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【私の名刺代わりの記事】生き方を伝えるライター|貝津美里です(随時更新)

2019年からライターと名乗りはじめ、ありがたいことに今日も「文章を書くこと」を生業にして生きています。気兼ねなくカフェで好きなメニューを頼めたとき、友達に誘われた旅行に二つ返事で「行く!」と返事ができたとき、ドキドキしながら大好きなお寿司をカウンター席で食べたとき(ランチです)。

時々ひとり静かに、感慨深くなります。ああ、私本当に書いて生きているんだなぁと。いまだに信じられない気持ちになることも。喜びを暮らしのなかでじんわり実感するのです。

少し大袈裟にしみじみとしてしまう理由は、私がライターになった経緯にあります。

新卒で入社をした人材紹介会社を半年で辞めてしまい、転職した会社も2週間で辞めてしまい、「わ、わ、わたしは…社会で生きていけないのでは…」と子犬のように怯え震えていた時期に「生きていくには、これしかない!」と崖から突き落とされるようにライターの道を踏み出しました。

未経験からいきなりフリーランスでライターになった(名乗りはじめた)こともあり、もちろん最初は仕事もなく飲食店でアルバイトをしながら生計を立てる日々。今思うと、負けへんで!精神そのもの。一番歯を食いしばった時期でした。

そこから紆余曲折を経て一本ずつ実績を積み、周りの人に恵まれ、今では企業の記事コンテンツ制作、メディアへの寄稿、メディア運営、編集、本づくりと、できることも幅広くなりました。

そんなこんなの道のりを振り返り、これまでのお仕事を整理しました。

そしてただ実績を並べるだけでなく、改めてライターになった経緯や生き方を伝えるライターと名乗っている理由、大事にしたい価値観を含めた「想い」の部分もしっかりお伝えしようと思いました。

この記事では、想いと実績をあわせた「私の名刺代わりの記事」をお届けします。

※ポートフォリオだけサクッと見たいよ、という方は目次「2.ライター・編集のお仕事」からご覧ください。

1.自己紹介

1996年2月22日生まれ。(猫の日生まれだけど犬が好き)出身は埼玉県川口市。賑やかな家族と友人に囲まれて人が好きな性格に育ちました。

学生時代の得意科目は体育。小学校は水泳とバスケ。中学はソフトテニス部、高校はソフトボール部に所属。高校の三者面談では「体育の先生になる!」と宣言して日本女子体育大学に進学します。

ゴリゴリの体育会系じゃん!と思われたかもしれませんが、オリンピックを目指すような勝ち負けに興味があったわけではなく、大学では一人でドイツの地域スポーツクラブを視察・取材をさせてもらったり(海外って部活がないんです)。NPO法人で障がい児の個別運動指導コーチをしたり。サークルを立ち上げてブラインドサッカーの体験会を開催したり。

あらゆる角度からスポーツを捉えて、人と人がつながる場面を見たり企てるうち、もっと広い世界が見たい!冒険心がむくむくと育まれ、海外をバックパックで巡る旅にもハマります。

これが生き方を伝えるライターにつながる第一歩でした。いろいろな国を巡ると、肌の色も、文化も、言語も、食も、宗教も、衣食住の何もかもが違う人に出会います。人が好きな私は興味津々で会う人、会う人に、生き方を聴くのが大好きでした。

仕事を辞めて世界一周している人、休学して海外インターンに来ている人、海外で就職をしている人。就職せずいきなり海外で起業している人。そして海外の人の働き方。

世の中には、いろんな生き方があるんだなぁ、とパッと目を見開き心を震わせました。一人ひとりに色があり、そんなカラフルな世界が美しく思えたのです。

そうしてあっという間に就職活動。いろいろな生き方があるんだなぁと感動していたのもつかの間。みんな同じスーツ、髪型で揃え、働きたくない〜だるい〜と言いながら面接に行く教室の風景。「あれ?なんか違う気がする」そんな違和感は日に日に大きくなっていきました。

なんのために働くのだろう。仕事ってなんだろう。

まだ社会に出たことのないなりに、一生懸命頭を巡らせ、言語化し、本を読み、いろいろな人に話を聞きにいきました。自分の生き方を、自分の足で探していた時期だったのだと思います。職業を探すというより、生き方を見つけていく感覚でした。

大学3年生だった私がたどり着いた答えは、こうでした。

「可能性が無限にある学生のときに、自分の将来に絶望して社会に出るなんてもったいない。学生がワクワクする就活ができるよう、キャリアアドバイザーになって、人の生き方の選択肢を広げる仕事がしたい」

