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「普通」は別に悪くない

私にとって「普通」という言葉はネガティブなイメージがある。

普通という領域から外れることによって存在意義がある。
人と違うからこそ面白い人生である。
普通じゃないからすごいんだ。
人とは違う人生を。
普通じゃ何も面白くないし、就活じゃ相手にもされない。
普通の人生を生きてしまってはダメだ。

そんな風に考えてしまう。
それで行き詰まる。

まあ、最近この思考があるなとちゃんと気づいたわけなんだけど、その思考が私の行動を制限している気がする。

もともと行動力は低い方だと自己評価している。
考えるのは好き。だから考えて行動せず終わるパターンが多い。
行動するのが怖いと感じるから。臆病なんだろう。良く言えば慎重。
行動した先のワクワクよりも怖さが、失敗像が浮かぶと足が止まる。
まあ誰だってそうだと思うけど、そこからの一歩がまあ出ない。
とんでもなくパッといけちゃうときもあるけど、それはそれ。

だからこそ誰もやっていない、やってるけど数が少ないもの、「普通」じゃないものに手を出そうとすると、性格上進んでいけない。やりたいのに。
このやりたいっていうのも厄介。やりたいから困る。悩む。

書きながら思ったけど、本当にやりたいのか?それは単に憧れではないのか?っていうのも今一度考えてみた方がいいのかもしれないな。

あまりに理想的すぎるとやはり手が出せない。これも性格上?
ステップを踏んでいった先に段差が小さくなって踏み出せる、ということかもしれない。
怖さをだんだんとなくしていって、今の自分だったらいける!っていう風に持っていけたらいいのかな。

私にとって「普通」って悪いもの、普通になってしまったら面白みのない人生で死んでいくのか、、それは嫌だ!みたいな考えが植わってるけど、別にそうじゃないし、大抵普通なんだし、てか普通ってなんやねんって感じだけど、悪くないよね、全然。
いたって普通に見えるかもしれないけど、その中でドラマがあって、心の中に熱い炎があってそれを叶えるために日々生きている人もいるし、なんら普通の人生だけど最高の幸せを感じて毎日超ハッピーに暮らしている人もいる。

今の私はどうだろうか。
もっと感じていいハッピーがあるのに感じず、ただ欝々と何かするわけでもなくダラダラ過ごしている。
考えるだけ考えて、理想と直結しないからとか、んー普通だなこういうのじゃないとか言って選択するのを避けているだけじゃないか。
それで後悔や反省、自己嫌悪に駆られて負の連鎖に陥る。
そんなのどこが幸せなんだろうか?

私の理想を描く力は自分で褒めてあげたいけど、それにたどり着く「普通」を否定しないであげたい。
普通じゃないから幸せだ、普通だから幸せじゃないみたいな割り振りはいらないよな。
何でも区別、分類しちゃう癖、やめたい。

どこかの誰かが言ってた「誰もが幸せになるために生きてる。幸せになるために成功したいと思ってるかもしれないけど、実際に成功してる人、めっちゃお金持ちの人でも不幸な人はたくさんいる。その逆で周りから見たら不幸な人生だと思われていても、自分が毎日幸せだと感じてるんだったら借金があろうが何であろうが幸せだ。それでいいじゃん」っていうのがグサっと来る。
そうだよ。結局は自分がどう感じるか、なんだよ。
周りの目を気にしちゃうが故に、普通じゃない人生を歩みたい、とか思ってるんじゃないのか?
自分がどうかということに焦点を当てている人はそんなこと考えずに、自分がこう思うから、こういう人生歩んだら私は幸せだって思って生きてるだけで、周りの評価は知らない、興味ない。ってことなんだろうな。


とまあ、ここまで思考のままに書いていったわけですけれども。
最近の私の思考が知れてハッピーでございます。
1つのバイアスが見つかって自己理解が深まりました👍
今度は私が「幸せ~~!」って感じる瞬間集みたいなのつくれたらいいな。


ということでまとめ。

「普通」は別に悪いことじゃない。
そんなことよりも自分が幸せかどうか、生き生きしているかどうかの方が大切だ。
普通じゃないことするのが"今"の自分の幸せを創っていけるならやるべきだし、そうじゃないなら別にしなくていいじゃん。
等身大の自分に沿ってスモールステップを踏んでいこう。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございました😌

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