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つれづれ - 素朴な疑問

どんな本にも書かれてる。金融の本にも、哲学の本にも、ビジネスの本にも、サピエンス全史にも。
まずやることは自分磨き。一番大切なのは志。世の中は虚構だけれど、あなた自身が生きていることは変えようのない事実。
全部、自分を信じろ、自分を大切にしろ、って言っているように感じる。

だけど世の中に蔓延っているサービスはどれも自己からそれを乖離させていくようなものばかりだ。
それってなんだろう。
だから、さっき言ったような、自信とか、内面との対話とか、自分磨きとかそういう類のもの。
要は、自分を見つめ直す暇も、きっかけも、風潮も、与えてくれない。

煽動されている。焦らされて、置いていかれて、そんな気にさせてくる。
常識を塗り固められていく。
しかもそれは絶えずアップデートされていく。
情報の海に溺れて、知らないといけないことが山のように、あるいは、ゴミのように溢れかえっているような気がする。
だけど、本当に必要な情報に限って何も知らなかったり、気づかないように隠されていたりする。ひょっとしたら意図的に誰かが隠してるんじゃないかなって。くらいに。

多分、本当に必要な情報って、幸せに生きていくための情報だけだと思う。
それが例えば宗教による世界の解釈の仕方だったりするかもしれないけど。
なんで人は死ぬのか?という全人類共通の不安要素に対する答えを示してくれているように。

あるいは、体にいい木の実の種類とか、栄養価の高い高い木の実がなっている土地とか。そういう情報だけで幸せに暮らしていけるんじゃないか。

それは今の社会に生きてしまっているとあまりにも浮世離れしているけれど、
考えたかったのは、じゃあ、そういった煽動している主体はそれを意図しているのか?ということ。
多分意図的に世の中を操ろうとか、不幸にしようと思って物事を起す人ってそんなに多くないと思う。感覚論だけれど。
でも例えば、TiktokやInstagramの情報の海には辟易してしまう。毎朝満員電車に揺られて光る画面に塞ぎ込み、周りのことが何も見えていない人たちが生産され続けているけれど、じゃあiPhoneはそんな人を生産するために開発されたかというと、それははっきりとNOと言える。きっと、iPhone片手にチャンスが広がる人類の姿を想像されて開発されたに違いない。
そこに一部の我欲が入っていたとしても。
SNSメディアだって、マスメディアに支配されない市民の姿や、もっと公平に広がりを持って情報が拡散される社会や、身近な人の今を簡単にしれて繋がれる社会、ご近所さんを世界中に作るような社会を目指していたに違いない。
全部想像だけどね。

ただ誰も、副作用を狙って作っている気はしないということ。
じゃあ、なんで副作用面ばっかり出てくるのか。
これが考えたいこと。

意図しない結果、しかもネガティブな結果ばかりが一人歩きしてしまう。
純粋な心を持って純粋なサービスが純粋に活用されることはあり得ないのだろうか。

まだ、分からない。

02,Oct,2022

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