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Happy Birthday自分と仲良くなれた自分へ

死なずに24歳の誕生日を迎えられた。お風呂の湯船につかりながら呟いた「生きててよかったぁ」は、心の奥底から出た本音。

なんせ去年の誕生日を迎えた朝、心に浮かんだ言葉は死にたいだった。スマホ画面にはおめでとうの文字が並んでいる。嬉しい。でもなぜだろう。次の瞬間、涙がぽろぽろとこぼれた。生きている実感を体いっぱいに受け止めることができず、頭の中がぐちゃぐちゃになった。

去年のわたしにとって誕生日は「生きていることを鮮烈に感じざるを得ない日」だったようだ。布団の中でうずくまり、泣いた。カーテンの隙間からすっと朝日が差し込む。何度も心で唱える言葉が、苦しかった。

新卒で入社した会社を、適応障害と診断された翌月に退職した。意気揚々と決めた転職先も2週間で辞め、他に選択肢がわからなかったからと、フリーランス(ほとんどフリーター)になると決めた翌月に迎えた誕生日が、それだった。

どうやらわたしは、ほかのどの職業でもなく、どうしてもライターになりたいらしい。と、自分の気持ちに気づいてあげるのが遅くなり、死にたいと思うまで自分を追い込んでしまった。

それだけではない。いわるゆる"世間一般的な"キャリア形成から外れる自分に、まぁしゃーないよね。と、最後までOKを出してあげられなかった。

新卒で入社した会社をすぐ辞めるなんて、だめなやつだ。しかも転職にも失敗して、もうわたしを雇ってくれる人なんてきっといない。そしたらどうやって生きていくんだだろう......。ライターになりたいと言ったのはいいものの、未経験で稼げるわけない。貯金通帳を見ると桁がひとつ少ない。うわ......。やばい、バイトしなきゃ。でも文章書く時間も確保したい。どうしよう、どうしよう......。友達や同期たちは毎月ちゃんとお給料を貰っていて、どんどん成長している、はず。それに比べてわたしは......家にお金もいれられず実家暮らし。社会人なのにちゃんと働いて稼げない自分なんて......。社会にとっても、家族にとってもお荷物だ。生きてる意味なんてない。みんなに迷惑をかけて生きてるのが申し訳ない......。

だから、死にたい。


こんな感じの思考回路がグルグル頭の中を100万回以上リピートだった。自分を許す隙間なんてない。びっしり敷き詰められた「こうあるべき」「そうでない自分はダメ」のオンパレードにぎゅうぎゅうと胸が締めつけられた。

そんな状態だったにもかかわらず、休む勇気がなかった。

当時のわたしにとっては「休む=止まる」だった。これ以上世界に置いてけぼりにされたくない!と、恐怖に似た感情が胸を覆い、それから逃げたくて走り続けた。それと引き換えに思考回路はどんどん泥沼化する。

自分で自分を傷つけていることに、いつまで経っても気づけなかった。

ねぇ、そもそも自分にコントロールできないことって山ほどあるよね。正解なんて社会に出たらどこにもないんだよ。自分と相手は違うから、適切に境界線を引こうね。正義って見る角度によってコロコロ変わるもの。人が取る言動は役割や立場がそうさせているだけだから、人格についてあれこれ深く考えなくても大丈夫だよ。自分が自分を世界で一番愛していれば、寂しくないんだよ。

涙で濡らした、23歳の誕生日から1年が経ち、今ではこんな言葉たちをグルグル頭の中を100万回以上リピートできるようになった。

嫌なことがあっても自分を責めずに、

よくがんばったね。つらかったね。嫌だったね。苦しい思いをさせてごめんね。すごいよ。えらいよ!!

自分で自分を褒めることを覚えた。認めてあげることを覚えた。肯定し、愛することを覚えた。

ああ、そっか。わたしは誰よりも自分に愛されたかったんだな。

そう気づけた瞬間は、涙がドバドバと溢れた。


1年前と比べて、性格や気質が変わったわけでもメンタルがコンクリート並みに強くなったわけでもない。

自分の気づきと、気づくための刺激を与えてくださった尊敬する大好きな方々のおかげで、「完璧ではない、思った通りにいかないことのほうが多いけれど、人生ってこんなにも楽しく生きてもいいんだな」そう思える日が増えてきた。

もっともっと、表現して生きていきたい。


そんな、24歳になった。

わたしたちは選べるのだ。楽しく生きるのも、つまらなく生きるのも。選べる自由って、幸せだ。

ライターとしてまだまだ駆け上っていきたい山がある。実力や経験はまだまだ伴っていない。

けれど、

「どんなにダメな自分でもこの世で価値のある存在なんだ」そう思えるようになったこの365日の奮闘が、わたし史上最大の成果だ。

Happy Birthday自分と仲良くなれた自分へ

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