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コメダ珈琲でスキップを

「あと食べなよ。」
そう言って彼は袋を雑に開けると一粒豆菓子を取って口に頬張る。雑に封を開けた豆菓子をわたしに渡して腕時計を外す。
いつも彼は豆菓子を一粒だけ食べてあとは全部わたしにくれる。
機嫌のいい時は「食べなよ。」と言ってくれるし、少々機嫌が悪くても一粒食べたらわたしに無言で差し出す。今日はご機嫌みたいだ。
わたしが誕生日に上げた革のベルトの時計は蒸れるからと言って飲食店ではいつも外す。忘れないかとひやひやするのだけどいつも彼は会計の前にはちゃんとつける。これくらいの扱いがわたしにとっても腕時計にとってもちょうどいいのだ。
 
わたしはセブンスターに火を点けた。
「ごめん、俺タバコ忘れた。一本頂戴。」
「ん。」
セブンスターのソフトケースの端を少しトントンして一本出すと彼はそれを受け取り火を点ける。
「ライターは持ってるんだ。」
わたしは彼と会う前からタバコは吸っていたけどそれまではマルボロを吸っていた。でも彼はすぐタバコをねだるので同じ銘柄にしたのだ。
 
少しスマホで同僚にラインを返して顔を見上げると彼は虚ろな目で物憂げに窓の外見ていた。
外は大きな通りでトラックが走っているだけなのにそのトラックを物悲しそうに見るのだ。「何かあったのかな…」と思ってると
「たまにはアメリカン以外も飲んでみたいな…」
「飲めばいいじゃん、長靴のクリームソーダとか。」
「三十過ぎた男が飲んでたら終わりだよ。」
 
二人にとってコメダ珈琲は安息所。お昼に集合してお昼を食べたらコメダ珈琲で時間を潰すのが定番のデートコースになっていた。
 
「いつもユキもアイスコーヒーじゃん。」
「いいの、わたしはこれが好きなの」
コメダ珈琲のアイスコーヒーはグラスでは来ない。金属製のマグカップに入ってくる。わたしはそれをホットミルクを飲むように手で包みながら飲むのが好きだった。夏でも、冬でも、金属に水滴が付きひんやりとする感覚を感じながら彼とする他愛もない話が好きだったのだ。
「なんか疲れた顔してない?」
さっきまで物憂げな顔をしていた人に言われるとは思わなかった。
「うーん、このごろ寝不足なんだ。寝れないってお医者さんに言っても薬増やしてくれないんだ」
「だろうね、目がトロンとしてて寝てない顔してる」
「ん?昨日は珍しく快眠だったよ?」
「寝不足って言ったじゃん。」
彼はクスクス笑う。彼は笑う時、少し俯き顎を引き口元を手で隠しながら少し引き笑いをする。この仕草がたまらなく好きだった。

だからわたしはよくわざと冗談を言っては彼を笑わすのが好きだった。
「ねぇ、なんでコメダ珈琲って『コメダ』なのか知ってる?」
「さぁ?創業者がコメダさんだったとか、コメダって所にあったとか?」
「違うよ、元々コメダ商店っていうお米屋さんだったんだって。そこでお客さんにコーヒー出してたら評判だったから70年代の喫茶店ブームもあって喫茶店を開業したらしいよ。最初はお米屋さんの中にテーブル置いてて米菓子出してた名残で豆菓子が出てるんだって。」
「へぇー。ユキは何でも知ってるな。」
「まぁ全部嘘なんだけどね。今思いついた。」
「おい、ユキったらまた全部信じちまったよ。」
そう言って彼はクスクスとまた俯いて笑った。彼を俯かせて笑わせた時、わたしはすごく幸せな気分になる。
 
