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DAY24:今日1日にあった印象的なこと

みなさん、おばんです。
私はやっと重い腰をあげて、セーター等の厚手の冬服を出して、夏服をしまいました。
そして、部屋着を厚手のモノに変えました。
自分の居心地のいい暮らしを整えていくって、大事ですね。

さて今日は、東日本大震災について、少し書こうと思います。
自分の中でうまく言葉にできなくて、noteに書き記すまで時間がかかってしまいました。
同じ出来事であっても捉え方が人によって違うと思いますが、今回は私が個人的に感じた思いを綴ります。
読む方によっては、少しつらくなってしまう方もいるかもしれません。
それでも伝えたい思いがあったので、書かせてもらうことにしました。
もしご興味があれば、読んでもらえたら嬉しいです。


東日本大震災津波伝承館へ行ってきた

ついこの前、ずっと前から気になっていた場所に行ってきました。
そこは、2年前に新しく出来た、東日本大震災津波伝承館というところ。
宮城県の沿岸部にある石巻市というまちで、津波や火災の被害があり、たくさんの方が亡くなった場所です。
ここ全体が石巻南浜津波復興祈念公園という形で整備されており、ここの近くには、震災遺構の門脇小学校があります。
震災の時にたくさんの命を救った日和山にも行ってきたのですが、ここから記念公園全体が見えるようになっています。
最初は何の施設か分からず、山の頂上から下を見た時に何の建物だろうと思っていました。

館内でお話を聞いて、衝撃だったこと

地図で確認してみて、ずっと行こうと思っていた伝承館のある公園だと知りました。
駐車場に車を止めて降りてみると、犬がたくさんお散歩に来ていて、のどかな場所でした。
伝承館はガラス張りの建物で、周りの景色が見えるようになっていました。
平日は語り部さんのプログラムはお休みでしたが、館内にいらっしゃる解説員の方がパネルや写真を見ていると話しかけてくださり、震災当時のお話をしてくれました。
私は東北出身で、震災当時は福島で震災に遭っていました。その後、震災復興関係の仕事についていたので、伝承施設や震災遺構等にはなるべく立ち寄るようにしていたこともあり、東日本大震災については知っているつもりでした。
でも、解説員さんのお話は、私自身初めて聞くお話ばかりで、全然分かっているようで分かっていなかったなと反省しました。

以下、お話を伺ったことの抜粋です↓
・この場所は、様々な地域で津波によって流されてしまった方が多く流れ着く場所だったこと。
でも、この地域で行方不明になった方はほとんど見つからず、行方不明者が今も多数いること。
・この地域の特徴として、防波堤と住宅地の距離がほかの被災地域と比べて近すぎたためか、津波が防波堤から落ちる時に力がより強く加わり、建物同士がぶつかった時に一瞬で砕け散って見えなくなった現象が起きた場所だったこと。
おそらく、行方不明の方は家と一緒に砕け散ってしまったのではないかということ。
・津波だけでなく、火災が同時に起きて亡くなった方も多数いらっしゃったこと。

これを解説員さんにきいた時、言葉になりませんでした。
津波の威力、恐ろしすぎます。。。
もし、砕け散ってしまったのだとすれば、今後も捜索したとしても見つかる可能性はゼロに近いとのことです。
大切な人を失った時、そして何もかも見つからなかった時、心の拠り所をどこにしたらいいのだろうか、、、そんな言葉が頭に浮かびました。

本当の「復興」って、何だろう??

伝承館では、宮城県内の語り部さんのビデオメッセージが見れる場所があります。
私はたまたま、名取市閖上の方のビデオを見ました。
その中で語り部さんがお話されていた言葉が、私にとって印象に残りました。
それが、震災から暮らしが戻っていくことは「復興」ではなくて、「復旧」であるというお話でした。
その方は新しいまちが出来ていく中で、さびしさも同時に感じたそうです。
それは、亡くなった自分のお子さんが生きていたまちが無くなっていったからだと。
亡くなった自分のお子さんと同じ学校で亡くなった子どもたちの名前が刻まれた石碑を立てて、自分の気持ちを整理されたとお話されていました。

東日本大震災から12年経ちました。
今ではほとんどの地域では新しいまちが作られ、新たな暮らし、日常が戻っています。これを世の中の人は、おそらく「復興」と呼ぶのかなと私は思います。
でも、人によっては、大切な人と一緒に生きていた場所の面影がほぼ無くなってしまった時、すごくつらかったんじゃないかなと、ビデオを見て思いました。
真の「復興」って、何でしょうね。
傷ついた心を癒やすにはすごく時間が必要だし、時が経っても、人を亡くす悲しみは消えさることはないと改めて思いました。

人は1番、忘れられるのが怖いのかもしれない

家に帰ってからも、しばらく伝承館で見聞きしたことが頭から離れませんでした。
そして、後から思い出した言葉がありました。
それは、私が大学生の時のことでした。
岩手県で津波被害のあった場所へサークルのメンバーで訪問した時、復興商店街で震災当時のことや今の暮らしについて、お話を聞かせてもらう機会がありました。
その時にお話を聞いた中で印象に残っているのが、「どうかここであったこと、そして私達を忘れないでほしい」という言葉でした。
私が訪問した時は、東日本大震災から2年~3年経ったくらいの時だったと思います。
震災当時は「がんばろう東北」といった言葉を掲げ、全国各地や世界中の人が思いを寄せてくれていたと思います。
もちろん今でも、こうして心を寄せてくれる人がいるから、伝承館を訪れてくれる人がいる。
でも、時が経つと風化していく。少しずつ忘れられていく。

伝承館や復興記念公園、震災遺構というのは、
・同じような悲しい思いをする人が減るように、震災の経験を風化させない。そして、次世代へ伝えていく。
このような存在意義のためにも、大事な存在なんだなと改めて思いました。

私の小さな願いと想い

もしもこの記事を読んでくれている方が東北を訪れることがあれば、観光地を訪れると共に、こういった伝承館や震災遺構にも足を運ぶ機会を設けてもらえたら、とても嬉しいです。
そして、感じた思いや気持ちを、周りの人に共有してもらえたらいいなと思います。
震災を風化させない。そして、東北の魅力も多くの人に知ってもらいたい。
東北で生まれて育ててもらった私に出来る、ふるさとへの恩返しの一つかもしれないです。
これからも足を運び続けながら、宮城を、そして東北を私は発信し続けます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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