結果的に、自分が感じたモヤモヤを解決することを仕事に選んだのです。

大きな理想を掲げて入社したのは人材紹介会社でした。理念にとても共感して社員の雰囲気も良く、ここで絶対活躍するんだ!という意気込みが同期の誰よりもと言っても過言じゃないくらいありました。

そうして始まった社会人生活。毎日スーツを着て、同じ電車に乗り、テレアポを150件以上。毎日毎日、ただ繰り返し日々が過ぎていきました。前職でお世話になった大好きな人もたくさんいるので詳細は省きますが、だんだんと自分の中の何かが枯れていく感覚が日に日に大きくなっていきました。

ただ呼吸をしているだけで辛い。消えてしまいたい。会社に行くのが怖くて、日曜日の夜になると部屋の電気を消して寝られない。

入社から3ヶ月経ったある夏の日。朝ベッドから身体が動かなくなってしまいました。次第に涙が溢れ、心配して部屋に入る父親から「どうしたの?」と言われるも、か細く縛り出すような声しか出せません。

「みんなと同じように、ふつうにできない…」

同期はがんばっているのに、自分だけどうして踏ん張れないんだ。先輩もいい人ばかりなのに迷惑をかけて申し訳ない。

そのままの手でスマホを握り締め、退職をしたいとすがるように上司に連絡を入れました。とりあえず一週間会社を休むよう言われ、自分の身になにが起こっているかわからないままドロドロに溶けたアイスのように寝て起きてを繰り返す7日間を過ごしました。

その後、上司と喫茶店で話すことに。クーラーでキンキンに冷えた店内で死んだ魚のような目をしている私に「はい、これ」と手渡されたのは、同期からの手紙が入った紙袋でした。

急に会社を休み、退職をしたいと上司に告げたことを知った同期は、各々が思うことを手紙にしたためてくれていました。実はライターになった今も仕事でうまくいかないことがあると、時々その手紙を読み返します。すごく仲が良かったわけでもない、でもちゃんと仲間だった同期からの言葉は、一つも綺麗事は書かれていませんでした。だからこそ本物で、文面からは痛いほど気持ちがひしひしと伝わりました。

気がつくと、クーラーでキンキンに冷えた店内で涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっていました。

───手紙を贈るように、記事を書く。今になって思うと、ライターになってからもっとも大事にしていることの一つが、このときの経験に紐づいているように思います。「あなたに届けたい」という想いがどれほど人の気持ちを動かすのか。それを胸に深く刻みつけられました。

そうして一度は上司や同期に励まされ復帰しましたが、やはり長くは続かず、結局体調を崩し退職を決断。心が痛く、痛く、痛く、辛い気持ちでいっぱいでした。

ただでさえ疲弊していた時期なのに、思いもよらない挫折を経験した私は、できなかった自分にとても厳しく当たりました。「入社半年で会社を辞めるなんて社会的価値はない」「みんなに申し訳ない」「こんな自分は、ダメなんだ」という自己嫌悪と、早く仕事を見つけないと!という焦りが拭いきれず、紹介された会社に営業職としてすぐに転職をします。

このとき本当は、少しずつ芽生えていた「ライターになりたい」という自分の気持ちに薄々気づいていました。大学4年生の頃、好きなライターさんに憧れて、旅先で感じたことや日常で思うことをエッセイのように綴る習慣が自然と馴染み、仕事にせずともすでに文章で表現する楽しさと共に生きていたのです。

にも関わらず、自己肯定感がどん底まで落ちていた私は、「いや、なれるはずがない」と心の声を誤魔化して入社したのでした。その結果、やっぱり違う。というアラートは、すぐに頭の中でガンガンと鳴り響きます。

あれ?私、なにがしたいんだっけ?本当は、なにがやりたいんだっけ?

「人の生き方の選択肢を広げる仕事がしたい」という最初に掲げた想い。「文章を書く」という日々の習慣からふつふつと生まれた好きなこと。

その2つを掛け合わせて、いろいろな人の生き方を聴くのが好きだった私は「インタビューをしながら記事を書いて、人の生き方の選択肢を広げられるようなライターになる」と、新しい道を見出しました。

ただこのときほど、自分が惨めで情けなくて格好悪いと思ったことはありませんでした。会社を紹介してくれた人にも申し訳ない、会社の人にも申し訳ない。なにをしているんだ…。という自己嫌悪はさらに深くなり、「すみません、辞めます」と告げた足のまま渋谷駅の路上で、友人に泣きながら電話をかけました。

「わだじ…….やっばり……ライターになりだい…….」

そこまでしないと自分の心の声がわからないなんて。自分を信用できないなんて。とことんアホだな、と思いながらも、自分の生き方に真剣に真剣に向き合ってやっとたどり着けた、唯一無二の揺るぎないやりたいことでした。

