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そのための春

 自転車がパンクした。家からちょっと走ったところで後輪からパンッという音がして、ペダルを漕ぎ出してからついに「ああ、やっぱりパンクか」と現実を受け入れた。
 買ってからまだ3ヶ月も経たないが、空気が抜けてしまったのだろうか。空気入れを借りるため、近くの自転車屋へと駆け込んだ。

 新代田の近くの商店街にあるサイクルショップ。その店先におばちゃんがひとり佇んでいて、「あのう…」と小さく声をかけた。
 彼女は私の自転車を一瞥するとすぐに「パンク?」と気づいてくれて、やさしそうな人で安心する。

 タイヤをくるくると回しながら、どこから空気が抜けてしまったのかを調べてくれた。するとおばちゃんは「いたずらかねえ」と言いながら、ある一点を指差す。見てみるとタイヤに太い釘のようなものが刺さっていた。
 そうか、いたずらの可能性があったのか、とそこではじめて気づく。その釘のあまりの太さにびっくりして、思わず呆然としてしまった。「直すの、見てる?」と、おばちゃんがパイプ椅子を出してくれたので、ありがたく座らせてもらうことにした。

 怖かった。まだいたずらと決まったわけじゃないし、偶然刺さってしまっただけかもしれない。
 けれど最近、いろいろあって塞ぎ込んでいたから、誰かに悪意を向けられているかもしれないという状況が、とても恐ろしかった。
 おばちゃんは「これはダメかもしれないねえ」と言って、奥にいる旦那さんを呼び出す。

 待っている間、そうか、もうダメなのかと、知っている気持ちをたどるようにそう思った。
 別にそんな大した自転車じゃない。2万円のただのママチャリだ。買ったことを報告した友だちからは「電動じゃないのかよ」と笑われた。
 それでも私は気に入ってたんだけどなあ、とさびしい気持ちになった。

 心がダメになり、うまく起きられなくなってからちょうど2ヶ月。何もできない日々の中で、唯一自転車に乗ることは楽しかった。
 新宿、渋谷、高円寺、阿佐ヶ谷、二子玉川、吉祥寺、いろんな場所へ行った。大丈夫な日も、大丈夫じゃない日も、私は自分の足でペダルを漕いで、行きたい場所へ行けた。

 それがもう、できなくなってしまうのか。自転車がダメになってしまったのだ。
 私ももうダメだし、これから先、もうどこへも行けないんだなあ、なんてそんなことを思いながら、自転車以外にもいろんなことの諦め方をずっと考えていた。

 店の奥から店主のおじちゃんが出てきて、タイヤをじっと眺め、ごそごそと動き始めた。自転車屋なんて滅多に来ないから、足元には見たことのない器具がたくさん散らばっている。
 専用の機械を使って、タイヤの空気を抜き、丁寧にその太い釘を抜いてくれた。タイヤにはパックリと丸い穴が空いていた。横からおばちゃんが「チューブもダメになってるんじゃない?」とつぶやく。  
 やっぱりダメだよなあ。おじちゃんは黙ったままだった。

 そしてタイヤからチューブを抜き取り、近くにあった道具箱を開いた。取り出した修理用の液体やテープを、穴が空いた部分に、丁寧に、指の腹を使って貼っていく。
 私はその手先をじいっと見ていた。うつくしいな、と思った。穴をふさぐ作業を終えると、修理したチューブを水にさらしてタイヤの中へと戻していった。

 空気を入れ直して、ついでに前輪のタイヤにも空気を入れてくれて、気づいたら自転車は元通りになっていた。
 彼が丁寧に、ゆっくり、でも着実に、自転車をなおしていく過程を私はじっと見ていた。見ながらずっと、泣きそうだった。
 全然ダメじゃなかった。丁寧に、人の手で修理すれば、ちゃんと元通りになるものがあるし、また走れるようになる日がくるのだと思った。

 「1200円です」と、おじちゃんがはじめて言葉を発する。無口だから怖い人だと思っていたけれど、思いのほか優しい声色だった。
 いつもだったら「こんなことでお金を取られた」と絶望していたかもしれないが、今日はそんなこと全く思わなかった。むしろ前向きな、1200円。

 「こんなにあったかい日、久しぶりじゃない?」とおばちゃんが言って、2人で店の外まで見送ってくれた。
 ペダルを漕ぎ出すと、タイヤに新しい空気が入り、出発したときよりもずっと推進力があった。
 今年一番の陽気の中、身体が前に、前に進んで、風が心地いい。私はまだ、大丈夫だと思った。全然ダメなんかじゃない。

 自分の足でペダルを漕ぐために、私はこれから、私の大事なものをゆっくりなおしていくんだ。
 ただ、そのための春がきたのだった。

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