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『20年後のゴーストワールド』第1章・私のシーモア(5)死因はガチ恋

「昨日来ているかと思った(笑)」
夏の終わりが近づいてきた頃、コロナから復活したおじさんからLINEがきた。
ちなみにこの時もまだ焼き鳥は行っていない。

昨日はおじさんが過去にプロデュースして今も関わりのある村井(仮名)というミュージシャンのワンマンライブがあった。私はそれをおじさんのインスタの投稿を見て知った。ちなみに村井といっても村井守ではない。
村井のライブにはかれこれもう7年くらい行っていないのに。行くわけがない。行けるわけがなかった。

私は長年村井のファンだった。高校生の時から、村井のバンドのファンだった。音楽ファンとしての気持ちを越えて村井のことが心底好きだった。ガチのガチ恋であった。今でいう「リアコ」というやつか。いつしか恋人の関係になった。しかし私は恋に夢中で相当イリュージョンがかかっていた。村井に長いこと騙されていた。村井には妻子が居たのだ。長年の村井の曖昧な態度に、私も当時村井の他にも熱心に言い寄ってきた人が居たので、アラサーの年齢的にも危機感があり、嫌なやり方だけど他の人の好意を使ってカマをかけて真実を探ろうと試みた。他の男を匂わせれば匂わせるほど、村井は引き止めるように会いたいと時間を見つけては私に会いにきた。奥さんのFacebookをつきとめて、200%クロだとわかっても、最後の最後まで嘘をついて本当のことを話してくれなかった。そこには村井の顔そのままの小さい女の子の写真も載っていた。気がおかしくなった私は、村井に「死ね」と言った。自分も死にたかった。すると、村井からは「たとえ君と一緒になっても共倒れるだけだし、もう金輪際関わらないでほしい」と捨て台詞を吐かれた。この台詞もスローモーションで悪夢のように再生され続けた。

私は安野モヨコの『ハッピーマニア』の恋の暴走機関車こと主人公シゲタカヨコを他人に思えないくらい、あの漫画に描かれる(不毛だけどその時々で全力な)恋愛のパターンをほとんど経験してきたが……不本意にもここで今まで体験のなかった唯一の最後のピースである「不倫」を意識せずに手にしてしまったのだった。本当死んでしまいたかった。

「村井さんのライブにはもうずっと行っていません」

震える手で返信をした。
私はてっきり、暗黙の了解で、私と村井のことは村井のごく身近な人にはその後バレていると思っていた。その上でおじさんは時効といったらなんだけど、もういいだろうと思って連絡してきたのかと思っていた。私は村井と親しいミュージシャンのライブに行くこともやめていたが、浅井はたまたま近年友人に教えてもらった若いバンドと対バンしていて、久しぶりにライブを観たのだった。浅井の歌は直情型で、真っ直ぐに熱い歌を歌う。もともと私の好きなミュージシャンは村井をはじめ、そんな感じの人が多く、今居る畑で好きなものの感じとは毛色が違った。浅井の歌を聴いて、また過去に好きだった人たちの良さを思い出したりしていた。違う畑に行って面白さを求めて、頭でっかちになってしまった私に初期衝動を呼び起こしたのだった。浅井は村井を尊敬していた。私は村井に酷いことをされても、村井の音楽を好きだった気持ちまで否定されたくなかったので、その気持ちはどこか浅井になら唯一わかってもらえる気がしていた。村井のことをさほど知らない人に、村井の話をしても「何、その最低なやつ!時間の無駄、とっとと忘れなよ」で終わってしまうのが目に見えていたので、話せなかった。私の身にずっと鉛のようにのしかかって降ろせない悲しみだった。

「そっか、たまには観にいってやってくださいよ(笑)」

おじさんは何も知らない……のだろうか。村井のこともあったから、私はおじさんに「陰ながら応援している」と言ったのだった。私は村井と別れたショックで当時の記憶があまりない。あまりにつらい記憶は本当に飛んでしまうものらしい。村井の名前を見ただけで過呼吸になるので、SNS上も村井と関わっている人全てをシャットアウトして、フォローを外した。村井がよく出ていたライブハウスに行くのも、記憶がフラッシュバックするので数年行けなかった。下北沢のシェルターもしばらくぶりに行った時足がすくんだ。

私が返信に困っていたら……

「まぁ、あいつのお客さんもなかなかめんどくさいからね、熱心なのはいいけど(笑)あいつばっかりモテやがって(笑)」

今はどうだか知らないが、当時その村井とおじさんの音楽仲間界隈の中心に居た私はそこのファンの感じは嫌というほどおじさんよりもよくわかっている。人の好意はコントロールできるものではなく、暴走するともう手がつけられない。それは好きが「死ね」まで行き着いてしまった私自身がよくわかっている。

ライブ後に演者とファンが少し話したり、話さなかったりするだけで、贔屓だの公平じゃないだのと問題になったりする。ファンの派閥があり、何かといざこざがおこって現場の空気が良くないところは身バレ、叩かれ防止のためにまずまず集客があるにも関わらず、ライブ後のSNSの投稿数が極端に少ない。アカウントは持っていても観に行ってもあえて投稿しない人もいる。たとえどんなにライブの内容が良かったとしても。

当時私は周囲にバレることなく(たぶん)、何食わぬ顔で全通してるような常連のファンの人たちとも仲良くしていたが、良心の呵責はあった。その中でも特に親しくしてくれたファン仲間数人が、結婚したり田舎に帰ったりして現場に来なくなったのがさみしい反面、結果的に都合が良かった。彼女たちは地下のライブハウスの暗闇から抜け出して、年相応の大人になれたのだった。

