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松帆銅鐸の秀逸…『殷』の輝きの謎  ー淡路島の謎1

  淡路島にある『南あわじ市滝川記念美術館 玉青館』に行って来ました。
 ここには、地元出身画家の絵画が展示されている他、『松帆銅鐸』が展示されています。
 近年淡路島では、古代、弥生時代の遺跡が発見・発掘されて注目を集めています。北淡路では舟木遺跡、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡、南では松帆遺跡など古代の遺物も多く見つかっています。
 私が興味を持ったのはいくつかありますが、
1.北淡(路)にある舟木遺跡や五斗長垣内遺跡は、実は現代から見ると高い場所に集落を形成しています。
 舟木遺跡でみると、島北部にありますが、弥生時代のある時期(V期と呼ぶ)に急に遺跡数が増えています。この遺跡のある淡路市では、この時期以前には10遺跡にも満たなかったのですが、このV期には、114遺跡に急増しています。もちろん、この増加には背景があった訳ですがこれはまたの機会に考えを述べます。
 淡路市では、114遺跡のうち、全体の約80%に相当する92遺跡が標高(現在の海面より)50m以上の丘陵上に立地した遺跡です(詳しくは同市発行の報告書などでご覧下さい)。下グラフは淡路市の資料ですが、ある時期に急に、特に50m以上の遺跡数が増えたのが分かります。

淡路市(島北西部)

 それから、舟木遺跡の様子を下で見てみましょう。やはり淡路島市の資料です。

舟木遺跡の地勢

これを見ると、標高150m付近の丘陵地に40ヘクタールの遺跡が拡がっているようです。これは、それより下は中央の断面図で分かるようにスロープ(斜面)ですから集落など営むには不適だからです。
 なぜこのような高い場所に遺跡が多いのかは、別途説明の予定です。
 追加で、遺物について特徴的というより、このような丘陵に営んだ訳を示唆するものですが、報告書によれば、
 『イイダコ壺(つぼ)と見られる土器が多数出土している』
とされています。
 私は、まずこの『イイダコ壺』をどうしても見たくなったという事と、松帆の砂中から見つかった
 『松帆銅鐸』
を見たいことで、今回(2023年4月18日)に『南あわじ市滝川記念美術館 玉青館』を訪れました。
 まず、舟木遺跡からではありませんが、近くの島から見つかった『イイダコ壺』らしき土器を見てみました。下の写真は玉青館で私が撮影したものです。

イイダコ壺らしき土器(玉青館)

このような土器が舟木遺跡では多量に見つかっているようです。弥生時代も海鮮獲れたて!イイダコを賞味したに違いありません。

 本題に戻ります。
 松帆銅鐸を見て、まず、メチャ綺麗な色彩だと感心しました。
 下の写真は5号銅鐸とされている割れた状態で発見されたものです(下にある棒のようなものが舌(ぜつ)と呼ばれる銅鐸から音を出すための楽器に必要な棒です。

5号銅鐸と舌

 色合いをご覧下さい。下の写真は翡翠(ひすい)ですが何か似通ったものを感じます(この翡翠は遺跡とは関係の無いものです)。余談ですが、古代には中国で、ヒスイは他の宝石よりも価値が高いとされていましたから、翡翠のような色で音を出す楽器というのも印象的です。

翡翠(参考)

 なお、この松帆銅鐸の情報として、
1.松帆銅鐸と荒神谷遺跡の銅鐸は同范
2.松帆銅鐸には朝鮮半島産の鉛が使用されている。
ということを上げておきますが、また
3.比較的小型で重量も2.6kg以下
4.銅鐸同士が入れ子になりコンパクトに収容
5.国内で初めて舌や取り付け用の紐や紐跡が残っている
などがあり、極めて魅力的で完成度の高いものです。
 今回は、まず、魅力的な淡路島の遺跡や遺物、玉青館を述べて
次回に
  この松帆銅鐸や出雲荒神谷銅鐸の由来について推理します。


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