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キャプテン失格

 放課後、私は時々女優だった。

 今思い出しても笑ってしまうのだが、「やる気がないなら帰ってください」という台詞を一度だけ言ったことがある。とある平日、部活のミーティング中でのことだ。
 過去の自分とはいえ、こんな絵に描いたような〝部長〞っぽい言葉を、同じ口から発していたのかと思うとびっくりする。

 さらに笑ってしまう話、あれ全部、台本だった。
 数日前に言おうと決めて、ルーズリーフに一言一句書き、家で練習していた。なるべく不意を狙って、大事なところは低めの声で。
 生まれてこの方、こんなにわかりやすく他人を怒ったことなんてないのだから、そりゃそうなるだろう。はじめての挑戦にはそれなりの準備が必要だ。
 そして本番、「よーい、アクション!」と頭の中で告げ、バシン!とその台詞を決める。すると、泣いてしまった後輩がいた。
 言葉の力を大切にしたいってずっと思っていたのに、言葉を刃にしてどうするんだよ、と今さらながら反省している。あのときは、ごめんなさい。

 どうしてこんなことになったのか。思い当たる節しかない。
 当時私には、憧れ焦がれた先輩がいた。ミサキ先輩といって、2つ年上のチア部のキャプテンである。中学3年生のとき、学校説明会で練習を見学した際にお見かけし、その日からずっと憧れている人だ。
 凛と立ち、自分の信念があって、やさしさに基づいた厳しさを持っている人だった。裏表がない立ち居振る舞いにいつも見惚れていたし、一人の人間として今でも尊敬している。
 中学生の頃、内向的で意志のない人間だった私は、彼女みたいになりたかった。この人がいる部活に入りたい。そう思って私は、この高校を受験しようと決めた。
 晴れて受験に合格し、満を持してチア部に入部した。そして幸運なことにミサキ先輩と同じ、キャプテンという役割を担うことになったのだ。

 それからすべきことは明白だった。私がミサキ先輩になればいいのだ。立ち方、話し方、ちょっとした仕草、すべてをコピーして〝部長〞をやればいい。
 ミサキ先輩に当て書きしたセリフを、私が読んで演じた。彼女と私は違う人間なのだから、無理があることなんて一目瞭然なのに、それでも私は完ぺきにミサキ先輩になりたかった。
 それで他人を傷付けたり、自分のことも追い込んでしまっていたのだと思う。

 そんな〝ミサキ先輩役の私〞を降りた瞬間がはっきりとある。高校3年生の春のことだ。
 チア部では、地域のイベントに呼んでもらうことが年に何度かあり、その日は障がいを持った子どもたちと一緒にダンスを踊ったり、演技を披露するワークショップに参加する予定だった。
 2、3年生、約50人の部員を連れて、学校からみなとみらいまで移動する。バスと電車を乗り継ぎ、会場へ向かった。地元だし、だいたいの場所は把握している。降りる駅は調べなくてもわかっているつもりだった。駅から会場まで10分もかからないだろう。
 電車を降りて Googleマップを開く。するとスマホには、会場まで徒歩20分と表示された。おかしい、そんなはずはない。イベント主催者との待ち合わせまであと10分ほどだ。
 よく調べると、降りる駅を一駅間違えていた。ああ、やってしまった。
 完ぺき(を演じている)な私を信じてここまで付いてきてくれた50人の部員たちが、後ろにずらっと並んでいる。その光景を見て、血の気が引いた。
 完ぺきでいなければいけないのに。ミサキ先輩だったら、こんなミスはしないのに。

 どうしてこのタイミングだったのかはわからない。わたしはなぜか、泣いていた。部員たちの前で、あられもなく泣いてしまった。
 ごめんなさい、どうしよう。ミサキ先輩になれなくって、ごめんなさい。
 パッと顔を上げると、同期たちがなぜか爆笑していた。困惑する。何が面白いのか。
 すると、同期のうちのひとりが言った。
 「七成は、完ぺきじゃないから、いいよね」。
 そうか、もうとっくにバレていたのか。完ぺきにやれていると思っているのは、私だけだったのだ。
 私を〝ミサキ先輩役〞だと思っていたのも私だけで、部員たちは最初から私を私としてしか見ていなかった。私はこの言葉に、どうしようもなく救われた。
 そうやって許されながら、わたしはあの頃、あの輪の中にいた。

 どれだけ誰かになりたくたって、結局自分は自分のままで、ミサキ先輩を演じきれない私も私だし、演じることで自分の一部になった部分もある。
 「自分らしく」とか、「私は私」とか、そういった言葉を度々耳にするけれど、本当の意味は自分の目を通してしか知り得ない。
 私はその日、女優としての舞台を降りた。あまりにも突然で、あっさりとした幕引きだった。

 放課後に私の高校生活の99%が詰まっている。女優になったり、ただの女子高生に戻ったり、ダンスをしたり、道を間違えたりしながら、青い光の中にいた。
 その光が、今でも私のことを照らしている。


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 こちらは、文学フリマで販売したはじめてのZINE『踊り場でおどる』に収録したエッセイです。

 また売るかわからないので、noteでも公開してみました。買ってくれた方、ありがとう。ちなみに各章のタイトルは、高校時代好きだった漫画をもじっています。

 ほかにも4篇あります。

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