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2006年22歳。私の投資はじめは1冊の小説から

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こんにちは。若橋未央と申します!

私は2023年8月、自邸の家づくりとお金について、体験談と戸建てマネー戦略をまとめたkindle本を出版しました。

書き進めているうちに、本の内容は思いのほか「お金」要素が強くなりました。

新NISAとインデックス投資、私の資産の話が出てきますし、プロフィールにも私の投資歴を少々打ち出す流れになっています。

2006年(中略)22歳にしてネット証券口座を開設、投資信託の積立を開始。2008年のリーマン・ショックを乗り越え、インデックス投資信託、海外ETFを中心に投資を継続。

amazonの著者紹介ページより

すると、各所からのご感想(ツッコミ)をいただくように。

「22歳から投資してたの?なんで?」

ですよねえ。
お声をいただいたのをきっかけに、どうだったかなあと記憶をさぐったり、昔の家計簿データをあさったり。

すると、いろいろと思い出してきましたので…
この機会に、私の投資遍歴をザーッと振り返ってみたいと思います。

今回は第1回、私のお金への原体験~投資との出会い~新卒で投資を始めるまでのお話です。


よろしければおつきあいください。

JK時代、塾の費用に疑問をもつ

私は幼少期、静岡県の某市で育ちました。
映画館やマクドナルドはない、レンタルビデオショップとロッテリアはある。それくらいの市です。

そして、私は「お年玉は貯金するのがうれしい」タイプの堅実な子どもでした。
お祭りだからと1000円おこづかいもらえたら、縁日で500円のわたがしを買うのがもったいなくって、お祭り帰りにいつもの駄菓子屋で200円使って豪遊気分を味わい満足するような…。

そんな堅実女子だった私が「お金」について意識を強く持ったのは、振りかえると、中高生のころの教育費がきっかけです。

私の通った中学地域は、クラスの半分くらいは何かしらの学習塾に通う、そしてできるだけ良い公立高校をめざす。そんなところでした。

うちも姉が先に塾通いしており、きょうだい割引があるからという流れもあって、私も同じ塾に中1から通いました。

その塾がまあまあの大手で商売上手、オプションの講習・講義や問題集を、不安をあおって買わせるんですよね。必要じゃなくても。

違和感を持った私は、勧められてもオプションを買いたくない、買う必要ないじゃんと思い始め、中3くらいから、明確にオプション買いを拒否しはじめました。
塾の教室内で私だけ買ってないくらいの勢いでマイナーになりましたが、買いませんでした。

おねだん高いし。これまでのテキスト解きなおしたほうが力になると思ったし。志望校の公立進学高の模試判定、Aが出てるんだし。
(そもそも倍率が高くなかった。1.1倍くらい)

好きな先生や友達もいたし、中3の最後まで塾は在籍して志望校合格も献上しましたが、高校入学を機に塾通いは終わりにしました。

高校も、クラスの7割方は学習塾に通っていたので、塾に行かない私は浮いていましたが(笑)、お金がからむと、所属集団でマイナーなポジションになっても気にならなかった。

お金に関して、自分が腹落ちする道を行く精神はこのあたりで得たのだと思います。

結局私は高3の最後まで塾に所属せず、運よく国公立の志望大学に合格して、18歳で実家を出ました。

大学生、投資と小説で出あう

大学生のとき、私は投資と出会いました。
出会ったといっても、小説の中で、です。

石田衣良さんの「波のうえの魔術師」。
大学近くの市立図書館で、石田衣良さんの本を片っ端から借りていた時期があり、その中の1冊でした。
私が20歳前後、2003年~4年くらいに読んだと思います。

名相場師とその助手になったフリーターが、株式マーケットの波をのりさばき、恨みがある都市銀行に一泡ふかせるストーリーです。

痛快なだけではなくて、お金は汚いものではない、金融取引で資産をふやすことは、成熟(衰退)期の日本で価値があること…そんな考えを持てる話でした。

この小説は当時の私にストライクだったようで、
主人公のマネをして、新聞の株価欄の数字、まいにち一銘柄だけボールペンで丸つけてチェックしていた記憶があります。
かなり影響を受けていたのでしょう。
(私は当時すでに少数派だった、一人ぐらしの下宿で新聞を取るマジメな学生でした。そこはお金を出してたんですねえ)

大学在籍中に投資を始める勇気はありませんでしたが、「社会人になったら投資を始めたい」とは思っていました。

ちなみに、わりと普通にキャンパスライフもエンジョイしてましたよ。
単位もちゃんととってたし、部活動もしていたし、飲食店やスポーツジムでアルバイトしたお金で、友達や彼氏(現夫)と旅行いったり。卒業旅行は台湾でした。

新入社員、ネット証券を開く

2006年、私は22歳で新卒社会人となり、ひとり上京。
研修期間が終わるとただちにネット証券を開設しました。
コンビニや書店でいくつかマネー誌を読んでいた記憶はあり、それらをもとにひとりで口座開設を決めて…だれにも相談しなかったと思います。

↓あるじゃん(廃刊になったかな)とか、ZAiとか読んでました。

小説のような相場師になるつもりはありませんでしたし、就職先の編集部で新米編集者としてもがんばりたい。
当時の選択肢から、できるだけ手間がかからないことを重視しました。

  • 個別株ではなく、投資信託で世界に投資したい

  • 外貨建てMMFを買ってみたい(当時は為替益が非課税でした!)

  • 低コストで買いたい

  • 給与が銀行口座に入る→無料・自動で買付(積み立て)したい

このあたりが当時叶えられたのが、カブドットコム証券(現・auカブコム証券)です。

UFJ銀行(三菱と合併する前の名前ですよ)系列の銀行口座から直接商品を買い付けできるのがウリだったと記憶しています。

リーマンショック前のポートフォリオ

手元の家計簿エクセルに残る投資資産の記録は、投資開始から1年半後、2007年12月の記録がいちばん古いものです。

2007/12/15付けの記録より。新卒2年目で300万円運用中。がんばってる

2023年を生きる皆さんからすると何この銘柄(笑)、だと思いますが、当時の私なりに日本株式・世界株式・日本債券・海外債券、そして欲を出して新興国株式を、「ノーロード(購入手数料無料)」で組み合わせたポートフォリオでした。

残業代がきちんと出るホワイト企業だったこともあり、月々25万円くらいの手取り給与があって、そのうち10万円を投資に回していました。それとは別に、ボーナスからも臨時積み立てをしました。

東京勤めではありましたが、川崎市のはじっこで、「田中荘」みたいな名前の1Kアパートに住んでいたので、そこまで生活費はかかっていませんでしたね。大家さんがそばに住んでいて安心でしたし。

正直、同期の友達が、都内で新築のオートロックマンションに住んでいるのを横目に、「質素に暮らしながら、実は投資している私♪」とちょっといい気になっていたと思います。おいおい。

まさか、投資をはじめて2年半、最初に直面する暴落が、100年に1度と言われるリーマンショックという大暴落になるとは、、、、想像もしていませんでした。

(2023.9.15追記)続編記事、UPしました。こちらからどうぞ ↓↓

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★この記事を書いた人★
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 ・みお(若橋未央)
 ・22歳からインデックス投資歴17年
 ・東京→宮崎に家族で移住した編集者
 ・「将来貸す」前提の注文住宅を建設
 ・noteは月に〜数本執筆
 ・X(Twitter)は、ほぼ毎日出没

 ▼若橋家の家づくりとお金の考え方、Kindle本にまとめました。amazonで好評発売中です!


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