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愛犬との15年と約束。

「約束だよ?」

「うん、約束。」

2021年11月20日、愛犬ももちゃんが亡くなった。15才と11ヶ月だった。寂しいけど、悲しくはない。ある約束をしてお別れをしたからだ。

ここに、15年間の思い出と、これからのことを残しておく。明日からもものいない世界を、ももといっしょに、生きていくために。

***

わたしが10歳のときに、突然やってきた柴犬がももだ。あれはまだランドセルを背負っていた頃のこと。放課後のそろばん教室を終え、迎えにきた祖父に「子犬が家に来ている」と告げられたのが最初だった。

「え!?犬がいるの!?」

とくんっと心が踊る。緊張気味に祖父の自転車の後ろに跨った。両親から犬を飼っていい、など言われたことはない。飼う予定もなかったはずだ。

どんな子だろう?どんな子だろう......?祖父の背中をじっと見つめながら、抑えきれない興奮と妄想を膨らませるばかりだった。

祖父の家に着き、玄関にあがると家族が一箇所に集まっている姿が見えた。きっと子犬がいるであろう場所。バタバタ!と一目散に駆け寄った。

「うわぁ......!」

宝箱をあけたような気持ちだった。むくむくした短い手足。いかにもやわらかそうな耳。くるっとカールしたしっぽ。白くてふわふわなお腹。くりくりとした目に、ひくひくするちいさな鼻。

くぅー。すぴー。くぅー。すぴー。

小刻みに上下にうごく胸の鼓動。

どこを見ても"生まれたて"であることが全身から伝わる眩しさと儚さではちきれそうだった。

新鮮で、不思議で、可愛くて。バスタオルに包まれた茶色のモフモフのかたまりを眺めながら、これまでにないやさしい気持ちがじんわりと広がった。

「抱っこしてみる?」

そう言われ、こくんと頷き腕を伸ばす。まるくて小さい子犬をおそるおそる胸に抱いたときのぬくもりは、身体中を陽だまりのように照らしてくれる、いのちそのものだった。

「飼いたい!!!」

それからは、その一点張りだった。実は飼うことを前提に連れられてきた子ではなく、母が友人宅で子犬が産まれたと連絡をもらい、「見に行くだけね」と弟といっしょに行った帰り道、この子は最後まで引き取り手がいなくて、としっかり弟の腕にくるんでもらってきてしまったようだ(正確には、「飼いたい!」と弟が離さなかったそう)。飼うつもりがなかったのに、もらってきてしまった子犬。それが、ももだった。

「本当に飼える?お世話できる?ぬいぐるみじゃないんだよ?」

幼い頃から動物のぬいぐるみが大好きで集めまくっていたわたしは、本物だ!本物だ!!というときめきで胸がいっぱい。生き物を飼うには責任が伴うんだよ、という両親の忠告など耳に入ってくるはずがなかった。

「大丈夫!お世話する!飼える!」

それでも、学校や仕事でみんなが家を空ける時間が長い我が家で飼うのは難しい、とそのまましばらく祖父と祖母の家で面倒を見てもらうことに。放課後や土日の習いごとの合間に来て、世話をする。それが飼う上での約束だった。

名前は、もも。

ももちゃん!と呼ぶと、ふいっと振り向く。くりっとした目をこちらに向ける。その仕草さえ、当時のわたしは不思議でたまらなかった。

「ももって名前、じぶんでわかってるのかな?」

犬は言葉が話せないから、こちらの言うことはわからないのではないか。当時のわたしはそう思っていた。

「わかってるよ。ももは、人間が話す言葉もわかるんだよ」

両親からそう言われてもなお、半信半疑。

「もも!おすわり!」

「もも!おて!」

「もも!そっち行っちゃダメ!」

「もも!こっちおいで!」

「ももちゃん、かわいい!」

たくさんの言葉をかけた。たくさんの表情を見せた。そうするうち、だんだんももの気持ちもわかるようになった。

いたずらをすると、自分からハウスにはいってひっそりとしている(明らかにあやしい!)こと。わたしの足音が聞こえると、「来たの!?うれしい!うれしい!!!」としっぽをブンブン振って飛び跳ね喜び、ぺろぺろと舐めてくること。お気に入りのおもちゃを取られそうになると、ヴーーー。と唸ること。怒られるとしゅっとして大人しくなること。一人にされると、くぅーーん。と寂しそうな声を出すこと。

ももは言葉はしゃべらずとも、その一瞬一瞬ちがう顔によって感情や意志を伝えてくれているのだ。

その度に、いっしょに喜び、なぐさめ、寄り添い、時には本気で喧嘩をした。正直、お世話をしているという感覚はなく、いっしょに育ってきた姉妹であり、友達であり、ペットであり、いつもそばにいる存在だった。

