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自分自身が神であるということを、果てしなく自分の心と身体と魂を使って実験している人生


ここのところずっと本を読んでいる。
Kindle Unlimitedに入っているので、Kindleで、スマホやタブレット端末経由(以下、”電子書籍”)で読むこともあれば、ふつうに紙の書籍(以下、”本”)を読むこともある。

けれども、わたしの実感としては「豊かな読書体験というものは、”本”からもたらされるのだな」とかなりビビッドに感じた期間でもあった。なので、決心しました。

「もう俺は、(紙の)”本”しか、読まん!」と。

て、決めたそばからKindle Unlimitedで読み放題の『奇跡のコース』には例外としてお世話になることにしているんだけれども(”本”としてはあまりにも分厚く、重く、そして高いので)。

本と電子書籍では得られるものがちがうよな~!とはなんとなく思っていた。

それでも落合陽一やオードリー・タンのようないわゆる世界的にクレバーな人たちがこぞって「もう読書も記録もタブレットしか使っていません」みたいなことを言っているのを聞くと、わたしの「クレバーでありたい欲」がむくむくと発動し、ついそっちサイドに寄せられてしまっていた。

わたしなりの結論として、電子書籍での読書体験は「インプットされたものが思考回路を経由して、情報として処理される」というもので、本での読書体験は「自分の存在そのものが、書かれた言葉の意識場にアクセスし、情報ではなく一種の体験として蓄積される」というものである、というところに落ち着いた。

であれば、モノによって「これは情報として処理してオーケー」「これは体験として血肉化しておくべき」という区別がつけられるので、それに見合ったメディア(電子なのか本なのか。もう一歩踏みこんでいえば、風のエレメントで扱うのか、土のエレメントで扱うのか)を選べばいいんだよね。

わたしが今、読書のためにけっこうなエネルギーを割いているのは、どちらかというと「書かれた言葉の意識場にアクセスする」ことが求められているので、場所も取るしかさばるしお金もかかるんだけれども、”本”として入手して、読む、しかないんだなあ、と思っている。

でもある意味、正しいことだよね。
自分のエネルギーを注いだものだけが、自分の人生をかたちづくっていくわけだから。わたしは情報収集がしたいわけではない。
自分自身が神であるということを、果てしなく自分の心と身体と魂を使って実験している人生なのだから。

そんな近況ですが、みなさんお元気ですか?


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