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猫の目

「迷い猫探しています」
そう書いたチラシを管理人の許可を取りマンションの入り口に貼った。マンションの隣にある惣菜屋さんも快く貼ってくれた。チラシには猫の写真と「もも3歳メス。人懐っこいです。桃色の首輪をしています。見つけた方はこちらまでご連絡ください、謝礼します。加納 090-XXXX―XXXX」と書いた。
 
ももがいなくなったのは昨日の夜だった。仕事が終わり帰宅したわたしは洗濯をしていた。ベランダで洗濯物を干しているとサッシの隙間からにゅるっとももが出てきた。ももはベランダから外を見るのが好きだ。わたしは晩ごはんの事を考えていた「漬け卵はそろそろ食べごろだろうか。それとももう1日くらいつけるといい頃合いだろうか・・・」ももはベランダから外を見て何か物憂げな顔をしていた。

「もも、お部屋戻るよ。」
そう言って部屋に戻るといつもはももは一緒に部屋に入ってくるのに、今日は中々入ってこない。
「もも!」
ちょっと叱り気味に言えばいつもは飛んで戻るのに今日は振り向いてこちらを見ているだけだった。「どうしたんだろう?」と思いももに近づくとももは「にゃあ」と小さく鳴くとベランダから階下に飛び出て行った。しまった、2Fの高さなんて猫にとってはへっちゃらだ。油断していた。わたしは慌ててサンダルをつっかけて外に出る。

「ももー!ももー!」
マンションの外を探す。ぬるい風がわたしを小馬鹿にする様に吹いているだけで、ももの姿はどこにも見えなかった。1時間ほどマンションの周りを探したがどこにもいない。その夜は寂しかった。いつもは寝ている布団に入ってくるももを「邪魔だなぁ」なんて思いながら足でどけていたのに今となってはももの邪魔さが恋しい。とても寂しい夜だった。
 
そんな気持ちとは裏腹にももに邪魔されなかった夜は心なしかよく寝れてわたしは薄情なのかなと思う。ももがご飯ご飯と起こしに来なかったからだと心に言い聞かせた。スマホを見るとタケルにLINEを送る。
 
「ももが逃げちゃって、ずっと探してたんだ」
「そなん?大変やな。チラシでも作って貼れば?誰か見つけてくれるかもよ」
「そんな親切な人いるかなぁ・・・」
「謝礼あげますとか書いとけば?」
「ナイスアイデアだね」
 
猫がグッドジョブをしているスタンプを送る。
 
「今日休みでしょ?タケルは探してくれないの?」
既読はついたがタケルから返信はなかった。ももにもわたしにも割く時間はない。気が向いた時にわたしを抱く以外はタケルは相手をしてくれない。きっとももの事がなければわたしはまた渋谷にでも呼び出されて安いワインを飲まされてホテルに向かってたんだろうな。ももがいなくてもいてもわたしは寂しい女だ。

普段は仕事でしか使わないパソコンを取り出しパワーポイントでチラシを作る。目立つように赤いフォントで「迷い猫探しています」と書いてスマホで取っていたももの写真を貼った。一通り書く事を書くとUSBメモリにPDFを入れてコンビニに持って行き印刷をする。コンビニに行く途中でもももがいないかキョロキョロしていた。
 
そして貼ってくれそうなめぼしい所、数か所にお願いしチラシを貼ってきた。見つかるといいなぁ、寂しいわたしがもっと寂しくなっちゃう。そう考えるとももの事を実は愛していないんじゃないかと思ってしまう。ももを自分の寂しさを埋めるための道具に使っているような気がする。でも家族であることに変わりはない。あの部屋に独りでいる事は耐えかねてしまう。だって、寂しいからわたしは家族が欲しい。ももに家族であってほしい。そんな事を考えているとじんわり涙が出てきた。
マンションに帰る途中に電話が鳴った。知らない番号からだ。慌てて出ると知らない男からの電話だった。