***

祖父が亡くなってからは、わたしたちが引き取り自宅で飼うように。朝起きて学校や仕事に行く前にお散歩に連れていく。学校帰り、仕事帰りにもまた連れていく。家族で分担はしていたものの、「飼う!!」と言ったわたしと弟がメインで行くことに。

とはいえ中学、高校、大学、社会人とじぶんのことで忙しくなりももちゃんに構ってあげる時間もぐんっと減った。散歩に連れていく習慣はずっと続いたが、正直面倒くさいと思うことも多かった。今になって、もっと長く遠く、連れてってあげればよかったなと思う。

それでも悩んだり落ち込んだときは、ももの散歩がいい気分転換になっていた。空は綺麗で、空気は澄んでいて、緑もやわらかい。塞ぎ込んでいる気持ちを外の世界にふっと溶かしてくれる日常の時間だった。

「その悲しさ、伝わるよ」

家族がバラバラになりそうなとき。失恋したとき。社会人になり心が折れそうなとき。そっと近づき、なにも言わずさりげなく側に居てくれた。

リモートワークが続き部屋で仕事をしていると、

「大変そうだね〜」

と言わんばかりに必ず部屋に入ってきて椅子の近くに座り、いつのまにかごろんと日向でお昼寝をしていた。

「どこに行くの!?連れて行ってー!」

家族が玄関に行くと、必ずついてきた。車に乗るのも好きだったももは、休日はいっしょに遠出をした。車窓から景色を眺めたり、足元でくーくー眠ったり。行った先で存分に歩いたり。ももにはこの景色がどんなふうに映っているんだう?と、なんども瞳を覗き込んだ。

「ひとりにしないで。いっしょに寝よう」

夜寝るときは部屋にトコトコとやってきて、いつからかわたしの部屋で眠るようになった。

毎日、毎日、いっしょに生きた。雨の日も風の日も雪の日も。首輪にいつものリードをつないで家の周りを散歩し、ごはんをあげて、眠る。何も変わらない毎日が何年も続く。と思っていた。

けれど10歳だったわたしがランドセルを背負わなくなり、制服も着なくなり、仕事や恋やあそびに夢中になるあいだ、ももはいつの間にかわちゃわちゃ!と甘えてくることも減り、その代わりひとりでうとうと眠る時間が長くなった。

そして、わたしより、ひと足もふた足も早く、老いていった。

階段が登れなくなる。散歩で歩ける距離が短くなる。食欲が落ちる。アトピーで体や顔が荒れてしまったり、膀胱炎になってしまったり、薬を飲む頻度も増えた。病院に行くたびに落ちる体重。

そうしてついに、ももちゃんが歩けなくなってしまった。2021年夏のことだ。

寝たきりになったももは、ごはんも自力で食べるのが難しく、スプーンで口元まで運んであげた。おしっこやうんちを漏らしてしまう頻度が増え、おむつをするようになった。夜は一人になるのが寂しいのか、夜鳴きが止まない。ついには昼夜問わず、「くぅーーーん。くぅーーん。うぁん!うぁーん!」と鳴きわめいていた。

だんだんと、目の光が薄れていくももの背中をさすりながら「どうしたの?大丈夫だよ」と家族は声をかけ続けた。どんなご飯なら食べてくれるのか、ドッグフードを変えてみたり手作りのご飯を作ったり。鳴いたら、おむつ交換なのかお水が飲みたいのかお腹が空いたのか見極める。

これが、介護か......。

う!くさい!と思いながらも、ももちゃんのお尻を拭いてあげる。夜は寝ている間も鳴いたら起きて、仕事中はミーティングや作業の合間を縫って。

正直、頭がおかしくなりそうだった。寝不足が重なり、仕事に集中できる時間が減り、くぅーん。の鳴き声を聞くと、「またか!」と思ってしまうほど、大変だった。お世話をしながらわたしたちを噛もうとする姿を見ると、わからなくなってしまったのかな?と思った。実際、病院の先生にも、そうかもしれませんねと告げられた。

10歳だったわたしが思ったこと。

「ももって名前、じぶんでわかってるのかな?」

「わかってるよ。ももは、人間が話す言葉もわかるんだよ」

それから15年後、ももは、わたしたちのことを忘れてしまったのかもしれない。それでも、やっぱり、可愛かった。だんだんと呼吸が浅くなるももを見て、やってあげられることはなんでもしてあげたいと思った。くたっとしているももを抱き上げ、胸に引き寄せ、抱いて寝てあげると、やさしい吐息で一生懸命生きているのが伝わった。何度も何度も、抱いていっしょに寝た。

