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ヨリドコロのワキドコロ

 電車の端に座ったら、連結部分の窓枠に目が行って、窓枠は木枠だったらしい。経年で塗装の剥げた所から、樹液らしいものが吹き出したまま固まっていた。何ヵ所も。透明な薄茶色の樹脂。松脂みたいな。木は窓枠になっても木のままなのかも。カタチを変えても(変えられても)その性質や営みは残り、生きている。
 木は朽ちたり燃えたりして無くならない限りは生き続けているのかもしれない。椅子や机やタンスや窓枠やらになって。不思議な存在だね、木って。どっかの杉とかメタセコイヤとか、人間よりずっと長い時間存在したりしているし。木の時間感覚は人よりずっとゆるやかなようだ。


でっかい鯉とカラー?みたいな花

 今まで必要からとりあえずしてきた事は、当たり前だと思っていたからできたのだ。
 一辺それを疑いだしたらもう、それをするのを躊躇するようになった。急に、えっ、よかれと思ってしていたけど、ちっとも良くなかったんじゃない?と思いだすとね。それを続けることが、今度は悪い事に加担するみたいに思えたり。何のことやら。矛盾、だね。
 だからとりあえずそれを止めて、今は何もしない。何もしないという事をしている。
 特別何かをしなければならないというのも、無理矢理『必要』に組み込まれたセット商品みたいなもののような気がするので、敢えて選ばなければいいだけかと。今はとりあえず、このままぼんやりと過ごす。もし、外界が働きかけてきたら、それはその時に考える。


鴨~☺️

 暑い日があると思うとまだ寒くなったりするし、気圧も天候も不安定。
 誕生日のあとにGWが来て、Kさんは不安になったのかもしれない。
 遠慮と我慢。家族に我が儘など言えない、言ってはいけない、迷惑になってはいけない、そう自分にいくら言い聞かせても、寂しいという気持ちはなくならない。
 苦しくなって体調不良になってしまう。身体が思うように動かない中で一人でいると不安はつのる。家族と暮らしたいわけではないのだ、ただ、よりどころが欲しいのだと思う。


線路際の秘密の花園


 よりどころ、はどこにあるのかなぁ。 
 私の場合は猫に依存しているかも。猫たちが元気に走り回ってごはんを食べてゴロゴロしていてくれたら幸せ。 どこも痛くなく、苦しくなく、寒くなく、暑くなく、お腹いっぱいで眠くなれればと、ずっとそうであってくれればと。 猫に限らず、人でもなんでもそうならいいけれど… でも、Gはホイホイに掛けたりしているなあ。都合がいい願いなのだ。 
 あとは、意外性のある世界。 樹液が吹き出す電車の窓枠や、鯉のいる池、鴨がお散歩する池の端、みどりのゆびを持つご婦人が次々咲かせるお花たち。(最近は野菜らしき葉っぱもあるような…) 私にとっては、そういうものを探して発見して、よりどころにしている日々。


北海道の小麦で作った『スペルト いしかり』
は、ライ麦パンみたいな味わい。
新製品のビスケットは砂糖不使用で
デーツの甘みがやさしい。
小麦にこだわるパン屋さんのパンを食す。


 ここのところなんだか何もする気になれずぼんやり日を過ごしている。
 仕事はリハビリ的に行ってるが、先々の利用者さん達も調子を崩したり、失くしものをしたりとややトラブル続き。
 急に寒くなったり雨が続いたりする天候不順が影響しているのかもしれない。

 あとはなんとなく感じる閉塞感。何かに期待して脱け出せるような感じではもうないのだし、ここは根くらべだろうかな。
 目に見えるカタチや出来事ではなく、金融みたいなイメージでもない、力。
 思い込みで成立している世界は、信じられなくなれば急速に崩れていく。
 

湧きドコロ🍚

 よりどころ、って自分の中に見いだすものだから、他人がどうとか一切関係ない。それだけに自分だけが基準なわけで。不安定で不確かなもの。周りが正しいと言っても自分が違うと思えば正しくない。だからそれは必要な思い込み。自分教、みたいだねえ。宗教なのか、自分とは。となると、認知症はどうなんだろう…とかまた色々と収拾がつかなくなってきたのでこのへんで😃

 
 

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