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絶世の美女・万葉歌人『額田王』は、ペルシャ系美人… 美女3人たちの薄幸そして高畑の地に祀られた

 額田王の頃、母とも姉とも言われている『鏡王女』がいます。この『鏡王女』は、天智天皇の妻とも中臣鎌足とも伝えられていますが、はっきりしたことは分かりません。
 この話は『額田王』とも似ています!
 御承知のように、『額田王』も、天智天皇の妻とも天武天皇の妻とも言い伝えられていますが、はっきりはしていません。
 『源氏物語』にも知られるように古代も結構奔放な男女関係があったことはよく知られています。
 でも『額田王』も『鏡王女』共に、当時の朝廷で隠然たる頂点の人達を渡り歩くように寝所を共にするというのも目立ちます。
 『額田王』と『天武天皇』の間に生まれたのが、『十市皇女』なのですが、この『十市皇女』は、ご承知のように、『壬申の乱』で皇位を『大海人皇子』に奪われた『大友皇子』に嫁いでいます。伝えられるところによると、『大友皇子』が『天王山』にて自決し、『壬申の乱』の終結を迎えます。『日本書紀』によれば、この『十市皇女』は、『大和・赤穂の地』に葬られたとされています。
 この『赤穂の地』とは、現在の奈良市高畑町にある『赤穂神社』辺りあることは間違いないようです。これには、もう一つ状況証拠があります。この『赤穂神社』は延喜式にも記載さている古社なのです。

赤穂神社(高畑町)

 では、この赤穂神社にある『赤穂神社の由来』にもこのことが記載されています。

赤穂神社由来(十市皇女)

 

それは、高畑町の『赤穂神社』近くには、『鏡神社』という古社があることからも確実です。すなわち、場合によっては『鏡王女』と、孫になる『十市皇女』が近くに祀られているという事実です。
 もう一度、この3人の美女達の共通点を見ますと、
★★高貴な人達と華やかな男女関係を持つことだけが伝えられている★★
にも拘わらず、
 ①生まれや死について伝えられるものが少ない
 ②埋葬地が不明
であることなのです。
 一方、『十市皇女』については、『(奈良市高畑町)赤穂の地』に祀られるとされているとし、近くには『鏡神社』があり、『鏡王女』を祀ったとも推定される。

鏡神社(奈良市高畑)

いずれにせよ、当時は古墳に埋葬される時代でもあったけれども3人にははっきりした記録や伝承は無いのが実情です。
 取り上げた3人の美女たちに纏わるこの薄幸で哀しい現実は、彼女たちの生い立ちとも深く関係している…とも。


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