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地元へ変えると私は浦島太郎に。

おはようございます。まだ寒い日が続きますね。昨日は大阪でも小雪がチラつきました。暖かくして過ごしましょう。今朝も勢いで書きます。

私が生まれたのは関西国際空港の対岸にある大阪府泉佐野市。大学を卒業後、実家を出てからずっと離れて暮らしてきた。30年ほど離れていたことになる。

30年という時間も過ぎてしまうとあっという間だが、実家へ帰るたびに長い時間が経ったのだと思う。私が育ったころとは街が大きく変化しているからだ。

今回もあるショッピングセンターへ行き驚いた。以前は田舎にある小ぶりなジャスコだったのが、コーナンや住宅総合展示場なども併設される大きなイオンモールに変わっていた。

少しサビれた感があったジャスコがこんなに変わっていたとは・・・。

30年も離れると実家へ帰るたびに私は浦島太郎状態になる。

全国の地方の街であればどこでも起きているように昔は繁盛していた駅前の商店街は廃れシャッター通りとなっている。また古いお家が解体され空き地となっているところも多い。

以前、泉佐野はタオル生産地として知られていた。私が子供のころはあちこちにタオル工場があり、タオルをつくる機械の音があちこちで聞かれた。私の両親もタオル工場を経営していた。

ところが今はほとんどがなくなっている。タオルをつくる機械の音はまったく聞かれなくなった。

30年あれば時代も街も変わることを実感する。

子供のころ海のうえに空港ができるとは思えなかった。対岸は埋め立てられアウトレットモールやホテルが立ち並ぶようになることも想像できなかった。地元の子供たちが遊びに来る、また大人が釣りに来るぐらいの海岸だったところがグランピングやキャンプを家族で楽しめる場所になることも想像できなかった。

家もどんどん建て替わっている。解体されて空き地になっている所もある。アパートに建て替わっている所も多い。道路も新しくなっていたりする。変わり過ぎていて以前はどのような場所だったかを思い出せない所もある。

一方で30年前と変わらないところもある。小学生のころ仲良かった友達の家も変わらないお家がある。今は何をしているのかを気にしながら前を歩く。

30年前、このように変化することを想像できた人がいるだろうか?この変化を読み、それをチャンスにしようと行動ができた人はいるだろうか?

10年単位の時間があれば街は大きく変化する。今、住んでいるこの街も30年後にはどのように変化しているだろうか?その変化をチャンスにするには何をすればいいのだろうか。

今日もステキな一日に!

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