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「海の向こうにも人の人生が詰まっている」ということ。

PCR検査を受けずともチケット片手に自由に飛び立てた頃は、時間とお金ができるたびに海の向こうへと渡った。宿も行く場所も決めずに、ただ飛行機に乗るだけのときもあった。街を歩き、そこで感じたままに生きる。なにも決まっていない。ただ1秒、1秒、したいことをする。

道ゆく人と話し、売店で買い物をし、路面電車やバスに乗った。

今思うと、私にとって「自分の目で世界を見ること」がどれほど大切だったのかわかる。

世界とは、人だった。人の声色であり表情であり喜怒哀楽であり漂わせる雰囲気やオーラ、そのものだった。

異国の地を歩いていると、私の前で涙を流す人もいれば、満面の笑みで微笑みかけてくる人もいた。どうしたらそんなに見返りを求めず人に優しくでいるの?と心打たれるほど手を差し伸べてくれる人もいれば、いらいらしながら舌打ちをして通り過ぎる人も、お金をだまし取ろうとしてくる人もいた。

テレビでは、知っていた。YouTubeでも、ネット記事でも、画面に映る情報は知っていた。だけど、知ったつもりになっていたことがあった。

「海の向こうにも人の人生が詰まっている」ということ。

電車で隣の席に座るおじいさんが、私に話しかけながら突然流した涙。駅のホームで、嬉しそうに話しかけてくれたお姉さんの笑顔。自分の仕事に誇らしげな表情をするおじさん。

圧倒され、驚き、尻込みをした。

海の向こうに、こんなにも自分と同じように泣いたり笑ったり、悲しんだり、怒ったり、寂しさを抱きながら生きている人がいるんだ…。
自分の足で歩き、自分の声で話し、自分の手で電車の切符を買わないと、絶対にわからないことだった。

国で括りたいくない。人種で括りたくないと思った。今私の目の前にいる人を、誰かや何かと一括りにはできなかった。

一人ひとりに、人生があること。一人ひとりに生き方があることを、自分の目で見なければ、肌で実感しなければ、その国のことも、そこで暮らす人々のことも、なにも理解できないのではないか。いつだって人が抱えているバックボーンは、他人の想像を超えている。私が想いを馳せられる想像力とは、微々たるものだったのだと知れたことが、絶望であり、希望だった。20歳だった私は、ドイツで地下鉄を降り、曇り空の下、一人で笑いながら号泣した。

あれから6年が経ち、人が生きた証を、人が生きている記憶を、残したい。そう思いながら日々ライターとして文章を綴る。「ちいさくとも確かな声を届ける」ことに大きな意味があると心の底で確信しているからなのかもしれない。

自分の目に映る世界の国々を、綺麗だと心から思ったから。1ミリでもいいから、綺麗な世界を残すためにできることを、したい。

相手を知る、人を知る、世界を知ことが、自分の目で見て触れるきっかけになったなら。

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