「あのう、加納さんですか・・・?」
細々とした声だった。蚊の飛んでいるような細い声。
「隣の部屋の後藤です。猫ちゃんが部屋の前でうずくまってて・・・とりあえず僕の部屋に入れてあるんですけど・・・連れて行きますんで何時ごろ帰りますか?」
「すぐ帰ります!3分くらいで!」
飛んでいる蚊を打ち落とすかのような声でわたしは言うと電話を切り早足で帰宅した。玄関の前に後藤さんとおぼしきひょろひょろの男が立っていた。手にももを抱いて。ももは素っ頓狂な顔をしてこちらを見て欠伸をした。わたしは駆け寄る。
「ありがとうございます!もも、無事でよかった・・・怖い目あわなかった?」
怖い目にあったのはわたしだ。家族が急に家出をするなんて肝が冷えてしまう。わたしは涙を浮かべながらももを受け取ってぎゅっと抱きしめた。
 
「よかったです・・・じゃあ、僕はこれで・・・」
感動の再会をボーっと見ていた後藤さんが自室に戻ろうとした。そうだ、謝礼を渡さなければ、コンビニで下ろしてきた5000円札の入った封筒取り出そうとする。片手に猫を抱えながらはなかなか難しい。
「待ってください!あの、チラシにも書いてたんですけど・・・見つけてくれた人には謝礼をと思って・・・」
「あ、いやいいですよ。猫ちゃん自分で帰ってきてここにいただけだし・・・」
「そんな受け取ってください!」
わたしは無理矢理、封筒を渡す。いやいや受け取れません、と後藤さんは返す。でもわたしは意地になって恩返しがしたかった。家族を取り戻してくれた人にお礼をしたい一心だった。なんどか渡そうとするも受け取る気配がないのでわたしは「じゃあご飯でもどうですか?」と誘ってみた。食事くらいならきっと大丈夫だろう。
 
「え、でも・・・」
「恩返しがしたいんです。今日か明日はお仕事ですか?」
「うーん…今日の夜なら休みですけど・・・」
困った顔をした後藤さんはおろおろしながら答えてくれる。恩返しするなら夜しかない。
「じゃあ今晩うちに来てください!お口に合うかわからないですけど、わたし料理作るんで・・・」
後藤さんがギョッと慌てた顔をする。
「そんな!彼氏さんに悪いですよ!」
「・・・わたし彼氏なんていないんですけど・・・」

一瞬タケルのことが浮かぶ。ただ、あれはわたしのことを恋愛対象としてなんて見ていない。性欲のはけ口としてしか見ていないし、わたしも暇つぶしの相手としてしか見ていなかった。もしタケルがその気なら彼女くらいなっても良かったのに、タケルはそんな目ではわたしを見ていないことはすぐわかる。
うろたえる後藤さんの顔になぜかタケルを重ねてしまった。私もなぜかうろたえてしまう。
「と・・・とにかく今日の20時くらいにうちに来てください!」
「えーっと・・・わかりました・・・せっかくなんでごちそうになります・・・」
「では夜にまた・・・」
部屋に戻っていく後藤さんの背中を見る。なぜわたしはタケルの顔を後藤さんに重ねてしまったのだろう。わたしは結局誰でもいいのかもしれない。誰か。ももでもタケルでも後藤さんでも寂しさを埋めてくれる人がいれば、それでいいのかも。本当に寂しい。
 
「もも見つかったよ」
 
スーパーで買い出しをしながらタケルに送ったLINEは既読はついたがまたスルーだった。
夜に向けてわたしは料理をする。漬け卵を使った卵サラダ。海老とブロッコリーの中華炒め。鶏のピリ辛唐揚げ。カジキマグロのカレー煮。水餃子のスープ。ピクルスの盛り合わせ。ご飯は五穀米を炊いた。もっと豪勢にしたいなと思ってデザートにフルーツヨーグルトまで作ってしまった。あのヒョロヒョロの後藤さんがこんなに食べるのだろうか・・・と少し不安になった。今日はいつも料理している時に足元をうろつくももが大人しかった。一日、家を出て行っただけなのになぜか遠くに行ってしまった気がした。
 
