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新選組を訪ねて京都2022①- 華のおんなソロ旅

 「華のおんなソロ旅」の記録、忘れないうちに以前のものも記しておくことにした。
 
 なぜか2022年の「マイ・ブーム」は新選組であった。大河ドラマの「新選組 !」(2004年)を巣ごもり中のこともあって、ようやく全視聴。実はこの大河は何度か「アイドリング」しながら挫折(具体的にはDVDを最初の2枚ほど借りてみては脱落)していた。だって、脚本の三谷幸喜のおちゃらけぶりが(いつものことだが)最初から全開なんだもの。山本耕史土方歳三はまだよいが、香取慎吾近藤勇(・・絶句)が、坂本竜馬(江口洋介)と最初から知り合いで一緒に黒船を見に行くって、ナニコレ。ジャニーズ人気を当て込んだのかもしれないが、大河のオールド・ファンはきっと放映当時も受け付けなかったであろう。ところが今回は、最初はいささか我慢して見続けていたら、結構この世界にハマってしまっていた。その後、動画配信でドラマ「新選組始末記」(1977年・TBS)も観たら、またまた聖地巡礼ヘキがむくむくと頭をもたげてきて「そうだ京都、行こう !」となったのである。

 前置きが長くなってしまったが、京都は久しぶりである。JR京都駅を拠点にすればよいということはわかっていたが、その駅ビルがだだっ広くて、要領よく動くには、時間の余裕をみなければならないことを思い出した。関西空港からリムジンバスで到着。今回の宿は高評価のビジネス系でリムジンバス乗り場に近く、向かいにコンビニもあって便利。外で出歩くことが目的で、滞在時間は短いのでこれで十分。館内に風呂もあり快適なステイであった。

 翌日朝からさあ出発。新選組の活躍の舞台の中心地の京都には、関連する場所が多く、ネットで情報を得ながら事前に行程を考えていた。         最初に向かったのは、隊が逗留した「八木邸」とそのお隣の「壬生寺」である。八木邸では説明付きなので、その待ち時間に先に壬生寺に向かった。境内を見渡すと、ここで隊士たちが訓練をしていたかと感慨深い。境内東方には壬生塚という新選組関連の遺跡がある。近藤勇の胸像、八木邸で暗殺された芹沢鴨平山五郎などの墓もある。隣接した歴史資料室では「壬生狂言」の動画も上映されており、芸事にも造詣のあった土方なども、当時関心を持って見たのではないかと思った。

壬生寺の境内
中央が芹沢鴨の墓
近藤勇

 さて、八木邸内見学である。ここを訪問するのは大変楽しみにしていた。芹沢が暗殺されたときの様子を、当時の当家の子どもだった方が、作家、子母澤寛に語り伝えたのが基になり、「新選組始末記」(1969年)として出版されたという。新選組隊員(土方沖田総司山南敬助原田左之助)に踏み込まれて、芹沢が逃げようとして躓いた文机、刀で応戦しようとしたときに鴨居にできた刀傷など、ドラマ「新選組始末記」(以下、「始末記」)でよく見ていたので、解説付きで現地を見られたことは感慨深かった。映像化作品で芹沢を演じた役者は多いが、ただの乱暴者ではなく教養もあった人でなかなか配役は難しい。「始末記」の高松英郎は悪くないと思う。大河ドラマ「新選組 !」(以下「大河」)では、佐藤浩市だったが、父の三國連太郎も映画で演じていたというので、三谷幸喜特有のオマージュ配役なのかもしれない。ただ、佐藤がよくなってきたのは近年で(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の上総広常など)、この頃はまだ貫禄不足。芹沢の愛妾で、無残にも一緒に惨殺されるお梅さん。「始末記」では中村玉緒が健気な女性として演じていたが、この人は呉服商の妾であったが芹沢に鞍替えするなどしたたかなところもあったのではないかと思う。「大河」の鈴木京香は、他の隊士にも秋波を送ったりする女性で、最期も自ら芹沢にしたがったように描かれてて見応えがあった。

八木邸の記念碑

 八木邸の筋向かいには、やはり隊の逗留先であった「前川邸」がある。隊を脱走した山南敬助が監禁され、切腹した所で、愛人の明里と、「格子戸越しの別れ」をしたことが小説、映像化作品などで有名なところである。今は格子戸は取り払われ一般公開されていないが、門のところに説明書きがあった。山南は大河での堺雅人の演技が評判となり、切腹する回はこの大河でもっとも印象的だった回として選ばれることも多い。堺は知性も感じられるし好演だが、私は山南は「始末記」で演じていた高橋長英のような人だったのではないかと思っている。問題は明里で、大河の鈴木砂羽は全く合っていない。明里は教養人の山南が、教養はないが唯一心を許せる女性。つましくもしっかり生きていく知恵を持ち合わせており、その点では山南も一目置いていたのでは。そんなイメージを持っているので、「相棒」の元気でたくましい亀山の妻、はちょっと違うのである。

 次に向かったのは、その山南の墓のある「光縁寺」である。ナビを片手に細い道を迷いながらようやくたどり着く。門の前で若い女性とすれ違うが私と同じ聖地巡礼組か。住職さんに「隊士の供養料」100円を払うと、ごく簡単にご説明がある。「新選組との関係なんて、当に知っているよね」と言わんばかりで、最後に「・・ただの墓石なんだけどね・・・」。イヤイヤ、それを言っちゃあオシマイですって(笑)。山南さんの墓に一礼して、ふとその上を見上げると民家で洗濯物がヒラヒラと。近くの住人は「ほらまた来たわ」と思っているんでしょうね。この寺には、隊士の有名どころでは、松原忠司谷三十郎藤堂平助伊東甲子太郎なども埋葬されていた。

山南敬助の墓

新選組を訪ねる京都旅、続きます。