新卒で早期退職をしてしまった自分にコンプレックスを抱いて自信がない、生きていくのが怖いと、いつもビクビクと怯えていた私も、インタビューを通じて、会社員・フリーランス・複業・地域へ移住・起業などなど多種多様な組み合わせの働き方・暮らしを聴くことで、「こんな生き方があっていいんだ」「こんな働き方をしている人もいるんだ」「こんな場所で暮らしている人もいるんだ」と、少しずつ生き方の選択肢が広がっていきました。

“今のままの自分でいい。自分に合った生き方・働き方・暮らしをすればいい。だからこそ選択肢は無限にあり、その中から「自分で選べる」。人生の舵きりは自分なんだ”

生き方を伝えるライターになる、と決めたあの日から、嫌なことを振り切って泣きながらどろんこになりながら、前だけを向いて書き続けてきました。来る日も来る日も書いて、書いて、書いて。ときに生きていくことをあきらめそうになるくらい自分が情けなく惨めに思うこともあったけれど、どうしても自分自身に、そして自分と同じように生きづらさを抱える人たちに届けたい想いがありました。

いろっっっっんな生き方の選択肢がある。

何を選ぶかは、自分で決めていい。弱くても、強くても、勝っても、負けても、正解でも、間違っていても、答えがなくても、曖昧でも、逃げても、闘っても、頑張っても、頑張らなくてもいい。幸せでも、不幸でもいい。大事なのは、「選べる」と知ること。

生きていくのが辛くて仕方がないとき、「選べる」と教えてくれた人たちや言葉に出会えたことで呼吸がしやすくなりました。人生が終わるそのときまで選び続けなければならないと思うと、もうずっと迷い人なんじゃないかと気が遠くなるけれど、世界のどこかでうずくまっている人がいたら「私も迷い人なんだけど」と話しかけるように言葉を届けたいと思います。

さて、名刺代わりになる自己紹介記事いかがでしたでしょうか。「生き方を伝えるライター」という名前に込めた想いが少しでも伝われば嬉しいです。

長々と読んでいただきありがとうございました。ここからは、愛情を込めて丁寧に作り上げたお仕事の内容をまとめています。

2.ライター・編集のお仕事

2-1.主なテーマと得意分野

◉生き方
◉働き方
◉地域・移住
・名刺代わりとなるインタビュー記事の執筆
・人の想いを丁寧に汲み取ること
・人柄・感情の機微の表現
・想いや背景をストーリー仕立てに伝えること
・インタビューを通じての思考・感情の整理/言語化

2-2.具体的な内容

・コンテンツの企画立案
・インタビュー
・執筆
・編集
・メディア運営
・カメラ撮影
・ライティング講座
・本の制作(人生を一冊の本にまとめる完全オーダーメイド)

3.企業様のコンテンツ制作

◉人と組織をつなぐ編集者
採用・広報/ブランディング/ミッションビジョンの発信/創業ストーリーの発信など。「人」の価値観や想いを丁寧に汲み取った記事コンテンツづくりに伴走します。

株式会社デンソー様「実現力リレートーク」
愛知県刈谷市を本拠に置く自動車部品メーカー。自動車部品業界の国内最大手であるデンソー様の社員インタビューの連載を担当しています。

株式会社デンソー様「暮らしの図鑑」(採用サイト)
本拠地にある刈谷市への移住・住みやすさを、社員の方々へ取材・執筆しました。

株式会社ヤマチク様
「竹の、箸だけ」を59年間作り続ける、熊本県南関町に本社工場を構える箸メーカー「ヤマチク」のnote立ち上げから企画・取材・執筆・編集を伴走しました。

株式会社アクアリング様
デジタル領域の戦略策定・制作を得意とするコミュニケーションデザインファーム株式会社アクアリングの、公開社内報note・社員インタビューの執筆を担当しました。

レラテック株式会社様
国内唯一の洋上風力に特化した、神戸大学発の研究開発型ベンチャー企業・レラテック株式会社の創業ストーリーをインタビュー&執筆しました。

東京家政学院大学様
2023年に創立100周年を迎える東京家政学院大学の理念である「人々のしあわせにつながる家政学」という考え方を、現代社会に反映しながら学び続ける在学生・卒業生・教員へのインタビュー&執筆を行いました。

株式会社10YC様
アパレル業界における、服の廃棄・低賃金・工場の人材、後継者不足などの問題に対して「自分たちにも何かできるんじゃないか?」という想いから創業したアパレルブランド10YC「服のものがたり」の企画と執筆を担当しました。

