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freestyle 2 仮面ライダーと私

 たまたま目にしたネットニュースで、井上正大いのうえまさひろさんの記事を発見した。どうやら第34回東京国際映画祭のトークイベントの記事らしい。出演した作品の上映後、ゲスト出演するという内容だった。

 何を隠そう、私が仮面ライダーにハマったのは『仮面ライダーディケイド』からだ。こういうと、昔からのファンの方は少し嫌な顔をするのだという。「にわかファン」の典型的特徴だそうだ。私は何しろコアなファンの方との交流がないので、幸か不幸かディスられるような憂き目にあったことは無い。

 平成仮面ライダーシリーズ10周年と10作品目の記念作品として、平成仮面ライダー10周年プロジェクトの一環で制作された『仮面ライダーディケイド』は、平成の仮面ライダーを、オリジナルキャストではなくパラレルな世界で振り返るという、少し変わった趣向の仮面ライダーだった。

 つい先日、NHKBSで「全仮面ライダー大投票」という番組があり、井上さんがゲストで出ていた。その時「ディケイドは嫌いな人も多いから、ビリだと思ってた」とおっしゃっていたので何か切なかった。ディケイドはいいライダーだ、と誰にともなく言いたくなった。仮面ライダー愛と私が言いたいことは全部、ゲストのしょこたん(中川翔子さん)が言いつくしてくれたが。

 そもそも私が仮面ライダーを観ようと思ったのは、心身の調子を崩し、少々引きこもり気味の精神状態だったせいだ。子供が男の子なのに、アクティブになれない。部屋の中で過ごすには、ウルトラマンや戦隊などの特撮を一緒に観るのがいいのかもしれないと思った。

 当時はレンタルDVDでしか観られなかった。お店に行くとラインナップがずらりと並んでいて何がなんだかわからない。とりあえず手っ取り早く「ダイジェスト」として観れそうだと『ディケイド』を手に取った。こういうダイジェスト気分も、いにしえのファンには癪に障る要素なのであろう。オリジナルの作品をこよなく愛するファンからは「ディケイドだけを観て仮面ライダーを知った気になってほしくない」という気持ちがあるのかもしれない。

 しかしその第一回を観た時、驚いた。うそ。面白い。凄い。特撮ってこんなん?物語として面白いし、なにこれ。凄く新鮮な世界。

 実は私はもともと、戦隊や仮面ライダーは好きで、子供の頃も観たくてたまらなかった。ただ、昭和の昔はコンテンツの男女の区分は極めてハッキリしていて、なんとなく女の子が観るものじゃないんだと思っていた。ゴレンジャーは比較的、モモレンジャーが出ているのでとっつきやすく、よく観ていた気がする。

 園児のころのそんな記憶はすっかり遠く、子供が男の子だと分かったときには「男の子だったら、特撮みたいな暴力的なものを観るのかな、嫌だな」とすら思っていた。いろんな意味で昭和のジェンダー的偏見に満ちていた。

 ところがである。

 ディケイドを観て、子供より私の方がはまってしまった。子供が幼稚園に行っている間、私は次々と仮面ライダーを借りて観た。クウガから10年分の仮面ライダー、そしてその後の仮面ライダーをダビングしてまで観た。昭和のライダーやBLACKにも挑戦したのだが、やはり平成ライダーが好きだった。

 『ディケイド』は、私の最初のライダー体験だったから、特に印象深い。正直言って「カッコいいライダー」かと言うと、そうでもない。申し訳ないのだが一番のライダーではない。たぶんに商業主義的な部分もある。玩具やグッズを売らんかなもあるし、これを機に平成ライダーを振り返って見直してほしいという強いリコメンドのメッセージもあった。

 それでもマゼンダのライダーは私の中で今も燦然と輝いている。変身前の門矢士かどやつかさが語る言葉も結構刺さる。「通りすがりの仮面ライダーだ」の決めゼリフも好きだったし「おのれ、ディケイド」と怨恨をたぎらせる謎の男、鳴滝なるたきも気になり続けた。パラレルワールドを旅するライダーが、人間の役者が決まっていないウルトラマンゼロのように「便利な存在」であることも、今後沢山、他の作品に出るであろう展開を予感させた。実際、ディケイドは時代を超えて長く映画やスピンオフに登場し続けている。