20時、チャイムが鳴る。後藤さんがすっと現れた。
「あ、あの・・・お邪魔します・・・」
「いえいえ、どうぞくつろいでってください。お口に合うかわからないですけど。」
ギョッとした時の後藤さんの顔は面白い。目を見開いた時の顔がひょっとこに見える。
「こんな豪勢な食事・・・本当にいいんですか?」
「どうぞどうぞ、良かったらお話しながら一緒に食べましょう。」
 「いつもカップラーメンとかしか食べてないんで・・・嬉しいです・・・」

食べながら話をして後藤さんのことをいろいろ聞いた。大学生の頃からこのマンションに住んでいて今は近くの会社でSEの仕事をしていること。趣味は読書でライトノベルばかり読んでいること。彼女は高校生の頃以来いないこと。
 
わたしの事も話した。池袋まで満員電車で通勤していること。趣味はYoutubeで猫ミームを見る事。ももは桃が咲いてる頃に飼いはじめた猫なのでももだという事。
 
共通項も見つけた。二人ともバレーボール部だった。
そんな話をしながらペロッと後藤さんは食事を平らげてしまった。あのヒョロヒョロの体にどうやったらあの量が入るのだろう、少し驚いてしまった。
 
「いやあ、家庭料理なんて食べるの久しぶりで・・・本当においしかったです!」
蚊の鳴くような声はいつの間にか普通の声になっていた。ただの人見知りだったらしく話しているうちにもう十分打ち解けていた。
 
「良かったです、もしよかったらまた食べに来てください。ももも喜ぶと思います。」
ももはいつの間にか後藤さんの膝の上を陣取っていた。
 
「いや・・・でも彼氏さんに悪いですよ・・・彼氏さん・・・いるんでしょう?」
「いませんよ。いるように見えますか?」
わたしがフフッと微笑んで見せると後藤さんが顔を赤らめながら俯いた顔で言う。
「いや・・・でも時々声が・・・」
「声?」
そういえばタケルが何回か家に来た事があるな。あいつは飯も食わずにわたしを召し上がって帰って行ったけど・・・あれ・・・もしかして・・・あの時の声が・・・
「あの・・・すいません、変な事言って。」
後藤さんの顔は紅潮していた。茹でた蛸みたいだ。
 
後藤さんの生活音がまったくしなかったから、このマンションは壁がすごく厚いんだと思っていた。それかわたしの声が大きかったんだろうか。
なんだかわたしもすごく恥ずかしくなってしまって赤くなって俯いた。
「いや・・・あれはなんかそれ用の友達というか・・・」
「・・・セフレってやつですか・・・?」
「・・・」
数秒の沈黙が流れる。ももは後藤さんの膝から飛び降りてお気に入りの猫ベッドへと入った。
「ごめんなさい、変な事聞いちゃって・・・今日はお暇しますね・・・」
「ご、ごめんなさい。」
気まずいまま、わたしは後藤さんを見送る。お互い俯いたまま。
後藤さんは靴を履きながら蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「僕は・・・セフレになれませんからね・・・」
 


 
 
わたしはそんなに寂しい女に見えたんだろうか。後藤さんが帰った部屋にはももがいる。スマホにはタケルから「今起きた」というLINEが入っていた。嘘つけ、他の女と寝てたくせに。私は既読スルーしてスマホを放り投げる。
 
ももがにゃあと鳴いた。寂しそうにこちらを見ている。猫の目をしている。
きっと、わたしも後藤さんにメス猫の目をしてしまっていたんだろうな。
「もも、メス猫同士仲良くやってこうな。」
わたしは何かおかしくて笑ってしまった。寂しい女だな、わたしは。

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