京都駅中央口地下1階から始まるストーリー
せっかく京都駅に来たんだから、服でも買おうかと中央口の改札を出る。
せっかくというほど遠い場所でもない。私の住んでいる街からは、電車で15分で着く場所。でも、そんなときがたまにある。
16:34についた電車。帰って仕事がある。
17時までには帰ろうと心に決めて、中央口の京都タワーが見える改札から地下へ向かった。
エスカレーターで服屋さんが並ぶ地下2階へ行く前に、地下1階に書店がある。
本を選ぶ時間が、好き。
大体私の京都駅での買い物は本を買うだけで終わる日が多い。
もちろん服を選ぶ時間も好きだけど、服は自分をワンシーズンだけ幸せにする。本は私の人生をガラッと変えてくれることがある。人生何年かぶんの幸せを与えてくれる本が好きだ。
でも今の自分に必要なものに敏感であることと、言葉から伝わってくるものを味わう時間も必要で、本を選ぶのは疲れる。
でも、やはり服を選ぶよりもじっくりじっくり吟味して考える。
いまいちな本は頭に入ってこないし、そのわりに時間がかかってしまう(いまいちというのは、今の自分に合っていないということ)。
京都の出版社『ミシマ社』が15周年らしい。
店頭で特集が組まれており、知らない本が並んでいる。私は吉田篤弘さんの『京都で考えた』をはじめとするエッセイが大好きで、その出版社がミシマ社さんだった。その出版社の本を5冊ほど持っていたが、店頭に並ぶ数冊は全て知らないものだった。
何か買おうかな、とページを捲る。
本を買うルールがあるのだ。
最初の数行を読んでみる。
自分の求めている本はその後にスラスラと読めてしまって、気づいたら2ページぐらい読んでしまっている。自分が求めている本は自分でわかる。
そんなことを何冊かやっていると、買おうと決める本とやっぱり買わない本があって。
でも、そんな選り分けられた買わない本にも、その著者が伝えたかったことがある。
何千字も何万字も書いたその一冊がたくさんの推敲を経て、この場所に並んで、その一節を私が読んで買わなかったということを感じると、世の中には知らないことがどれぐらいあるのだろうと思う。
深い森の中にいるみたいで、書店は楽しいけど悲しい。未熟さや、可能性や、そんな自分を作る部分を感じながら、手に取った本をレジへ持っていく。
クレジットカードで、いくらでも本が買える年齢になった27歳になる春。
何冊でも買えるのだ。それは、どれだけでも私は私じゃなくなれることだと思う。
正しいものを選ぶのではなく、私が欲しいと思ったものを手に取れる人生でいい。忙しい時に限って買いたくなる本こそ、私をまた新しい場所へ駆け足で連れて行ってくれる。
誰かが誰かに伝えようと書いた、分厚い本。2冊買ったら立派なスカートが買える値段だった。それでも、2.3年流行りが終われば売ってしまうスカートよりも、この先一生着ていくかもしれない言葉を感じたい。
レジを終えて家路に着くと、次に来る電車は、17:10。ちょうどいい時間だった。
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