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親の老いを前にして。

おはようございます。今朝も勢いで書きます!

母が10日ほど前に、施設から病院へ入院することになった。酸素の吸入量が減ったからだ。酸素を機械で体へ送り込むことが必要となり、その設備は施設にはないため、入院することになった。

酸素を体へ送りこむ心臓の力が弱っている。母は以前からしんどがるようになっていて、その原因が、この心不全にある。

2年ほど前にも、その症状が出て、またそのときは肺に多くの水がたまり、緊急入院をした。そのときの弱りようを見たときは、万一があるかもしれないと覚悟をしたが、その後、回復し、病院から施設へ移ることができた。

施設へ来てからも回復が続き、歩行器を使って歩くまでになった。そのときは、母が持つ回復力に感心した。

そうして、しんどいとは言うものの、特に問題はなく、過ごしていたのだが、10日ほど前に入院することになった。

そして、昨日、10日ぶりに母に会いに病院へ行ってきた。病室に着いたときは、ベッドで寝ていたので、起こさないようにして、そのまましばらく母を見ていた。また、少しおばあちゃんになったように思った。年をとったなぁ、と。

母は若い頃は、父が経営するタオル工場で父と一緒に働いていた。当たり前だが、その頃の面影はない。しかし、ベッドで寝ている母の寝顔を見て、思い出すのは、その頃の母だ。

しばらくすると母が目覚めた。そして、ベッドに起きようとするので、手伝いながら起き上がらせて、私もベッドの上に、母の隣に座った。見舞いで病院にいることができるのは、15分である。少しの時間だが、母と話した。

そうすると「来てくれて嬉しい。」と言いながら、涙ぐむ。小さくなったように感じる背中をさすった。しばらくして、「また来るよ」と言って、病室を後にした。

病室に入り、10日ぶりに母を見て、また少し年老いたと感じたときは、悲しく切ない気持ちになった。親の老いを感じるのを正面から受け止めるのは、簡単ではないように思う。

心ではそのように感じるのだが、頭ではこれは仕方がないことなのだ。受け入れていくしかないのだと考える。

実際に、病院から帰り、一緒に見舞いへ行ってくれた妻から、「親の老いを見るのはツラいね。」と声を掛けられたとき、私は「仕方ないよ。受け入れるしかないよ。」と答えていた。

それを聞いた妻は、「え~、ツラくないの?」と。そして、また私は「仕方ないよ。」と答える。妻は、「親の老いをきちんと正面から受け止めた方がいいよ。見て見ないようにするのではなく、受け止めた方がいい。」という。

そんなことをすると悲しくなるに決まっている。どう受け止めればいいのかも分からない。でも、きっと大切なことなのだろう。

親との時間を大切にして、今日もステキな一日に。



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