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《自己紹介》 法律事務所のオンサイト秘書からオンライン秘書になるまで②

《自己紹介》 法律事務所のオンサイト秘書からオンライン秘書になるまで①からの続きです

ボロボロの状態から変われたきっかけ
の話の前に、ちょっと小話です。

ちょうど8月で
終戦記念日も近いので
戦争を経験した祖父の話です。

尊敬する人 実業家の祖父の話

祖父が実業家です。
起業とか自分の事業をするということは
意外と身近に感じることもあったけど

その分大変さを聞いていたり
特別な才能や能力
相当な努力と覚悟がないと難しい
という思いもあったり

自分が踏み込んで良い世界なのかどうか
という迷いもありました。



いまでも文通したり、
会いに行ったり
悩みを相談してアドバイスをくれたりする
大好きな祖父です。

四捨五入して
まもなく100歳。
贈ってくれる言葉に重みがあります。

書道の先生から代わりに書いてくれ、
と頼まれるくらい字も上手い。
なんでも自分でできる
「スーパーおじいちゃん」です。
(いまやひいおじいちゃんに変身)

戦後何もない
ゼロどころかマイナスのところからのスタートで
色々なことに挑戦して会社を大きく成長させた祖父は

在学中海軍に入隊して
海軍航空隊で甲種予科練習生として
特攻訓練しているところで終戦を迎えました。

ちょうど訓練場から別の訓練場に移動中、
その両方の訓練場が同時に爆撃されたけど
移動中で中間地点にいたから命が助かったという話
終戦がもう少し遅かったら
訓練を終えて特攻隊として出撃していたという話など
を聞きました。

同い年でもフィリピンに配属された人達は出撃したと聞き
あの戦争では本当にたくさんの人の運命が変わってしまったと
改めてやりきれない思いになりました。

同じ隊の同期の方々それぞれに
戦後いろいろな分野で活躍されていて
そのお話を聞くこともありました。

絵本作家で「11ぴきのねこ」シリーズの
馬場のぼるさんと同期だったそうで、
家に馬場さんが送ってくれた「11ぴきのねこ」の本があり
子供の頃毎晩読むほど大好きでした。
「おじいちゃんの知り合いが描いた本だよ」
と言われていたので親しみもあり、
子供のころ影響を受けて絵本作家になりたい
と思っていた時期もありました。
(いま絵本作りはある意味実現できています。)

祖母のほうは、当時日本橋に住んでいたそうですが、
そのころの日本橋は今の繁栄とは全然想像もつかないくらい
閑散としてとにかく人がいなかったそうです。

空襲警報が来るたびに、
三越の地下が防空壕代わりで逃げていたとか
空襲で曾祖父がけがをしてそれが原因で亡くなったこと、
同級生が犠牲になった話、
上半身なくて誰だか分からなかったけどスカートの
ポケットの中に名札が入ってて
身元が分かったと、小さいころに聞いて衝撃でした。
祖母が通っていたという十思小学校では
犠牲になったたくさんの方々が供養されたこと、
卒業時にはクラスの子たちもほとんどいなくなっていたこと、
日本橋が掛かっているところをB29が飛んでいるところを間近に見たという話を聞いて

自分がこうしているのも本当に本当に奇跡なんだなといつも思います。

祖父はその後警察官になり、
警察官をやめた後 実業家になりました。

色々な事業をやって、会社を大きな規模に成長させてきました。

私にとってはたまに会う
「優しいおじいちゃん」ですが
それでも、話ているときに時折垣間見る鋭さから
とても色々なことを経験してきたことや
「経営者の重み」
というのがすごく伝わってきます。

そして生き方、人柄がとにかく
真面目、実直、まっすぐ
「模範」「歩く真面目」という言葉が似合うような人です。
私もよく真面目、とか言われることはありますが
祖父にはとてもとても及ばず。
でもちょっとは祖父から受け継いでるのかな
と思うと嬉しくなります。

その昔は長者番付に載ったこともあるらしい
祖父も祖母も自分のためにはほとんどお金を使わず
すごく質素に暮らしていて。

戦争を経験した世代というのもあるかもしれませんが

それでも若いころも贅沢したという話は聞かないし

祖父も自分で「贅沢はしないんだ」と話していました。

よく祖母が、
祖父のことを「お金大好きなんだよね~」
と言っていましたが

正確には祖父は
「お金を稼ぐことが大好き」
なんですね。

自分が使うことにはあまり興味がない。
自分のためより
寄付したり、人のために使うことが多い祖父。
そして祖父の事業を一生懸命共に働いて支えた祖母。

そんな祖父母を心から尊敬しています。


翻って自分のこと


自分もいつか
人や世の中のためになることをしたい
起業に挑戦してみたい
自分の力でお金を生み出したい
そしてそれを世の中に還元したい(←壮大すぎる)

と思ってきましたが

でも、
そんなスキルなんて自分にないよ
能力なんて自分にないよ

と本気で挑戦することから逃げてきました。

祖父は戦後大学に進学しましたが
学費の工面が難しく退学しました。

本当は法律家になりたかったという話を聞いて
私が祖父の夢を叶えられたらと思った時期もありましたが
それもなんやかんや理由をつけて諦めて
(体調崩しても、何年かかっても挑戦することも選べた)
実現することができずでした。

でも、私は大学にも行かせてもらったし
平和な時代で
やりたいこともなんでも挑戦できる環境で
インターネットでものやサービスを売ることができる時代
戦後の祖父からしたら相当恵まれた状況です。

インターネットがあれば
やろうと思えばなんでもできる環境のなか
言い訳せずに

「あるものに目を向けて
できることをひとつずつやっていく」

そして「覚悟を決めること」

それが今の自分に足りなかったものでした。

それに気づいた今、

苦手だった自己開示に挑戦して

まずはどんなに小さくても
できることから発信して

私や私の仕事に少しでも興味を持ってもらえるようにと

この記事を書いています。


さて、①からの続きですが

ボロボロだった自分が少しずつ変わるために
育休中にやったこと

「本を読む」
「インターネットで色々なことを調べる」
「自分のことを知る」
「できることから挑戦してみる」

でした。

①情報収集
②内観
③行動

の3セットですね。

自分が好きなこと
自分の本当の望みは何か
そのためにどう行動すべきか
実際に行動に移せるか
ということに意識が向いて
少しずつでも
変われるきっかけになりました。

すぐに劇的な変化があったわけではありません

でもそれがのちのちに
大きな変化へと繋がっていくことになります。

続きは③へ。



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