 今回、東京国際映画祭では、仮面ライダー作品が数多く上映されるらしい。オーズ10周年ということで、全編オリジナルキャストでオーズの新しい映画が作られたとも聞いた。こちらも東京国際映画祭で公開されるらしい。

 オーズは息子とリアルタイムで観ていたライダーだ。当時は1円玉などの硬貨の発行枚数より多く生産されたというオーメダルも、妖怪ウォッチの妖怪メダルとともにまだ家にザクザクある。ああ。これが本当の硬貨だったら、と、思った日もまた遠い。あれから10年か、と感慨深い。

 最終回で「スピリット」のような存在になっていたアンクが復活するとあって、もしかして今再びのタジャドルですか~!と熱い期待が高まる。最終回のタジャドルコンボでのライダーキックはムネアツだった。

 新人俳優の登竜門と言われる仮面ライダーにおいて、年月が経ってからの作品がオリジナルキャストであることは、奇跡に近い。その後なかなか出演作に恵まれない人もいるし、俳優を辞めてしまう人、中には若くして亡くなられた方もいる。だからこそ、今度の映画の全編オリジナルキャストはプレシャスだと思う。

 しかし実は私は、本編ではない仮面ライダー映画というのがそれほど好きではない。夏休みと冬休みに、お祭り仕様で繰り出される映画で、その後本編に出るライダーのお披露目だったりすることもあり、正直あまり面白いと思うことが無い。

 そんな仮面ライダー映画の中で特に思い出に残っているのが、『仮面ライダー電王』の映画だ。『電王』は人気作品だったので映画の本数も桁外れに多い。何しろ「時を超える電車」が超便利だ。色々なところに登場させやすい。

 電王の映画はどれも好きだが、特に好きなのは『劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦』だ。こちらはセカンドライダーのゼロノスである桜井侑人さくらいゆうとの子供の頃とデネブ(声を大塚芳忠おおつかほうちゅうさんが演じている)の意外な結びつきが描かれていて、ディケイドは出る、キバの魔族の三人は出る、盛りだくさんの映画だ。残念ながら主人公の野上良太郎のがみりょうたろうは時空のゆがみで子供になってしまったので佐藤健さとうたけるさんは出ない。

 『電王』の魅力は、なんといっても声優さん達だ。特撮は俳優さんたちが声を後から当てているので、俳優さんは「声優業」も同時にやるということになるが、本職の声優さんたちを贅沢に起用した『電王』には格別の魅力がある。

『仮面ライダーキバ』とリンクした『劇場版 仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』も好きだった。

 もうひとつあげるなら『仮面ライダーダブルFOREVER A to Z/運命のガイアメモリ』だ。この中に出て来る仮面ライダーエターナルが印象深い。「お前の罪を数えろ」と言われて「いまさら数えられるか!」と言うのが忘れられない。存在の切なさが前面に出た台詞だった。

 『仮面ライダーダブル』は舞台となる架空の町「風都」の設定も良くできているし、構成も、ストーリーも良く、申し分のないエンターテインメントだ。

 仮面ライダーを観たことが無い人にまず何を紹介するか、と聞かれたら(ああ誰か、聞いてほしい。聞かれたことがない。笑)、ダブルと答える。大人も子供も楽しめて、物語として完成度が高い。主演の二人が菅田将暉すだまさきさんと桐山漣きりやまれんさんと言う今をときめく俳優さんたちだからという理由だけではない。

 ちなみに『ダブル』はディケイドの次で11作目だ。平成ライダー10周年記念プロジェクトの一環でもあり、力が入っているのは間違いない。なにしろ主人公の名前が左翔太朗ひだりしょうたろうで、原作の石ノ森章太郎いしのもりしょうたろう先生へのリスペクトに溢れているし、その相棒フィリップ=園咲 来人そのざき らいとの名前は、左に対して右だからライトなのだ。凝っている。思うに、歴代のライダーを務めた俳優さんの中でも、桐山漣さんはこの名前を得て、かなり幸運だったのではないかと思っている。

