マンデラエフェクト

9月の残暑がまだまだ厳しい時期であったが、用事が出来て東京に行くこととなった。

朝一番の特急列車に乗り9時頃には品川駅に着いたが、午後からの予定まで数時間程度余裕があったため、30年近くも前になるが2年間住んでいた大田区池上のマンションが現在はどのような姿になっているのか訪れてみようと思った。

当時は東急池上線池上駅から旗の台駅で乗り換えて大井町線大岡山駅まで通学しており、池上駅から徒歩10分程度のところにある第二京浜沿いの池上警察署の近くにあるマンションに住んでいた。

品川駅から京浜東北線に乗車し、蒲田駅で東急池上線に乗り換えた。
池上線は当時と同じ3両編成で同じだったが、車体の色がシルバーに赤のラインが入っていたものが、乗車した車両は黄色が主体の色に変わっており内装も綺麗になっていた。

蓮沼駅を過ぎて、間もなく池上駅に着いたのだが、こじんまりした昭和時代を感じさせた駅舎の面影は全く無くなってしまい、近代的な大型のビルディングに変わっていたことに驚いた。

駅を降りると、城南信用金庫の看板は以前と同じ場所に残っているようであったが、駅舎とバスの乗降場などは一体的に再開発を行ったのであろうか、大きく変貌を遂げていた。

当時は、駅を降りると、池上線に沿って西側に延びる商店街を100mぐらい歩いて、かぎ型の交差点を右折し北上するのが、決まった帰宅ルートだった。

右折するとすぐ右手に「いなげや」というスーパーマーケットがあって、そこで自炊のための食材をよく購入していたのだが、今は、別のドラッグストアに変わってしまっているようだった。

自分が違和感を感じたのはその直後だった。

正面に向き直ると、一瞬、周囲の空気感が変化したように感じられ、目の前に4車線の車道に加えて両側に歩道がある大きな道路を横断するための交差点が目の前に現れた。

その交差点に差し掛かり赤信号だったため、しばらく待っている間に昔のことを必死に思い出していた。

当時、こんなに幅の広い道路は横断しておらず、小さな商店街が北側に延びている途中に小さな交差点が所々にあるだけだった、と記憶していた。

2年間、休日以外はほぼ毎日のように池上駅と自宅マンションを同じルートで往復していたので、このような大きな道路があれば、絶対に記憶に残っているはずだが、この場所で赤信号で立ち止まっていたなどの覚えは全くといっていいほどなかった。

その後、自宅に戻ってからグーグルマップやウィキペディアで確認すると、その道路は通称池上通りと呼ばれる品川区東品川と大田区千鳥を結ぶ延長6.4kmもある都道とのことであった。
(念のため、国土地理院のホームページで、自分が住んでいたよりも以前の1987年~1990年の地図を確認したのだが、その都道は全く同じ線形で幹線道路として存在していた)

しかし、自分の記憶には全く残っていなかった。

その後、暮らしていたマンションまで、当時と同じルートで歩いたのだが、商店街の中ほどにあり頻繁に立ち寄っていたスリーエフというコンビニがなくなっていたり、その他の店舗も無くなったり新しくなったりしていたが、全体の風景としては大きな変化はないようだった。

ただし、自分の住んでいたマンションの外壁は当時は茶色であったのが、白色に変わっていて少し違和感を感じたのだが、塗装の塗り直しをすれば、あり得ることかと思った。

それから引き返して池上駅に戻る際に、その都道が気になったので、少し道路沿いを歩いて調べてみたのだが、歩道のアスファルト舗装も痛んだりして老朽化している箇所も多くあり、完成してから数十年以上は経過しているように見え、特に不自然な点は見当たらなかった。

東急池上線池上駅周辺地図
記憶のない道路(写真下の道路)(2023年9月撮影)

【考えたこと】

・マンデラエフェクトの代表的な例として、オーストラリアの位置が現在の世界地図において、東南アジアの島々の位置よりもっと離れていると記憶している人が大勢いるという話があるが、自分の記憶でも、もっと南側にあったと記憶している。
 そのように集団レベルでの記憶の相違も実際にあるようだが、今回の自分のケースのように、個人レベルで集合意識と記憶が相違としている可能性というのも、あまり気に留めなかったり、他人に言わなかったりするだけで、実際に頻繁に起こっている現象ではないのか。

・また、その他のマンデラエフェクトの例として、「大田区」と「太田区」で記憶している人に分かれていて、インターネットで調べると、正しくは「大田区」であるが、「太田区」で記憶している人のほうが多いとの記事も見かけた。
 自分は、その当時、まさに大田区に住んでいて、「大田区」で記憶しており、手書きで住所を書いた書類などが残っていたので確認してみたのだが、「大田区」と書いていた。そうすると少数派の記憶ということになり、その事も今回の記憶違いと関係してくるのだろうか。

・過去において、ノストラダムスの予言が騒がれていた1999年頃と、マヤ暦の予言の成就が注目されていた2012年頃の2つの時点で、世界が今より良い方向に大きく変化するタイムラインが実際にあった。
 しかし、実現させたくない別の力が働いて、現在が継続してしまっているが、その際に時空に生じた歪みにより、微妙に異なる過去を持つ人々が現在の同じ世界線上に混在している状況が作られてしまった、とも考えられる。

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