでいたら普通にご機嫌モードで過ごしているであろうときにも、本当に訳もなく引っ張られるように同じようなテンションになってしまう。
考えてみた。
わかった。
友達が沈んでいるのに自分は元気だなんてなんかおかしい。という気持ちがあった。
申し訳ないという気持ちではなかった。
なんか私ひどい人みたいじゃない?という気持ちで、テンションを合わせていたところがある。
友達がいつも通りに元気になると、私も同じように元気な顔をやっとできるようになっていた。
他人をずっと一緒にいることが無理
トイレの個室だけが唯一楽に呼吸できる安心できる場所だった。
フツウのクラスメイトはお昼休み、友達同士で何人か集まって、もしくは机をくっつけてお弁当やパンなどを食べる。
私は絶対にクラスで変に浮いたりしたくなかったし、注目されることが恥ずかしいことであって心の底から苦手だった。
本当はひとりで過ごしたかったお昼休みも頑張って何人かの友達と過ごした。
コミュニケーションをとることは私にとってすごく神経を使うことなのに、コミュニケーションをとらず誰かが私のことを認識できる空間にいることだけでも、常に自分の全神経の全アンテナがフルに稼働しているような感覚だった。
だから教室は大嫌いだった。
トイレでご飯を食べることは私にとって汚いということよりも楽ということの方が大きかった。
食べることは口を動かすことで、しゃべることもまた口を動かすことだ。
それを同時になんて困難でしかないし、さらにしゃべることを考えるなんて脳にも精神にも大きな負担がかかる。
お昼休みはご飯が食べられるという意味では好きだったけれど、誰かを無理に過ごさなければいけないという意味では毎日長くいなぁ早く終わらないかなぁと感じていた。
たまに用事があるフリをして教室から出ていき、トイレでこっそりお昼ご飯んを食べる時間が学校にいる時間の中で唯一神経の休まる時間だった。
友達とのお泊まりも苦手だ。
いつもと違う服装ができない
小学生中学年の頃だ。
とにかく目立ちたくなくて、注目されることは地獄にいることと同等だと思っていたからなるべくそういったことは避けていた。
手を挙げて発表することや、休み時間に大声を出すこと、ずっとひとりきりになってしまうとあの人って…と浮いてしまう。
それはそれで自分の中では注目に含まれるため、あまりに長いことひとりでいることが続くと自然な感じで誰かとおしゃべりするようにしていた。
最も共感されづらく、子どもらしくなく自意識に苦しんでいたなと思うのは、黒い服と白い服を着なかったこと。
普段、白と黒以外の何かしら色のついたTシャツやズボンを着ていた。
自分の中では子どもながらに真っ白!や真っ黒!の服は目立つと思っていた。
大人になった今、真っ白や真っ黒はむしろシンプルで目立たない服装だと思っているが、当時の自分だったらそうは考えられなかっただろうなと自分のことなのに他人に同情するような気持ちになる。
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甥が具体的にどう考えて服装のこだわりを持っているかは本人に聞いてみないと分からないが、その行動は私も同じだった。
甥が自分の同じタイプなのであれば、これから中学、高校、社会人と大人になっていく上で生きづらさを感じやすいのだろうか。
母親である姉にはHSPっていう気質があるんだと教えた。
彼がHSPかどうかはわからないのでなんとも言えないが、姉もそれとは違う種類のものだが生きづらさを感じて生きてきた人なので、学校や社会に馴染めなくたっていいよねぇと話していた。
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