日本百貨店様
日本百貨店のスタッフ一人ひとりにフォーカスをあてたインタビューコンテンツ。働く理由や仕事のこと、日々の暮らしの中で大切にしていることなど。「好き!」を原動力に働く個性あふれるスタッフの想いをご紹介する「ハタラクヒトビト」のインタビュー執筆を担当しました。

4.メディアへの寄稿

◉生き方を伝えるライター
人の生き方の選択肢を広げる、名刺代わりとなる記事を取材・執筆します。
活動の想いや背景を含め、喜びや苦悩など、繊細な感情の機微を紡ぎます。

5.メディア運営・編集

◉伝えたい、届けたい。想いに、伴走する編集者
ライターさんの想いや熱量を尊重しながら、丁寧な編集を心がけています。

ウェブメディア70seedsの運営・編集者(2021年1月〜)
次の70年に何をのこす?をコンセプトにする70seedsの編集者としてメディア運営を担当しています。

一般社団法人ノアソビSDGs協議会様
“野遊び”で、真に豊かな地域、社会、世界、未来を進化系で創生し、世界をハッピーにするために国内と海外での事業の仕込みと地方創生を議論し展開する組織「一般社団法人ノアソビSDGs協議会」の記事編集を担当しました。

6.連載

ウェブメディア70seeeds「埼玉県比企郡へ移住した人たち」連載
埼玉県比企郡に移住し活躍する方々を、5回の連載としてお届けしました。地域を巡りながら、企画・インタビュー・執筆・編集を担当しています。

認定 NPO 法人サービスグラント「ふるさとプロボノ」連載
地域活性化に取り組む地域コミュニティや団体と、都市のビジネスパーソンをつなぎ、課題解決に向けた具体的な成果物を⼀緒に作っていく「ふるさとプロボノ」。自然と人の暮らしが循環していくような未来の創造を目指し設立された株式会社やまとわの「営業資料の作成」に取り組むプロボノメンバーの姿を半年間、密着しました。

ウェブメディア SoloPro「#はたサバ」連載
ゲストを招いた公開インタビュー企画。With/After コロナ時代の働き方戦略について考える、オンラインイベント「With/Afterコロナ時代の働き方サバイバル戦略(#はたサバ)」。運営アシスタント・執筆を担当しました。

7.エッセイ

気持ちのまま、綴った記事です。

8.ラジオ・potcast

自然体な生き方を考える「ソラミド」編集部にて、毎週potcastに出演しています。日々感じること・考えること、問いを持ち寄り、対話をしながらメディアのコンセプトである「自然体な生き方」を考えるコンテンツをお届けしています。

9.ライティング講座の講師

地域コミュニティとして市民ライターを養成し、市民による地域の魅力発信を目的とした講座の講師を勤めています。

10.登壇

ライター100人カイギにて、これまでのキャリアや働き方をお話しました。

11.世界に一つだけの贈り本
文章で残すアルバム「結びめ」

子供が生まれた日のこと。
結婚する夫婦の想い。
学生時代のキラキラした思い出。
親から子へ、子から親へ、伝えたいこと。
人生を振り返り残したいこれまでの歩み。


写真のようにその瞬間を映しだすのもいいけれど、感情やできごとの背景を「文章」にしてアルバムのように残せたなら──。

そんな想いから、大切な人へ贈るギフトとして、じぶんへの贈り物として、人生を綴った世界で一つだけの贈り本・文章で残すアルバム「結びめ」をはじめました。本に残したい生き方、想いを、数回に渡るインタビューを通じて、一冊の「本」にまとめます。詳細はこちら↓

12.これから挑戦したいお仕事

小さな声を確かに届けるために。長く愛されるために。一つひとつ丁寧に文章を紡ぎたいと思っています。

・想いはあるけど、発信が追いついていない。
・人柄が伝わる文章を定期的に発信したいけど、時間がない。
・本当はもっと、HP・noteを更新したい。
・話すのは好きだけど、文章を書くのは苦手。
・長く読まれ続ける、自分の名刺代わりになる記事を作りたい。
・文章の書き方、教えてほしい。

そんなお悩みがある方は、ぜひ一度お気軽にご相談ください。法人・団体・個人問わず、大歓迎です!

またこれまで通り、Web記事のインタビュー・執筆はもちろん、本や雑誌の紙媒体にも挑戦していきたいです。(いまの密かな夢は、旅をしながら世界中の人の生き方を聴いて本を書くこと)

ふわっとしたご相談でも、企画から一緒に考えることもできるので、ぜひよろしくお願いします。

お問い合わせ

・メールアドレス:misaxx2223310@gmail.com
・Twitter DM:https://twitter.com/misaxx222

▼その他、lit.link にまとめていますのでよかったら覗いてみてください

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!楽しいお仕事のお誘い、お待ちしています!

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