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「ママの働きやすさ」を手玉に取られて消費されるのは嫌なんよ

「努力は人を裏切るよ」。大リーグ・パドレス所属のダルビッシュ投手のこんな発言が少し前にネットで話題になっていた。

努力すればいいってもんじゃない。例えばピッチャーが投球練習だけしていたっていい選手にはなれないだろう。フィジカル面だけでなくメンタルの強化も必要になる。絶対的エースがいるチームではスタメンになれなくても、別のチームなら主力になれる可能性もある。

要は独りよがりにならずに自分を客観的に見ろということ。何が足りないか、何を伸ばすか、もっと早く目標に辿り着ける方法はないか、環境は適切なのか、周りに比べて自分の強みは何なのかを考え、「正しい努力」をする必要がある。

また間違った努力をして結果に結びつかなかったことを「結果は得られなかったけど、あの経験は無駄ではなかった」なんて美談にしてはならないということだろう。

さて、自営業のスタイリストから会社に所属する身になって、この「正しい努力」に悩む機会が増えてきた。

平日は事務兼ライター兼デザイナーとして働いているが、身分は時給のアルバイト。ライティングもデザインも好きだし、それだけで食っていくほども技量もなければ志もない私にはもってこいの職場環境かもしれない。給料には反映されないけれど機会だけはたくさんある。

まぁ自分から仕事を取りに行くのはなかなか大変なので、機会があるのはありがたいことだな、と思っていたのだけれど、連休中に見たツイートでちょっと心が揺れてしまった。

あぁ、私もこんな感じで辞めた後に「あのオバちゃん、辞めて気づいたけど結構色々やってくれてたんだなぁ(しみじみ)」なんて社員の人たちに言われるのだろうか。

もしかしたら発言の主は「オバちゃん」という言葉に親しみを込めたのかもしれない。でも、その言葉尻に尊敬の念は感じないし、何ならちょっと小馬鹿にしているというか、下に見ているような印象がある。

思い返すと高校生の頃「食堂のおばちゃん」とか「清掃のおっちゃん」のように認識していた。ただ今になってみると、彼ら彼女らは正規職員ではない、給料が低いことを知っていた上でそう呼んでいた気がする。一般的な教師を「理科のオバちゃん」と言わなくもないけれど、それは相手が嫌がることを認識した上で揶揄した表現だろうと想像されるので、別のベクトルでタチが悪い。

ここから先は憶測でしかないけれど、きっと彼女(オバちゃん)は人当たりもよく、それでいて熱心に丁寧に仕事をしていたんじゃないか。

家庭と両立しやすいとか人間関係が良好だとか、35年間続けた要因は一つじゃないだろう。それでも彼女が辞めて、初めてその真価が明るみになっているのだから、在職中は適切な評価を受けていたとはとても思えない。

じゃあ彼女の仕事っぷりは「間違った努力」だったのだろうか。きちんと勤務態度を見て、評価してくれる職場に転職したらもっと給料が上がったのか、正しい評価を受けたのか?

理論上はそうだろう。でも35年間の中には子育てしながら働いた期間があるかもしれない。私も子育て中の身だけれど、自宅との距離やフレックス勤務があることを軸に仕事を決めている。仕事にフルコミットできる男性ならば違う結果になったかもしれないが、評価されなくとも今の職場は”少なくともマシ”な選択肢なのだ。

仕事の評価よりも、続けられるか、働きやすさが優先。その選択自体に後悔はない。

ただ、ママだからといって働きやすさを手玉に取られて「それは間違った努力だ」「選んだあなたが悪い」「わかっててやってるんでしょ?」と外野に言われるのには、どうしても納得がいかないのだ。

とはいえ私にできるのは今の会社でできるだけ成果物を増やし、せいぜい転職活動で「評価されなくてもこんなにがんばりました!」とアピールするくらいしか思いつかない。この時間を無駄にしたくはないし、できるだけ早く次へ活かして「正しい努力」に向かいたい。

この立場を、与えられた機会を、どうやって生かすかは私次第。どうか自分が挫けないようにと、今の気持ちを書き残しておこうと思った次第です。

それでは、また!


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