この時の私は恋愛は自由競争と思えるだけの向こう見ずの強さがあった。周りの人がどう思っていても、好きな人にはアタックするのは自由。若いというだけでもモテていたから。よほど人としての飛び抜けた魅力がない限り、何もなくてもモテるのは31歳までだというのが私の体感的観測である。ギリギリ20代にカウントしてもらえて、年上はもちろん、年下からもチヤホヤしてもらえる感じ。人のポテンシャルとして似た条件なら、当然の如く選ばれるのは若い方。しかし私は村井のことがあって、茫然自失の数年を経て、あっけなく椅子はなくなってしまった。恋をする感覚も良くわからなくなっていた。自信を失い、性格がネガティブな方向に変わった。

村井の本当の罪を(たぶん)知らない様子のおじさんからのLINEが頻繁に来る状況、このままでいいのだろうか。本当のことを言った方が良いのだろうか。別にその本当のことを言わなくて良いくらいの強かさがあっても私はバチが当たらない、ことを村井にされた。かと言って、過去を隠し通してやり取りを続けるくらいおじさんを引き止めたいのかと思うと、それも違う気がした。そしておじさんにもそれではあまりに失礼だ。

ガチ恋をして、ガチ恋を一応は実らせて、その後精神を病んだ私の話。ガチ恋は実っても実らなくても死の場合が多い。破綻しても、一旦は実ったならいいじゃんと思う人もいるかもしれない。高校生からファンだった人と付き合うなんて、漫画みたいな話だ。出待ちなんてしなくても、好きなミュージシャンがライブの後家に来て、独り占めして一緒に眠るのだから。

私にも村井は既婚者であることをずっと隠し通していたから、もちろんファンの人たちは知らない。若い頃のミステリアスは許されるけど、大人になってのミステリアスは罪だ。大人には時間がない。かつては奥さんや彼女が居ても絶対隠し通すべし、が鉄則のバンドは多かったけど、それも大抵が20代までだ。むしろ30代超えて、みんな独身のバンドの方がかえって不自然……作品はあくまで作品として、プライベートの自分とは切り離して見てほしいという制作者の気持ちもあるとは思うけれど。奥さんやパートナーがいることを公表しているバンドはわかりやすく平和である、というのが村井と別れてから他の界隈のライブへ行くようになった私の所感である。ファンはガチ恋フィルターを通さずに音楽そのものを楽しんでいるし、制作側としても、その歳相応のテーマを歌っていける。そこに変な探り合いもない。結婚して幸せになって曲が書けなくなったという人もいるけれど。家庭を守るために奥さん側の意向で既婚の事実を言えない人もいるらしいが。羽生結弦の結婚のケースがわかりやすいだろう。それくらいファンの暴走は怖い。まだ記憶に新しい、推しにブロックされたファンの顛末をnoteに書いてる人が話題になったが、当時村井の周りにいたファンはこんな人ばかりだった。

村井は歳を重ねてもずっと青くさい若さを纏っていた。家庭の生活感がまるでステージには出ていなかった。周りのファンの人はそれを心酔して観ていた。私はいつの間にか彼の青くささを保つための犠牲になっていたのだ。愛は家庭にあって、私にはなかった。恋は歌を生み出す原動力が枯渇しないように。私はそのネタになっただけだった。芸の肥やしとしての恋。

村井と別れて、死んだみたいな記憶喪失の日々を経て、その時は村井以上の才能はこの世にはないくらいに思っていたのに(相当イリュージョンかかっていた)いざ、興味の赴くまま違う世界をのぞいたら沢山の出会いがあって、村井ワールドから抜け出せないままの生活より今の方がマシだと言えるだけ良かった。病みながら、それがずっと癒えてなくて、現実逃避みたいでも私は違う畑に行けて良かったと思っている。歳は言えなくなって、そこでなかなか恋人のような好きな人はできなくても。

「ファンの人とは関わらないようにしているけど、君のことはかわいいから覚えていた(笑)演者だとエコ贔屓とか言われて大変だけど、俺は裏方だし、独身だから大丈夫(笑)」

おじさんからイリュージョンのかかったLINEが止まらない。おじさんの中では今でも私はモテていたあの頃の無敵なイメージなのだろうか。当時大きな関わりもなかったのに、長年不在だった私のことを覚えているのは、村井とのことを知っているからではなかったのか。

どちらにせよ、(笑)で済まない話なので、文面で伝えるのは困難な気がした。おじさんにはこの話をするなら様子を見て直接言った方が良さそうだった。しかし、もし、おじさんが私と村井の関係を本当に知らないで、知ることになったら……それこそぞっとするこの世のゴーストワールドである。

脳内BGM
おとぼけビ〜バ〜/あなたわたし抱いたあとよめのめし

タイトルの「死因はガチ恋」は、冬野梅子さんの漫画『まじめな会社員』に出てくる「ガチ恋は死」という秀逸すぎるワードと、水中、それは苦しいのジョニー大蔵大臣がよくMCで言う「死因の第一位は…◯◯」に影響されマッシュアップしたというか、拝借しました。2年前…たしかあの時もゴールデンウィークでしたね…梅子さんの展覧会でまさかの、ガチ恋は死門が登場。最高でした。この時すでにガチ恋は死どころか、屍というかガチ恋ゾンビだった私は嬉々としてこの門をくぐり、その後さらなる死を迎えるのであります…この近衛兵、バンドの物販に立たせとけば、バンドもファンも平和になるかもしれません…ね。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


12月に出す予定のZINEの製作に使わせていただきます。