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『いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている』

『いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている』

天気が戻ると、気持ち迄晴れ晴れになりますね。

矢張り、人間も自然の懐の中で生命を維持してきたんですね。

2007年の私のブログからです。

『04/23/2007 20:00:00

TITLE: いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている

人を支えるのも、言葉は汚いかもしれませんが生かすも殺すも人間、

その殆どがそうかもしれませんが挫折に追いやるのも人間。

そんな人間社会で賢く、逞しく、お互いに幸せを共有しつつ生きていくのが技というものでしょうか。

自分の人生を振り返ってみて、

多分3分の1は半分は悩み苦しむ、葛藤に明け暮れる日々、

後の3分の1は考える暇や時間もなく粉骨砕身、仕事や社会活動に勤しむ、努力する日々、

残りの3分の1は心安らぎ、充実の、落ち着いた、豊な時間を満喫しつつ過ごす日々。

何処で線引きをするかは難しいものですし何を持ってどの3分の1に入れるのは難しいところですが大雑把な言い方をすればそんな所でしょうか。

でも、そんな中で決して私一人が苦難を切り抜けるための努力をしていたんではなくて、

支えてくれる親や家族、友人知人、或いは人生経験豊な先輩たちが暖かく見守りかつ励ましてくれていたのは紛れもない事実です。

中でも皆さんには決して信じてもらえない事があります。

神、仏とか宗教とかそんな事を申し上げるつもりではなくて人間ってそんな側面も事実としてあるんだと感じてもらえれば充分なんです。

実は私をいつも暖かい眼差しで見てくれている人がいるんです。

現存しませんので人というには可笑しいかも知れませんが私にとっては常に側に居て頂いてますので人という言い回しについなってしまいます。

母方の祖父がそうなんです。

もう何年前でしょうか、既に亡くなってますが。

巷で言う「守護霊」、余り好きな言葉では実はないんです。

そうなった理由は過去にも何回か登場されてますので改めての言及は避けますが

一言で言えば「私の人生の全てを見守っていただいている方」といえば良いでしょうか。

物事に成功すれば御礼を、

失敗しても次のチャンスを与えて頂いた事への感謝を、

判断や決断を迫られたとき見守っていただく事へのお願いを。

「いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている」、

それは家族であっても親であっても、私のように亡くなった親族、先輩であってもいいと思います。

常に思う事によって心に強い味方に成って頂けること間違いありません。

でも助けてくださいとか、どうにかなりませんか、

こうしてくださいなどということは決して申しません。

それがエチケットでしょうし、

ましてや他力本願では物事は成就しませんし、

そんな事では成功どころか失敗の公算が殆どでしょう。

たとえ成功しても感激も半減になってしまいますし努力のかけらのない成功なんて人生の糧にもならないでしょう。

「いつも誰かが暖かい眼差しで見てくれている」、

そんな思いがまた、今日の私に頑張る力と素晴らしい生き方を教えてくれます。』

西日本ビジネス印刷株式会社

代表取締役会長 園田 慶一

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