***

それでも、その日はやってきた。

もう少し、もう少しがんばるんだよ。と声をかけ続ける家族。痩せ細った身体で懸命に生きようとするもも。

ふいに、抱きたくなっていっしょに寝ることにした。ももをわたしのお腹の上に乗せ、ぽんぽんと手を置く。ある言葉たちが口をついて出た。

「ももちゃん。ありがとうね。生まれてきてくれてありがとう。うちに来てくれてありがとう。仲良くしてくれてありがとう。一生懸命生きてくれてありがとう。大好きだよ。ずっと親友だよ。」

見ると、ももは目を開けて、深く深く、呼吸をしていた。聴いているのかな?とふふっと笑う。それからは、添い寝をし、わたしもうとうと。ももは、目をやさしくつぶって、大きく大きく、呼吸をしていた。一生懸命、いま、この瞬間だけを、こんなに一生懸命生きているももの姿を見て、ぎゅっと抱き寄せた。

しばらくすると、異変を感じすぐにいつものベッドに寝かせてあげた。ちょうど家族がわたし以外誰もいないときだった。苦しそうに何度が咳するもも。どうしたの?どうしたの?と、さすることしかできない。


数十秒後、ももは静かに息を引き取った。


「ももちゃん!?ももちゃん!?」

目の前で呼吸が止まったまぎれもない現実を受け止めながらも、信じたくない気持ちが大きく膨らみ目から涙がぽろぽろとこぼれる。身体をゆすりながら、ひたすらに名前を呼ぶしかできなかった。

ずっと、手を握った。握っていた。

冷えゆくももの前足は、わたしの手汗でじんわりと温かくなる。それでも少しずつ、少しずつさーっと引くように体温は下がり、いのちが尽きたことを感じた。

家族が帰ってくる前に、逝ってしまったもも。看取ることができたのはわたしだけだった。

もしかしたら、と思う。


「ももは、人間が話す言葉もわかるんだよ」


やはりももは、わたしの言葉をちゃんと聴き、理解していたのだ。だから、ありがとうや大好きの言葉を受け止めて安心して逝ってしまったのかもしれない。そう思うと不思議な温かな気持ちがじんわりとゆっくり広がる。冷たくなるももを何度も何度も撫でながら、愛おしい気持ちとやり切れない気持ちでまぶたが涙でいっぱいになった。

***

ももが亡くなり、寂しかった。夜は、涙が止まらなくなった。そんなわたしに、パートナーが言葉をかけてくれた。

「大丈夫だよ。ももちゃんはみさとの近くにいるんだよ。自由に動けるようになっていまも、部屋の中を走り回ってるよ。それにまた生まれ変わってきてくれるかもしれない。だから大丈夫だよ。泣いてたらもも、心配しちゃうよ?」

ドバドバと出ていた涙は、ひっくひっくと言いながら止まった。そのとき思ったことがある。

"ももは、わたしが幸せになったから安心して逝ったのかな"

温かくて大きくてつよくてやさしい彼に出会ってから、わたしはじぶんの人生がより愛おしく生きやすくなった。ひとりより、ふたりで生きる豊かさを教えてくれた人だ。

家にきたときは、もものお世話も嫌がらずにしてくれた彼は、いっしょに悲しみ、わたしの悲しみに寄り添ってくれた。

ももは、ぜんぶ、知っていたのかもしれない。

最後の最後までやさしいももに、わたしは最後の最後まで甘えていたのだと思う。涙を拭いてちゃんとお別れをしよう。そのために、ある約束をすることにした。


「ねぇ、もも。これまで15年間、本当にありがとう。ももといっしょに暮らせてたのしかったよ。でも、学校や仕事やあそびに忙しくてあまり構ってあげられないときもあったよね。寂しくさせてちゃってごめんね。でもこれからは、もうずっといっしょだよ。どこへでも、いっしょに行こう。これからの人生、きっといろんなことがあるけれど、ぜんぶいっしょに経験して乗り越えて冒険しようよ。そしていつかまた、この世界で生きたいと思えたときは、生まれ変わっておいで。わたしたちは、いつでも大歓迎だから。約束だよ。これからも、いっしょに、生きていこうね」

ももがたくさんの花に囲まれて灰になり天に昇るとき、わたしは泣かなかった。

「約束だよ?」

「うん、約束。」

合言葉を胸に唱えれば、いつだって、今ここに感じられるから。ももがいない世界を、ももといっしょに、生きていくために。

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