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生きづらさは、選択していた

いつもビクビクしながら過ごしていた。特に社会人になってから。いつ獲物に喰われるかわからないと怯えながら周りをキョロキョロする。

安心安全な屋根のある家を見つけられず、いつも野宿をしているかのような、疲れと空虚でいっぱいの心理状態だった。


「生きづらい」


そうはっきり言葉にし涙を流した日。会社に行けなくなった日。ちょうど1年半くらい前のことだろか。あの日から本当の意味で「自分のための人生」が始まったのだなと、ほんの少し振り返れる距離まで歩いて来れたようだ。


人生ってわたしが、わたしを、取り戻していく旅みたいだ。


そんなふうに思うこの頃。気づきを得るたび「そうだった!わたしはわたしだった!」と忘れていた何かを思い出したかのように、またひとつ"自分"になっていく。本当は生まれた瞬間すでに備わっていたのかもしれない。自信も、愛も、感受性も、使命も、弱さも。自分らしさに気づき、自由になっていく。

わたしは絶賛、旅の途中だ。


旅の途中、ふと立ち止まる。

最近、生きづらいと感じることが少なくなった。もちろん辛いこと、苦しみ喘ぐことが無くなったわけではない。ノックアウトに倒れ顔をボコボコに腫らしながらベッドに横たわる日はたくさんある。

変わったことといえば「生きづらさ」という大きな枠で捉えずに、中身を分解して考えられるようになったことだ。

生きづらさを組み立てているひとつひとつの部品を分解してよーく観察。

すると「あ〜今わたしは愛着スタイルの不安型の傾向が出てるんだなぁ」「今はHSP/HSS型の気質が出ているから葛藤してるんだなぁ」と気質が自分を困らせるカタチで露出していることに気づき、落ち着くことができた。

納得できれば「そっかそっか。しんどかったね」「じゃあどうしたら上手くいきそうかな?」そう、手段を考え始めることができる。

もっと言えば悩み続けるのか、解決したいのか。それさえも選ぶことができるのだ。今の状況を選んでつくっているのは紛れもなく自分。そうやって旅路を決めているのだと思うと衝撃とともにじんわり温かい気持ちになった。「選べる」ってしあわせだ。

良いことがあったから幸せを感じる、とは限らない。自分の気持ちに気づいてあげられたことに、自分が喜んでいる。そんな幸せもあるのだなと思うと、「気づく」ってしあわせだ。

自分に自信がない。周りの目が気になる。それでもいいと、わたしは思う。そのこと自体に良いも悪いもない。大事なのは、そんな自分に気づき、どうしたいかは選べると知っておくこと。


「どうしたい?」

いつでも自分に、聴いてあげたい。ふかふかの椅子を用意してそこに座りなよ、とお茶でもゆっくり飲みながら。

一緒に原因を解き明かし次の一歩をどこへ踏み出すのかを、自分と一緒に決めることで、自分との絆は深くなる。悩むことも、逃げることも、戦うことも、休むことも、誰かを頼ることも、選んでいいんだ。


やっと見つけた。いや、やっと建てられた。

安心安全な自分の心の中にある家。もう雨風にさらされることも、敵に喰べられることも恐れなくていい。こらからも、しなやかに自分の家を育てながら、旅を楽しみ尽くしたい。



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