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好きなモノに、知識は要るのか問題。

個人的には必ずしも「好き」と「知識量」は簡単に比例しないと思う。

わしが最初に「コレだ」と思ったのはロック音楽。思春期真っ盛りの中学二年生。
具体的に言うとナンバーガールの透明少女。

なんだ、コレは。という電撃が先にきて、そこで初めて本当に好きなモノ(しっくりするモノ?)に出会ったミサキ少年は、その感情を「困惑」として処理するのに精一杯だったのを覚えてる。

そういうエモーショナルなロックが「好き」の入口だったためか、今でも「好き」はかなり「衝動的なモノ」だと認識しているのかもしれない。

しゃらくせぇ言い回しをすれば、好きってのはやはり恋と同じようなモノで、最初に「好きだ」という衝動があって、後からその人に対する知識量が増えていくモノ。だと思っている。

そこで「なんか想像と違うな」「意外と大変かも」と思って折れる人もいれば「やっぱりたまらんな」と思ってどっぷり沼にハマっていく人もいるワケで。

本題に戻ると、しかし必ず、好きだからといってそのコンテンツに対して詳しくある必要はないと思う。
そもそもの感情はもっと急に芽生えて、自分から迎えにいく(能動的?)モノじゃなく、あちらから襲ってくるモノなのではないか、と。

正直に言うと、好きなモノというのは個人の幅が広すぎて扱い切れないが。例えば絵に衝撃を受けて「自分もこんな絵が描きたい」と思えば技術等に対する、最低限の知識量は必要になる。
ただ「こんな絵が好きだな」と思う分には必ずしも知識量は必要ではないと思う。

もちろん、詳しくなれば視点や楽しみ方も増える。魅力を味わい尽くすには学ぶべきだ、そんな声をひしひしと感じる。完全に持論だが、結局好きは衝動であって、そこからの動き方は自由で良くない?と。

そのひと個人のコンテンツへの知識量を測って、時折鼻で笑うような風潮を見て、少し書いてみた。

では。

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