 ちなみに、今放映中の『仮面ライダーリバイス』は、どことなく電王とダブルの香りがする。ピンクのライダーなので若干のディケイドもある。気になっている。

 平成の仮面ライダーは大人っぽすぎて対象年齢(園児)には合っていない、と思う人もいるようだ。一緒に観る母親を意識して、イケメンの新人俳優を起用しているという側面もある。実際、若い俳優さんのファンになる母親も多い。

 めったにないことだが、たまにママ友と仮面ライダーの話になると、決まって俳優さんがカッコいいという話で、歴代ライダーとか怪人とか必殺技とか物語について話ができず、内心忸怩たる思いを抱いていた。

 大人に媚びすぎた反省からなのか、逆にここ数年のライダーはすこし子供っぽさが強く賑やかすぎて少し残念だ。1号の時代から、媚びない大人っぽさがライダーの魅力だった。ざらついた画面に怪人が現れると、子供の頃は本気で怖くて、大人になってから見ても完全にホラーだと感じる(ちょっと怖すぎると思わないでもない。笑)。

 1号は、文武両道で非の打ち所がない完璧な人格を持つ男性が、悪の組織に悪の手先として改造されるという、いわば「半分悪」の存在として、日の当たるところに大手を振って出られない影のヒーローだった。変身も隠れてするし、人に正体を知られないようにしていた。そこがまた魅力だったと思う。

 平成ライダーで特に大人っぽいのは『仮面ライダーキバ』だったと思うが、瀬戸康史せとこうじさん演じる紅渡くれないわたるの父親の、紅音也くれないおとやを演じた武田航平たけだこうへいさんが、何かのインタビューで「子供が観ていることは忘れないようにしたいと思って演じている」と言っていたのがとても印象的だった。おそらくライダーに関わる皆さんは、どんなに大人っぽい設定や物語や演出でも、「子供が観る」ことをちゃんと念頭に置いているのだなと感心したひとことだった。

 仮面ライダーはもともと「怪異」「猟奇」などのホラー性が目玉なので、大人と子供の加減、バランスをとるのが難しいのだろうと感じる。言ってしまえば「大人っぽくした方が面白い」のだ。そう言う意味では、平成の最初の頃の『仮面ライダークウガ』『仮面ライダーアギト』などはバランスのいい作品だったと思う。その後は大人度の過剰な作品もあったかもしれない。

 最近は、Amazon配信で『仮面ライダーアマゾンズ』という、往年のファン寄りの、どちらかというと大人向けのライダーも登場している。

 話し始めればキリがないのだが、最後に思い入れを語らせてほしい。

 人生でも非常に元気が出ない、辛い一時期があった。しかし子供が小さく、そんなことは言っていられない。なんとかしなければならない、頑張らなくては、どうにかしなくてはと、気ばかり焦っていた。

 そんな時に出会った仮面ライダー。具体的な感動や物語で励ましてもらった、というより、その存在そのものが、私にとっては救いだった。子供と一緒に観ることでことで子供との関りも保てた。相手がなんであれ、孤独に闘い続ける存在(孤独ではないライダーもどんどん増えていったが)。その闘い続ける姿が私を励ましてくれたと思う。

 出産前は「暴力的」と思っていたが、それが「内的な戦い」だと受け止めたときにその世界が豊かに感じられた。人間が受ける暴力は、肉体的な暴力だけではない。弱く幼気いたいけなものであればあるほど、ちょっとしたことが傷になる。強くなりたいと願い、強さに憧れる。この世の混沌や邪悪、そして自分の心と闘うライダーはやはり、弱者の味方であり続けるのだ。

 ずっと心に残る子が(親も)たくさんいると思う。少なくとも私はライダーたちに助けてもらった。ありがとう、仮面ライダー。




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