「でも実際の所なんでなんだろうね?コメダ。」
「さぁ?Wikipediaとかに書いてるかな?」
「調べてみるか。」
彼はスマホを取り出すと調べはじめた。
「おい、当たらずとも遠からずだぞ?」
「え?」
「創業者が米屋の息子で『米屋の太郎』でコメダ珈琲らしい」
「こんなオシャレなのに太郎なんだ…」
わたしが冷静にツッコミを入れるとまた彼がクスクスと笑う。
 
時々、冗談を失敗しても彼はツッコミ入れてくれる。
「お昼に食べた海老クリームパスタ、あれ最高だったな。」
「え、君が食べてたのミートソースだったじゃん。」
「ユキに一口貰ったあれだよ、俺も海老クリームにすればよかった。」
「良かった、甲殻類アレルギーのわたしの代わりに食べてくれるんだね。」
「お前、こないだもくら寿司で海老ばっか食ってたじゃん。」
冷静にツッコミを入れられる。顔は特に笑っていない。
冗談に失敗したな―と思っても次の会話がはじまる。
「そういや荒木のTwitter見た?またギター買ったらしいぞ。」
そんな何気ない会話にほっこりする二時間くらい。それがわたしにとって幸せな時間だった。
 
最近の仕事のこと、友人のこと、家族のこと、趣味のこと、昨日見たテレビのこと、最近聴いた音楽のこと、思い出のこと、トラウマのこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、怒ったこと。悲しかったこと、どんな話でも二人でしていると幸せでたまらなかった。彼が笑っていても虫の居所が悪くてもここで過ごす時間、まったりとした時間が流れていた。
 
「あ、もうこんな時間じゃん。そろそろ行くか。」
「うん。」
 
彼は時計を腕にはめて伝票を持つ。今日は二間半もお話をした。ドリンク一杯ずつでいつもこれくらい長居をするから迷惑な客と思われていただろうな、と思う。
 
コメダの少し重めの扉を開けながら彼は言う。

「スタームーンでいい?」
「最近ずっとあそこじゃん。たまにはウィズライトとかがいい。」
「えー、あそこ高いんだよな…」
「じゃあオリーブで手を打つよ。」
 
そんな話をしながら駅前に向かう。わたしはこれから抱かれる。
いつもコメダでお話をした後は彼に抱かれる。
お話した二時間半。それと同じくらいわたしにとって幸せな二時間がはじまる。わたしは冷静なふりをしているがすごくウキウキしているのだ。コメダに来るときもラブホテルに向かう時も本当は軽やかにスキップしながら行きたいのだ。もちろんお昼に行くときもたまに違うデートをする時も彼と一緒ならいつだってスキップをしていたいのだ。
 
「この部屋でいい?」
「うん。」
 
彼は303のボタンを押してフロントで鍵を受け取った。
わたしはその夜、スキップする様に腰を振った。
 
 
 
「楽しかったね。」
「うん、またねだな。」
夜も深まってきた。彼もわたしも明日は仕事だ。
お互い忙しくてもうお泊りなんて何ヶ月もしてないなと思ってた。
「なぁ。」
「ん?」
彼は突然にわたしにキスをした。
そして俯きながら少し笑った。
面を食らったわたしを見て手を振りながら2番線の階段を上がっていった。
わたしはその夜、駅から家までスキップをして帰った。

 
 
―――わたしは今この話をカフェコロラドで書いている。
彼とはもう何年も会っていない。簡単な話だ、別れたからだ。コロナ禍で疎遠になって彼の方から別れを切り出された。わたしはコロナ禍で仕事が慌しくて受け止めきれないのにあっさりと受け入れた。なのにわたしは今も彼のことが好きだ。だから一人ではコメダ珈琲には行かないのだ。だってあそこは彼と行く場所だから。ほろ苦い恋のお話だ。まるでコーヒーみたいに。
 
こんな風に言ったら彼もきっとまた、俯いて笑うんだろうな。
そう思いながら金属製のマグカップを両手で包みながらアイスコーヒーを一口飲んだ。
ああ、ひとりじゃスキップ出来ないなぁ、心が踊る事なんてもうないんだろうなぁ。

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