「書く仕事」はAIに奪われるのか。私が考える「AIとの共存」と「書く仕事」生存戦略。
ここ数日で久しぶりにAIとの会話を再開したところ、チャットボットの語彙力が以前より豊かになったように感じました。
これは、内々でアップデートされているのか、単純に私からの指示が上手く刺さったのかは定かではないが、少し前に比べて「まだ読める文章」をアウトプットするようになったと思います。
ここで重要なのは「まだ読める」文章の判断基準は人によって異なるということでしょう。
結論から言うと、ライターの仕事がAIに奪われることはないけど、AIによって判断基準が変わった「時代」、ないしは価値基準が変わった「人間」によって失われていく領域はあると感じています。
ライター×AI時代を考える私の視点
私はライター歴約10年、ディレクション・編集業としては約3年ほどの経験を持っています。
「自分で書くこと」は10年近く、「人に書いてもらうこと」を3年近く仕事にしており、様々な分野で活躍する方の文章に目を通してきました。
仕事の多くは「読みやすい文章」を用意することで、それは自分が書くこともあるし、人が書いたものをリライトすることも多いです。なので、「書く仕事」を受注することはもちろん、発注して納品してもらうこともあります。
文章を書くための取材や写真撮影等の現場作業も自身で行うため、感覚的には、デザイナーやエンジニアのように「ゼロからイチを生み出す」というよりは、「クライアントが持っているイチが、実は十で、それを”より綺麗な十”として伝える」みたいな仕事をしている認識です。
AI時代到来後の仕事量の実態
個人的な考えは後にして、まずは私個人のもので恐縮ですがAI時代が到来してからのライター業・編集業の仕事量の変化についてご紹介させていただきます。
これが実態です。
数字の話
実際のところ、減ったお仕事もあれば増えたお仕事もあります。
案件総数としては減っていますが、単価が安い量産型ライティング案件が無くなり、以前に比べれば単価が高い仕事は増えた(残った)という感覚です。
ただし、単価に応じて工数がかかる事が多く、数は少ないため、ライター業・編集業ベースでの年収はあまり変わってないかなと感じています。
楽に稼げるバイトみたいな仕事は無くなって、しんどいけど成長や経験に繋がる仕事はありがたいことに増えました。
仕事が減る構造
いくつかの理由はあるでしょう。
まず一つの視点はこれ。あくまで実態というよりは「視点」です。
例えば私が実際に減った仕事のように、「小さなコマで文字数も少ないが、量を書かないといけない=文章を書くのが苦手な人からしたら煩わしい仕事」なんかは、すべてAIに書かせるようになった、というパターンです。
情報リテラシー的にAIに情報を流すことが正しいかはさておき、正直これくらいの文量の作業ならAIにやらせた方がコスパは良いと私自身思います。
そして、もう一歩進んだ視点として、私はこう考えているのがこちら。
ライターや編集者じゃなくともビジネスパーソンレベルで最低限の素養が求められている「文章力」「語彙力」「表現力」に対して、「そもそもAIがアウトプットしたテキストの品質を判断する読解力がない」人間が増えてきているように思います。
具体的には、文法がおかしいまま入稿されること、そしてファクトチェックが十分にされないまま入稿されることが増えてきました。
そして、そういったことに「そもそも価値がない」という時代が来ているのかもしれません。これは、文章に限らず様々な領域で発生していくのではないか。それは、例えばデザインソフトを使えない私がAI生成画像を見て「すげ〜」と軽々しく感動していることも同じなのです。
これはAI技術の発展ではなく、人間の価値基準が変わる(=時代が変わる)ことによるものなので、正直抗うことはできないと考えています。
とは言え、ビジネスはさておき文章や言葉とは、正確に物事や気持ちを伝えるためのコミュニケーションツールとして重要でもありますし、自身の思考を整理するためにも必要ですし、曖昧な感情の機微を表現するためにも用いられ、そこに価値を感じる人は一定数います。
そして、それすらもAIがアウトプットする時代が来るでしょう。そうなったら、さっさと転職した方が楽に生きれると考えています(笑)そもそも本質的には、労働が減ること自体は悪ではないのです。
増えた仕事のワークフロー
ありがたいことにAIによってできることが増え、それに応じてお仕事も少なからず増えました。
大切なことはAIに全てを委ねないことです。
AIが書く文章は、読めるけど「間違っている」ことも多いし、長文を読み込ませて要約させるようなプロンプトでテキストを渡しても、要領を得ないことがまだまだ多い。カッコよく伝えようとして訳わかんないこと書いちゃう人、みたいな感じです。
ただし、壁打ちとしてAIは良い相手になってくれます。
ライターなんて仕事は、多くは1人で黙々とパソコンに向かって作業しています。そういった日々だけを過ごしていると、知らぬ間に頭はカチカチに固まるんです。
それを避けるために、私は新聞を読んだり、異業種のWEB記事を読んだり、世代違いのSNSを徘徊したりするのですが、これらと同様にAIも私の尺度、引き出しにはない視点や考え方、語彙を持って、壁打ち相手になってくれます。
これまでにネットや雑誌から抽出してリストアップしていた情報をAIに任せることにより、作業スピードも格段に上がりました。
そして、そこから「どんな形にするか」は、人間でもAIでも、できる方がやれば良いのです。結果的に、今はまだ私にできることが多いので、AIには良きパートナーとして活躍してもらっています。
AIによって失った仕事に固執するのではなく、AIを活かしてできることを増やすか、AIにできないことをできるようになるしかないのです。
「書く仕事」生存戦略
私が考える「書く仕事」生存戦略は以下の2つです。
結論から言うと、ライターの仕事がAIに奪われることはありませんが、AIによって判断基準が変わった「時代」、ないしは価値基準が変わった「人間」によって失われていく領域はあるでしょう。
そして、それにより「人間の心の琴線に触れる文章」の価値は高まるんじゃないかと考えています。
例えば、年始におみくじで3回連続で凶を引いた記事は、(そう言った指示をしない限り)AIが自ら進んで書くことはないでしょう。
なんだったら今日も凶引いたよ。
また、個人の活動としてポエトリーリーディングをイメージし、写真と掛け合わせた散文の制作も行なっています。
AIがテーマとなる動画や記事に触れると、よくこの言葉が出てきますが、つまりはやはり現時点でAIからは享受できない「フィジカル」なものを創り出すしかないのです。
言い方を変えれば、「その人にしか書けない(創れない)ものの魅力が高まっていく」、そうした希望も抱いているんです。
これは、他の業界や職種でも同じようなことが言えるかもしれません。
仕事なのか個人活動なのかは人それぞれとし、AIと上手く付き合いながら「自分にしかできないこと」「自分がやりたかったこと」の価値を高めていき、そこで経済活動が生まれるような未来が来たら良いですね。
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